The Redang Telegraph

2013年10月14日

アラビア横断往復6000キロ 最終章

あっと言う間に6千キロの旅から3か月たちました。あれから3か月、早いような、遅いような。まだエンジンの上にまたがっているような感じもします。

リヤドで転倒してジャケットの両肘を擦って穴をあけ、、そしてそれを見るたびにやり残し感が漂ってました。それで日本に帰る前からメーカーの「コミネ」さんにメールで繕いができるかお願いしていました。

旅行直後の記事、、ダメージうけまくりのジャケット
http://inlinedive.seesaa.net/article/370239899.html

「とても気に入ったジャケットなので繕って末永く使いたい」
コミネさんも直接一般ユーザーからこういった問い合わせはあまりないようですが、何度もダメージ箇所の写真を送ったりしたところ、最終的に快く修理を引き受けてくれました。ライダース用品のコミネさんに栄光あれ!!ありがとうございます。対応がすごくよかったです。

9月は連休が多かったこともあり、すぐにはダメージジャケットを送ることができなかったのですが、先日無事にジャケット修理が終わって戻ってきました。ダメージをうけた部分を切り替えし部分ごと張り替えてくれ、まったく自作ではありえない美しさ。さすがメーカー!

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これで、私の6000キロの旅の本当の終りになった気がします。で、早速明日、このジャケットの活躍する場が!きっと新しい旅の始まりなんでしょうね。修行は旅はまだまだ続きます。


2013年08月01日

アラビア横断往復 番外

アラビア横断往復から1ヶ月、

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最近の涼しさに誘われて+最近全然乗ってないことに気がついて、ハジャルまでの100キロを往復します。最近は最高にあがっても40度程度という、55度越えの毎日からみれば、あって無きが如しというぐらいの温度です。あ、もちろんセ氏です。

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ムギニーヤまでくると農地が広がり、

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それを越えると、春先は養蜂で盛んだったところです。でも、いまや養蜂の影も形もなく、

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動物つながりで、自分撮り、、しかし、真っ黒

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てくてく、トコトコ、、時速80キロとか100キロで走っていると、アラビア横断往復みたいな義務感がなく、のんびりとした楽しさが味わえます。このルートは暴走族も愛用している山岳ルート。ただし、ラマダーン期間中の昼間に、峠をせめるような律儀な暴走族はいません。そんな律儀さがあるなら、暴走族なんてやってないし、、

だーーれもいない、時間帯です。3時間半走ったけど、断食期間中にはやらんほうがいい、、ということを身にしみてわかりました。砂漠の中だし、けっこう、のどが渇きます。

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2013年07月25日

アラビア横断往復 本編17 旅のおわり

到着してすぐに仲間がこの旅の無事帰還を祝って食事会を開いてくれました。
場所は我が家のダイニングキッチンで、、

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オデッセイは家に帰ると妻の婚約者たちが押しかけて饗宴していたというおぞましいことですが、我が家は、のんびり、気楽で、親切な心しか持ち合わせてない人ばかりです。本当にありがたいことです。

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ケーキまであって、ほとんど涙もの

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最終目的地ムサンダムでは道に迷った私を辛抱強く誘導して、出航時間が過ぎても待っていてくれたみんな。ありがとう。

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それに、道中で写真をアップするたびに見てくれたフェイスブックの友達。FBについてはいろいろといわれているけれど、FBがなければ到底、この6000キロは走破できたとは思いません。ハーレ仲間、それにダイビング仲間の励ましがあってこそです。

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これで、この旅行のシリーズは終わりです。
みんなありがとう。本当に感謝します。

(このシリーズは今から内容を修正したり、写真を追加したりします!1週間後に読むと別のものになっているかも?)



アラビア横断往復 本編16 トラブル

ともかく熱かったとか、砂嵐だった、、といった自然のもの以外でのトラブルは驚くほど無かったです。自然以外と苦労したことといえば、、

1 ホテルがみつからない
2 地図がいいかげん(グーグル地図も含めて)
3 食事するところがない
4 盗まれたものがある

1−3まではともかく、4の盗難。そう、行程の一番最後、マディーナ市街を抜けてこれからバドルに向かうというガソリンステーションで水を買って、ペパーミントの露天を見ている間、荷台の一番後ろに新たに加えたバッグから工具袋を盗まれた!露天から帰るとかばんのジッパーが閉まってなくてヒラヒラしている?中をみると工具袋が盗まれていた。犯人はもちろん、ジッパーをあけて目に入った最初のものを取ったから中身を確認する暇がなくて、なんかきれいな袋があったので盗んだということ。今回の旅行にあわせて新調した工具もあったし、ともかく盗まれたという事実にショック。私は横風が強いからジッパーはものを取り出した瞬間に閉める癖がついているから、開けっ放しということはありえない。しかも、環境保護のためそこらへんに捨てず、飲み終わったペットボトルもここに入れていたけどあんな軽い空のペットボトルはそのまま。

ここは聖都マディーナ。こんなところにも泥棒がいるということにもショック。ガソリンスタンドにはいろんなお店があって、「ちょっと」だけ行くということで気も抜きがち。貴重品は身につけてたし、バイクの鍵は抜いていた(バイクの鍵を抜くと自動的にセキュリティがかかり車体を動かすとものすごい音がする)。。。けれど、、、うーん、ひどい。

この一番後ろに飛び出したバッグはリヤドのハーレーショップで買った純正品でめちゃくちゃ高い千リヤルもするもの。すくなくとも、泥棒にはバッグごと盗まれなくてよかったとしよう。

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全体として、出会った人たちはほとんど親切で楽しい人たちばかりだったので、最後に追突、最終日に泥棒ということがあって、ちょっと残念。強調したいけれど、ほんとうに旅人に親切な人が多かった!おそらく日本より全然良かった。一番心配していたのは、ホテルでの駐車場。なんだか適当なところに駐車させられて、通行人にいたずらされたりして苦労するんじゃないかと思っていたけど、、

ターイフ:看板の真下だしカメラも監視しているといってわざわざ場所をあけてくれた

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リヤド:入り口の真横で一段高くなっている

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ドバイ:入り口の真横。そもそもホテルが人里離れた上に入り口が見つからないという

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ホフーフ:入り口横の奥で、そもそもバイクを入れるのが大変だった。安全このうえない。

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ブライダ:写真なし。このホテルには4時間ぐらいしかいなかったし。人里はなれたうえに、駐車場を塀で囲って入り口に監視人がいたので適当にバイクを止めることができた。


アラビア横断往復 本編15 メンテ

家に戻ってきた翌日。バイクの荷台アングルをはずして、追突場所のプライマリー塗りなおし。バイク本体は、非常にスリム。バイクらしい形をしている。

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荷台アングルは荷台に固定されているだけで本体に固定されているわけではないので、ガタガタの場所で、アングルがぶつかったとき本体をいためないようにあちこちにゴムのブッシングやマットでカバーしているけど、熱でゴムがぼろぼろなので交換。そして、5000キロ毎でサービスといわれているので6千キロも走ったので、ジェッダのハーレーに定期メンテに行きました。

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ハーレー仲間も快挙を祝ってくれて、ありがとう。バイクは傷だらけだけどなんとか平気だよ。ちなみに傷の半分は砂あらしによる、塗装傷です。サウジでは車の前面に洗剤を原液のままつけて塗装ダメージを防ぐため皮膜をつくる、、ということも普通に行われています。

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追突で割れたリヤライトは、カスタマイズで買ってきたLEDで高かったのだ、、が割れてはしかたない。純正もものをもう一度付け直すしかないです。カバーは在庫のものをとりあえず買ってつけました。

長いあいだトレードマークだった、タンクのシマウマストライプと汚くなったので取りました。のっぺりとしたタンクになってしまった。

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そして、次の日、ジェッダのSACOでアルミケースを購入、、って前と同じものは売ってなかったので、別のもの。これはこれでいい味だしているけどものを入れる用にはもうちょっと大きいほうがいいです。サイドバッグの4代目です。

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もともとサイドバッグには転倒時のクッションの役目しか求めていません。今回は本当に役に立ったというわけです。購入時に転倒して後ろの方向指示器を折るというとんでもないことをしたので、以降、すくなくとも方向指示器の幅分横に張り出したバッグは必須です。

バイク以外では、一番最初のオマーン国境での転倒で壊れたGショックのバンドも修理。レッグポーチも修理。チャップスで切り取った裾を縫って補強してもらう。それに、かばんもひっくりかえして砂を掃わないとね。、、、あちこちメンテが必要、もちろん私のからだも、あせもの薬、打撲の薬、、、。それに体力回復。

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結局、バイクとプロテクター類と体、、実際に旅の前のように動けるようにもどったのは1週間後。1週間の旅行にかける回復期間が1週間とは、、



アラビア横断往復 本編14 我が家

バドルの砂山を見て、やっとここまで帰り着いたことを実感。そこから我が家まで約150キロ。
とはいえ、簡単に帰してくれないのはよくわかったこと。ここは南北方向だから強烈な横風が吹き荒れます。そして、それを乗り越えて我が家。

我が家は1階が事務所、2階が宿舎となっていて同僚3人で暮らしています。時間は5時ぐらい、、戸をあけると、同僚の一人がまだ事務所に残っていた!ああ、抱き合って無事を祝おう、、と、近寄ってくるけど、、「ちょっと待った!私は臭いぞ!汗と埃にまみれてこの世のものではない臭いがするぞ!」と釘をさす。

なんといっても大量の汗をかいて、それが瞬間に蒸発して、でもまた汗をかいて、1日に7リットルぐらい水分補給するぐらいだから汗の臭いも凝縮されてジャケットにこびりついているはず。彼は、近づいたけど、異様なものを察してくれて抱きついてこなかった。ありがとう。でも、「写真とって!」と頼んで、いろいろ撮ってもらった。ありがとう。

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駐車場の車をだして、代わりにバイクを入れる。いつものバイク置き場は炎天下なので、これから荷はずしにとりかかるのだけど、もう屋根があったほうがいいに決まっている。

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バッグがなくなってすんなりした右側。

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バイクの汚れも、ものすごい。洗わずにはいられないけど、とりあえず証拠写真(?)

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風防は、もはやスリガラス程度の透明度もない。良く考えると、この風防がなかったらこの汚れは体や顔で受け止めなければならなかったはずだから、文句を言うのは間違っている。ありがとう、、と、言うべき。

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地図を張りまくったタンク。ガムテープのカスでひどいことになっている。これは簡単にはとれないから明日きちんと取ろう。

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荷物を全部はずし終わり、、、荷台ロープもおつかれさま。

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部屋に入ってすぐシャワー。とうぜん。1時間ぐらいかけて、体を洗って。プロテクターもあらって、ヘルメットも洗って、

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ジャケットもプロテクターをはずして洗濯して、、(わあ、転倒したときのダメージにあらためてびっくり)。肘のジャケット内蔵プロテクターが削れてる、、、、

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それから、さっぱりしたところで、洗車。端から、端まで、余すところなく、洗剤をつかってきれいに、きれいに。。。もう、埃も砂も汗も、みんなどっか行ってしまえ。誰かが1億円やるからもう一度行けといっても2度と行くものか、、意味なく怒りがこみ上げてくる。が、ともかく全部きれいになったことだし、もう寝よう。行程中、ずーーっと睡眠不足だったし。


2013年07月24日

アラビア横断往復 本編13 温度

知らない人は、6月で熱いって?だって7月とか8月になるともっと熱くなるだろう?と考える日本式な人がるかもしれないので、念のために言っておくと、8月が年間で一番暑いのは日本だから。世界中の国がみんな日本と同じわけではない。たとえば南半球のこの季節は雪がふっているぐらいだ。

サウジのように湿度の低い砂漠の国は、日射量がそのまま温度に反映されるので、理論的な盛夏である「夏至」の6月下旬が一番暑いのである!ある!ある!つまり、私は、世界でもっとも熱いといわれるサウジアラビアの、そのまた年間で一番暑いときに砂漠を横断したということ!なんといっても、夏が至るんだよ、夏至っていうのは。夏の頂点!



ふーー、本当に熱かった。



熱かった、、、全路線で熱かった。例外的にターイフ周辺だけ温度がしのぎよかったけれど、それは局地的なもので、全線50度越え。平均55度、、というか、55度までしか計測できない温度計が敗因か?とはいえ、通常販売されている温度計は基本50度までだから、しかたないのかもしれません。

これはことさら熱かったアハサー(ハサ)の温度。夜中の11時にチェックしたので温度は下がってますが、毎日最高温度が46度らしいです。ちなみに気温の観測は、「風通しや日当たりの良い場所で、電気式温度計を用いて、芝生の上1.5mの位置で観測しています。 また、電気式温度計は、直射日光に当たらないように、通風筒の中に格納しています。通風筒上部に電動のファンがあり、筒の下から常に外気を取り入れて、気温を計測しています。」ということです。気象庁のHPから。http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq11.html

芝生に囲まれた直射日光を避けた中で46度なので、炎天下のアスファルトでは照り返しもあるので55度はまだぬるい。60度ぐらいはあったと思います。

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ちなみに、最後は壊れました。転倒して壊れたのではなく、なんと60度を越えてアルコール溜部分が破裂したのです、55度以上を計測するには壊れるというオプションがあったとは、、おそらく最後のマディーナあたりで炎天下70度ぐらいあったのだと思います。温度計が破裂するほど熱かった、、とは。

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2013年07月22日

アラビア横断往復 本編13 マディーナ

旅の出発点マディーナ。猛暑のマディーナ。山のマディーナ。

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今日で我が家に帰る、、という気持ちが一番。旅の楽しさとかじゃなくて、もう家に帰りたい、ゆっくりシャワーを浴びたい、打撲もゆっくり薬を塗って、アセモも薬を塗って、匂い立つ、、ジャケットもゆっくり洗いたい。今日のマディーナは非ムスリム用の迂回路をとおってマディーナ市街を抜ける愚をさけること。リヤドも市街で転倒したし、ブライダも市街で追突されたし、もう市街は避けたい。

ともあれ、本格的な山道に入る前に、お昼ご飯。熱くてもう苦しいので、全部脱いでくつろぐ。アラブ風お座敷は、こういうとき便利。

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ガソリンステーションにはカシームの干草を積んだトラックがいっぱい。道路で唯一なぐさめられるのは、この干草の甘い匂い。どこからでも、匂ってくる。

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やがて山道に入り、マディーナの市街がみえてくる。私は非ムスリム用の迂回路に回ったけど、そこは工事中で大変さ200%であることに気づき、おとなしく市街に入る道まで戻ってきた、、ああ、市街をとおるのはいやだなあ、、と、思ったけれど、不思議なことに市街を抜けずにマディーナの反対側にでることができました。これはすごい。もはや、地図もGPSも疲れきって使う気になれないので、ひたすら勘と行き先案内だけを頼りにつきすすむ。

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なんといっても、この道路は慣れ親しんだ道。よく知っているのと、知らないのでは大違い。しかし、熱い、熱い、

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山も下りになり、通り過ぎる町の名前をひとつひとつ数え、ハサニーヤを過ぎると、このマディーナからの山道の終点、バドル。バドルの山より高い砂丘が見えてきた。。

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バドルで感激、休息、そして最後の60号線。やがて、我が家

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全行程6099キロの旅はようやく、我が家に、、


アラビア横断往復 本編12 カシーム

本当に寝たと思ったら、すぐ起きて。
これから、最後のパート。最終目的地は我が家です。

ブライダはさっさと抜け出したい。あんな田舎のくせ、ブライダはかなり大きな都市で、30年前のアブダビとおんなじ臭いに充満していた。サウジ平均からいっても、ブライダは30年ぐらい遅れていると思う、、

日の出、、

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同じカシームだけど、ブライダではない街を次々と通り抜けます。

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有名な円形農場もいくつも通り過ぎたけど、朝まだ暗くて写真にはうまく撮れません。残念。しかし、たしかに緑あふれる、、といっても不思議ではないほどの緑

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良く見ると給油ポンプとボトルホルダーが昨日のブライダ衝突でバイクが転倒したショックで壊れている。ミラーが割れなくて良かった。

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がんばれ、もうすこしでマディーナだ。とは、思うものの、暑い。またここにきて急に暑くなった。。さびしい朝食、、ポテチとジュース。ちょびっと休憩。

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道路標示にマディーナの文字が見えてきた、、このカシームからマディーナに入る道は朦朧としてあんまり記憶にないです。気温計はこの日も55度をさしたまま。マディーナの山々が見えてきます。

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アラビア横断往復 本編10 ブライダ

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リヤドの市街を抜けたところでとっぷり日が暮れました。予定ではブライダには夕方5時ぐらいに着く予定だったのに、リヤド出発が6時では夜のたびを覚悟しないといけません。なんならリヤドで一泊すればよいというオプションもあったのですが、今、宿をキャンセルしてもお金は戻ってこないと聞いているのでもったいない根性でブライダに出発です。

ブライダのあるカシームは農村地帯で、アハサーと同じくブライダは首邑にすぎず同じような村はいくつもあります。それで本来はカシームというべきですが、ホテルがブライダにあるので、ともかくブライダ。

ブライダは何度も繰り返しているように、へんな国といわれることも多いサウジで、「極め付き偏狭な」と誰もが口をそろえる、非常にディープな街です。真っ暗闇のなか、高速を延々と北上。リヤドからカシームまで約400キロです。エアコンの効きすぎたクラブルームにずっといたせいか、なんだか体がカチコチだし、疲れて、やすみやすみ。暑くは無いともいえるけど、疲れて、疲れて、、

それでも、ようやくブライダの市街。もう、ジェッダの交通が非常に優秀に見えるほど混乱した運転。なんというか、自分さえ良ければ、、という状況。ジェッダだって相当なものですが、全然、ブライダのひどさはジェッダの10倍ぐらい。夜も10時を過ぎて、ホテルはどこだかわからず、地図もいいかげんだし、いつもどおり彷徨いのはじまり。信号で止まっていたら、追突されました。

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バイクなので当然のように吹っ飛びました。1日に2回も、、、
相手の運転手は自分が100%悪いことを認め、しきりに私の体を心配していますが、ライトが壊れたりフェンダーが変形したり、、という話になると、あっという間に悪人に変身。いろんな野次馬も来たし、いろいろな話の中、こいつらにはサウジの常識が通用しない、サウジでありながらもはや論理の破綻したところだということが良くわかった。なるほど、あらゆる人が避ける街だけのことはある。

つまり、人の気持ちだとかそういうのは全く考慮せずに、自分のしたいことだけする、、という雰囲気が充満しているのだ。なるほど、それで自分の考えを押し付けるムタワの産地といわれるだけのことはある。もう、疲れたし、さらに疲れる人を相手にするつもりもないから、バイクを発進させてホテル探しに向かう。

ホテルが見つかって、チェックインしたのは1時。もう、日付が過ぎてしまったのだ。これで、朝4時出発予定だから、もうほんの数時間いるだけか、、


アラビア横断往復 本編9 リヤド

転倒して、サービスロードに入って、落ち着いてきたのでジェッダのハーレーのお店に電話。ともかく、転倒したままのバイクで旅を続ける気は無いのでサービスをしっかりうけて、旅が続けられるかどうか見てもらわないと、、

しかし、馴染みのハーレーのお店からはなんかあやふやなことを言われるし、なんとオートモービル連盟みたいなのがあってそこに電話しろといわれても、結局、なんだかわけのわからない対応だし、、、ということで1時間ぐらいサービスロードで時間をつぶす。ああ、もういいや、自力でリヤドのハーレーショップに行ってみてもらうしかない!と、決断。サウジで人任せにしようというのが間違っている。ハーレーショップに連絡してトレーラーに来てもらおう。

世界ハーレーショップガイドをバッグから取り出してリヤドのハーレー店に電話、、しかし、つながらない。(後で知ったけど、そのすぐ直前にリヤドの市外番号に1を追加するということがあったらしい、もちろん知らなかった)。おかしいなあ。小さな略図がついていたので、良く見る。そして、GPSを取り出す。

おかしいなあ、、、通りの名前がハーレーショップに面している道路と一緒。しかも、ポイントする現在位置もGPSとハーレーショップの地図が一緒。わけわからん、壊れているのか頭がおかしくなったのか、ともかくもうちょっと走ったところが一段高くなって見晴らしがよさそうだから移動しよう。

サイドバッグはガタガタだけど、本体に異常があるようには見えないしエンジンも一発でかかる。ゆっくり発進、そして高台に向かうと、、

そこが、ハーレーショップだった。

この旅では、、、さすがメッカお参りしてから旅にでただけのことはある!というぐらいいろんなアクシデントから守られてきたけど、、転倒した場所が、なんとハーレーショップの目の前だったという奇跡ぐらいありえないことはないです。普通に言っても信じてもらえる可能性は3%ぐらいだと思います。

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お店に入って、、

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、、みんな寄ってきてくれます。事情を話すと、すぐにバイクをサービスにまわしてくれました。あの転倒で怪我もしなかったし、バイクも平気そうだし、しかもハーレーのお店が目の前だったし、ありえない。自分が一番信じられません。

ともかく、クラブルームで寛ぐことにしました。ここのクラブにはシャワーがある。しかも、私は旅行中だから代えの下着だとか部屋着とかにはことかかない。洗面所用品をひろげて、ヒゲまでそってリラックス。

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このクラブルームの隣はバイク駐車場になっていて、いろいろな理由から自宅にバイクを置けない人がここに駐車するようです。ジェッダは先月そういう応募があったので、ああ、このことか、、

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朝の10時ぐらいにショップに着いたのですが、結局すぐにお昼時間。ただし、ジェッダと違ってクラブルームは別の扉になっていてお昼休み(1時から4時まで)も、ハーレーオーナーには開放されています。よかった、くつろいで、ネットをつかったり、コーヒー飲んだり。そういえばご飯は食べなかったけど、なんとなく食べる気にはなれない、、なんとなくクラブルームの掲示板をだらだら見たり、、

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午前中に買った、ハーレーリヤドのオリジナルグッズを広げて、満喫。私は転んでもただでは起きないのだ。あ、お金を払う側だけど。かなり買いました。転倒で受けたストレスは買いもので開放だ!

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これまで、エンジン熱でふくらはぎや腿が焼けそうに熱かったのは、この巻くタイプで対応していました。

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かなり便利でふくらはぎは完璧に熱からガードできてましたが、太ももの熱対策がいまひとつでした。このリヤド店には(ジェッダ店には無い)皮のチャップスがあったので早速購入。長さは自分ではさみで調整。なんといっても、旅の道具一式+工具箱まであるからこれぐらいどってことないです。

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壊れたサイドバッグはもう使い物にならないから、完全にとってもらって、バイクの調子も全部点検してもらって、割れたミラーは「新品は在庫がないけど、中古のがあったから無料でつけておいた。ミラー無しでは運転できないしね」ということで大感謝。あれやこれや、気を使ってもらって、私もここでバイクグッズをいろいろ調達できたし、転倒しなければ、まったく予定のなかったハーレー乗りとの交流もできて、満足です。

これからブライダに向かうので道路を教えてもらうと、、「ブライダ、、そんなとこ行くな」といわれた。道も知らないといわれた、、急に冷たい。普通の常識があれば、用があっても避けるといわれるサウジ最大のディープな都市、ブライダ。ここにめざしてハーレーショップを出発したのは日も暮れようとする6時でした。
ブライダへの道のりは全線夜中になりそうです。


アラビア横断往復 本編8 転倒

道を間違ったところは多いです。全部で6099キロ走行したわけですが、99キロは道に迷った分だと思います。一番大きな間違いは、このアハサーからリヤドに行く道の間違い。暑いのに、道の間違いはつらいです。

ダンマンリヤド高速道路はメジャーなわりに路面が悪く、けっこうガタガタでした。しかし、無事、リヤド入り。この日の目的地のブライダはリヤド北方。道路的にはリヤド市外をつっきって北上することになります。リヤド市街に入ると、朝8時でやや渋滞気味。しかし、車は流れているのでひどいことにならずに街を通過できそう。。。しかし、ここで思わぬトラブル、、、転倒です。

リヤドの目抜き通り、ダンマンロードを走行中、前方に黒く光るものが、、これは走行中にさんざん見慣れた逃げ水現象。しかし、ここのは、、、突入して初めてわかったけど中央分離帯の散水ホースが外れて道にあふれた本物の水だった。

すってーん、転倒し、すべる、すべる、すべる。鎧のようにプロテクターで身を固めているからそれほど痛くないし、傷も無いのはわかるけど、すべる、そこで立ち上がろうとして手を付くと、すべっていたからだが回転はじめてしまった。ゴロゴロゴロ、、転がる。ようやく、とまって立ち上がってバイクを探しに行くけど転倒地点にバイクはない!!!!驚いた!これが一番おどろいた!転倒したのより驚いた!

あちこちから、親切なサウジ人が車を降りて助けに来てくれる。まるで奇跡のように普通に歩いているのをみてみんな感動してくれる。サウジ人ライダーのようにTシャツで乗っていたらいまごろ血まみれ必至。どころで、バイクはどこ???なんと、私が立ち上がったところの近くだった。バイクもやっぱり、転倒後すっとんでいたのだ。なるほど、、、

さすが、リヤド、、1分もしないうちにパトカーが来る。混乱している私に代わって周りのサウジ人が事情を口々に説明してくれるので、私本人の出る幕なし。水をもってきてくれる人、バイクを押してくれる人。もちろん転倒して横抱きガソリン缶の蓋が開いたのだけど、手早く閉めなおしてくれたひともいる。サウジ人の親切なことは数え切れないほど経験したけど、こういう転倒の目にあうと再認識します。

バイクは道路の反対まですべっていったけど、渋滞の中、、私もバイクも車と接触することもなく無事でした。アルハムドリッラ。特に転倒したバイクの後ろに車をとめて、ほかの車を誘導してくれた人には大感謝です。

パトカーの人が、バイクをサービスロードに置いておくように指示したから、てっきりサービスロードで待ってれば、パトカーがまわってきて事情を聞きにくるのかとおもったけどそれもなし。サービスロードでひとまず休憩。水を飲んでショックを覚まします。

これが転倒前の最後の撮影。リヤドに入る手前。

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これが転倒後の最初の撮影。ミラーが、、、

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サイドバッグがクッションになりました。

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バイクの車体は擦り傷でいっぱい。そのうえ、道路の泥水をあびて汚いことこのうえなし。

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人的被害はない。あちこちに打ち身があるけど、これは怪我になるところをプロテクターが防いだのだけど、その分の衝撃は避けられないということ。ただし、プロテクターは、、

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体験的に知っている私が転倒したとき、一番最初に衝撃をうける腰骨にはレッグポーチをつけて3重の保護をしていた(インナーパンツのプロテクタ、ライダーパンツ付属のプロテクタ、そしてレッグポーチ)。

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どうだ!腰骨保護のG3素材の衝撃吸収は!すごい!しかし、レッグポーチはアスファルトで真っ黒のぼろぼろになってしまった。レッグポーチの中に入れていた眼鏡ケースは壊れたけど、メガネは大丈夫だった。昼の運転にはメガネはしないけど、早朝の暗い時間はメガネをします。

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背中には2重のクッションでそのうえに新品のベストを着ていたけど、ベストは裂け目が、、

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ウエストポーチは削れてしまい、ウエストポーチの中のカメラも削れてしまった。
あれこれ考えると、これぐらいで済んだのが奇跡のような気もします。神様ありがとう。






2013年07月19日

アラビア横断往復 本編7 ガソリンスタンド

小さな村では、ガソリンスタンドが共同体の中心地で、人々はマハッタ(ステーション)と呼び、あるときはショッピング、あるときは社交、あるときは、、ガソリンを入れに来ます。これはサウジだけではなく、世界中のあらゆる小さな村落でみられる光景です。

しかし、サウジならではの特徴も多いです。今回のUAEとの比較でいろいろなことが目につきました。もっと言うと同じサウジでもジェッダと東部州では給油スタイルが違い、最初は知らなかったからほとんどケンカみたいになりました。

下は、ホフーフを過ぎてダンマン>リヤド高速道路にむかって(道を間違えて)まっしぐらに北上し、さらにこの道路を過ぎた(さらに道を間違えて)ところにあるWAFA(オアシス)ガソリンステーションです。規模的には大きい部類に入ります。めずらしいのは各店舗としてテナントが入っているのではなく、同一オーナーの店舗です。前の記事で紹介した、トイレ商品の店頭陳列しているスーパーがあるステーションです。

まずは、見取り図、、すみません全然サイズがいい加減です。「店舗の順番図」としてみてください。大きさは、完全に適当です。。。いや、間違ってます。

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1 まず一番右にあるのはモスク。ミナレットがちょっと見えます。この一連の建物とは別棟になっています。
2 つぎのきれいなベージュ色の部分はモーテル(入り口は黄色い看板のところ)。長距離運転手が寝たりシャワーを浴びたりします。サウジではイスティラーハと呼びます。別の国では別の言い方があるので、アラビア語で、、ではなく、サウジでは、、のほうが正しい言い方でしょうね。

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3 茶色っぽい看板のお店は「携帯電話屋」。生活の一部になってますが、落としたりして顔が青ざめることも多いです。ここでは簡単な修理、携帯販売、アクセサリー販売(特に電源ケーブル)、携帯のジャケット、それに中古の買い入れも行います。盗まれた携帯が見つかることもあります。
4 次も茶色っぽい看板ですが、床屋です。床屋がステーションにあるのは珍しいケースです。ジェッダ周辺では見たことも聞いたこともないです。こういった田舎の幹線道路をちょっと離れた大型店では差別化を図っているのかもしれません。床屋で髪を切り、モーテルで体を洗い、モスクで心を洗い、、という順番ですね。このステーションのオーナーは間違いなく意図しています。(トイレ用品の陳列もみてもわかる)

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5 レストランはサウジ風です。サウジ風お座敷があり、インド風からサウジ風までの料理がそろっています。UAEではこのお座敷のあるレストランはついぞ1回も見なかったです。サウジならではといえるでしょう。
6 直射日光から商品を守るため緑の軒を下げているのがスーパーです。入り口は小さく、レストラン側屋外には畑仕事グッズ、肥料、種などがありました。入り口の左はアウトドア用品でトイレや遊具も売っているところです。

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7 スーパーの左となりは改装中でテナントは入っていません。かなりきれいなので、、ちょっと高級品の販売も考えているのかもしれません。

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8 黄色い看板のテープ屋さんです。テープに関してはこれだけでひとつの記事を書くほど興味深いです。サウジの車にはカセットテープがまだまだ必要なのです。ガソリンスタンドにテープ屋さんはUAEでは見られないですね。サウジではイスラームがきついところなのに、熱狂的に音楽好き。サウジでは歌手とは言わずアーチストと呼び、多くの地元の「アーチストが詩を吟じて」ます。歌っているわけではないのです?サウジ人の詩作好きは相当なものがあり、新聞も詩のコーナーに紙面を割いてます。日本の短歌・俳句をイメージしてください。ミュージックテープではこういった詩吟(?)、新作民謡(沖縄でも盛ん)、、、が若者の間でもポピュラーです。。。というか、これ無しには生きていけない人が多いと思う。

9 赤い看板は「オイル屋」さん。そして、その隣が「パンクとオイル交換屋」さん。非常にわかりやすい、軽度の整備に特化したお店です。

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10 整備場の間に挟まれた店舗が、「旅行グッズ屋」さんです。そして、本格的な自動車整備工場が隣です。真ん中の空間が、いわゆる給油所です。

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もちろんこれは農村に特化した大型ステーションの例で、下の写真のようにレストランとは別にサンドウィッチ屋さん(これはテナントが入っている例)、ジュース屋さんがポピュラーですね。ジェッダ近辺ですと、コーヒー屋さんが必須ですし、都市部では銀行ATMがあります。


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2013年07月18日

アラビア横断往復 本編6 東部州

アハサーのホテルについて、シャワーで体を洗う。体中砂だらけ。どうやったら、分厚いジャケットの中まで入ってくるかわからない?

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いつもどおり晩御飯を食べる気にもなれず、体がこれだけ砂まみれならジャケットはどうだろう?ということでジャケットもズボンも浴槽につっこんでジャバジャバ洗う。明日になっても乾かないのでは、、という心配は無用。どうせまた、頭から水をかぶりながら走るのだからずぶぬれでも平気。

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初めてのホテルの部屋撮り。もう、着いた瞬間に荷物を散乱させるから大変なことになっています。

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また、朝4時出発。朝食付きのホテルなのに、、、

そして、おおお!これは確かにアハサーならではだ!踏み切りです。アハサーの真ん中にはダンマン>リヤド鉄道が走っているので、サウジでも超珍しい市街地の真ん中に踏み切りがあるのです。

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しばらく走ると夜明け、、また、これから暑くなりますね、、

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大きな字で「リヤド」という行き先表示板を追っていったので、まさか間違えることもあるまいと思っていた道。間違いなくリヤド行きなのだけど、来るときは使わない古いルート。いまはアハサーから直接リヤドに道路があって、来るときはそれをつかったのだけど、私が間違えたルートはいったんダンマン方面までもどる、おそろしいぐらい遠回りになる道でした。

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行きも道を間違えて、帰りも道を間違えたので、結局予定しながら通らなかった道路というのができてしまった。まあ、しかたない、このへんの大変さは容易なものではないです。

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しかも、ダンマン>リヤドハイウエイに合流してから気が付くという超間抜けな話。さらに間抜けなのは、じつはハイウエイを間違って通過してしまい、ガソリンスタンドに何気なく道を聞いて初めて知るといううかつぶり。おどろいてGPSで確かめると、たしかに道が違っている。

この日はアハサーからリヤドを通過してカシームまでいく「農村+農村エクスプレス」。カシームの首邑はブライダです。ここも絶対ホテルが簡単にみつかりそうもないので、携帯の電源は温存しておくため切ってます。もちろん、GPSも、「いざ」というときだけです。

道をきいたガソリンスタンドにある、スーパー、、キャンプ用品満載。バーベキュー用の大きな金網も炭もあるし、、

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おおおお!トイレがある!トイレがある!そりゃ、キャンプ最中でも行きたくなるだろう。納得だけど、こんな風に店頭に積んでいるのをみて大喜び!すごい!

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しかも、便座の後ろには水のカメ。しかも、穴を掘ったり被せたりするためのスコップも、、キャンプ用トイレ3点セットというべき!すごいなあ、よく因果関係がわかる秀逸なディスプレイです。イケアも尻尾まいて逃げ出すというものです。

「あ、そういえばキャンプの最中でも行きたくなるよね、1つ買っておこう」
「あ、お尻や手も洗わないといけないし、カメもいるね」
「あ、終わったあとスコップで砂をかぶせないといけないし、スコップもいるよね」

なんと、消費者心理をたくみに突いた、消費者の身になったビジネスです。たしかに、このガソリンスタンドはそこいらのガソリンスタンドと違って巨大で、経営者のすばらしい経営方針を教えてくれます。顧客第一主義です。

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ともあれ、道を間違えたけどハイウエイはハイウエイ、交通量も多いし、熱いし、大変だけどがんばって東部州からリヤド州に突入!ようやく道半ばまで帰ってきた感がでてきます。帰路とはこういうものでしょう。帰心矢のごとしといいますが、3000キロも離れていれば、矢もそんなに簡単に着くわけにはいきません。


アラビア横断往復 本編5 アハサー

国境を抜けて最初に行くところは!もちろん、ガソリンステーション。UAEのガソリンは高かった、、産油国なのに、なんでも高い。ガソリンも高い。3倍高い!

サウジのガソリンステーションで、アラビア語オンリーの素朴な人たちと話すと落ち着く。ただし、給油は「東部州スタイル」。私はリヤドから東部州に入ったとたんにガソリンスタンドで揉めたのだけど、、、

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ついでにお昼ごはんでマンディーも食べる。ああ、懐かしい故郷の味。ゆっくりもしてられない。国境手前では倒れたいほど熱中症にかかったし、今だって倒れそうなのは同じ。気温はもう温度計の限界55度。これ以上はなんどでも55度しか指さない。体感、、60度ぐらい。

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また、ここから延々とカタール国境の横をすり抜け、ホフーフまで北上しないといけない。

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ちなみに記事タイトルにはアハサーと書いて、文中ではホフーフといっているけどこれは?
そう、アハサーやカシームという農村地帯では農耕地は広がっているけど集落は分散しているのが普通。こういう農村地では地域名を言うのが普通です。この場合、アハサーです。もともとはハサ(水が湧き出る場所)という一般名詞が地名になったのだけど、最近はハサの複数形でアハサーと呼ぶのが正式なようです。どこも、アハサーで統一されています。ホフーフはアハサー内の集落のひとつに過ぎませんが、首邑なのでアハサーの一点をさす場合につかわれます。ちょうど、「東京」と「新宿」の関係に似ていて、地名では東京1丁目とかはありません、東京というのが地域名で、その中の首邑として新宿がある(都庁があるから)ということです。だから、行き先表示にも、あるときは東京であるときは新宿だったりするのとおんなじで、行き先表示もあるときはアハサーで、あるときはホフーフです。ちなみに私のこの日の宿は、アハサーですが、ホフーフではなくムバッラズです(東京ですが新宿ではなく渋谷です、、と同じ)。

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ともかく、一路、北上、北上、、、

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カタールとの国境横まで到着。ここのガソリンスタンドは、カタールの車ばかり。サウジのガソリン代が安いので、カタールの車がタンクを空にしてサウジのガソリンスタンドに殺到します。

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私も暑くてバテバテだし、この北上道路は横風、突風、砂嵐(しかも熱風)もおまけでついてきているのでもうヘロヘロ。20キロ進むたびに頭から水をかぶります(ヘルメットは脱いで)。体が溶けそう、、巨大なヘアドライヤーの前に立ちっぱなしで、車の排気ガスを浴びながら、砂漠の砂を満タンに吸い込んで、、、考えるだけでも体に悪そうです。しかも、世界で一番熱いサウジの夏至なのに。夏がいたれるとかいて、夏至なのだ。もう熱さの頂点。キングオブヒートです。

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夕方5時ごろ、アハサーのホテルに到着。古い町は一方通行も多いし、行き止まりも多いし、道に迷うのはもはやデフォルトで大変。ホフーフには古いお城やモスクがあるのは知っているし、昔言ったことがあるし、実はその横を通り抜けているのだけど、立ち止まって写真を撮る余裕なし、まーーーったく無し。アハサーはサウジ指折りの観光地なのに、、残念だけど、このルートは心底疲れる。熱いよーー

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アラビア横断往復 本編4 国境

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サウジからUAEに入るときのことはすっとばしたけれど、記憶が薄れるまで放置もできず、やっぱり手順は書いておこう。したは、サウジからUAEに入るときです(この記事そのものはUAEからサウジに入るときのものなんだけど、思いのほかあっさりしてすでに記憶がない)。

サウジとバハレーンの国境を越えた人は多いと思いますが、あれによく似て、非効率にして、小さい規模にすれば、だいたいイメージどおりです。サウジからUAEに入るときは、
1 最初に小屋があってお金を払うと5センチ角ぐらいの用紙をもらう
2 サウジの車両登録、、ここで免許とイスティマーラを見せる

イスティマーラといっても普通の人はわからないけれど、車のオーナーにとってはイカーマと同じぐらい重要なもので、車用のイカーマといっても過言ではない。車に手がないので運転手が代わりに見せなければならない。車両登録証のことです。これが何故イスティマーラと呼ばれるのは謎。このカードのどこにもイスティマーラという文字はありません(イカーマはちゃんとイカーマと書いてある)。

奥が運転免許(バイク用、、車とは別に発行、ただし同じ様式)、手前がイスティマーラ(別に車の顔写真はない、、あれば面白いのに)

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きっとカード化される、ずーっと昔はイスティマーラという文字がどこかにあったんでしょうね。それ以外、名前の由来は想像つかない。ともあれ、私はこの車両登録でつまずきました。ちゃんとイスティマーラがあって、私の名前があるのに、しばらくゴチャゴチャした挙句「あの建物に入って偉い人に会え」といわれて、がっかり。。

偉い人にあって、いろいろ話をした結果、私のイスティマーラが先月発行されたのでまだお役所にネットワークには登録されてないことが判明。そんな、、とは思うけど、運輸省と内務省のネットワークが悪いのでしょう。驚くようなことではないし、むしろあたりまえというべきか?私はその先月まで月賦で払っていたので所有権はハーレーの代理店にあって私ではありませんでした。でも、外国に出るには本人名義のイスティマーラでなければ無理ときかされて月賦の残り2か月分前倒しで払って、ちゃんと自分名義のイスティマーラをつくったので、そういう意味では新所有者なのです。で、お役人のお兄ちゃんが新しくPCに私のバイクの登録を行って、それからサウジ出国(警察がこのバイクは盗難車とかじゃないと認めた)。最初にもらった紙にスタンプを押してくれました。

3 次が税関 荷物チェック、、もう、荷台ロープでがんじがらめに荷物を縛っているので、開けろとかいわれた日には体力的に立ち直れない。それで、営業スマイルで、「ジャパニーーーーズ」とはいいながら荷物チェック場に登場!ありったけのテンションをあげて「イエーーイ」とか言う。税関の人もノリがいいのでつきあってくれる、やったー脈あり。営業スマイル250%にアップ、、パスポートを渡して、「ムスリムだよ」とかいう。相手の驚く顔、こうなったら話好きのサウジ人にマタタビ。話は「おまえはどうしてムスリムなんだ」とか聞いてくるのは間違いない、だらだら少し話をしたら、、「おまえはラッキーな奴だ、ほら、さっさと行け」といわれて、「イエーイ」と体中のアドレナリンを放出させながら無事通過。荷物検査なし。前にもらった紙にスタンプ。だんだん、この紙がスタンプラリー台紙だということに気がつく。

4 イミグレーション ここで「サウジのビザは?」と聞かれる。私のパスポートは増ページしてあるうえに山のようにいろんなスタンプがあるので、どれがどれか入国の人でも簡単にはわからない。それで、「再入国ビザだよ、、」といいながら、再入国用の用紙をみせて、待っていると、お役人は結局どのスタンプが最近の入国のものなのかわからないまま、なんとなくスタンプを、、押さない!!!!PCに出国を入力しておしまい。バハレーンのように交通量の多くてリビーターの多いところでは、入出国のスタンプを省略してPC上だけの処理になることは知ってたけど、こんなぼろっちい国境でもそうなんだ、、再入国ビザ用紙にもスタンプは押さずに終わった、、こんど帰ってくるときは揉めるだろけど、今ここでスタンプを押してくれと揉めるのはもっと嫌。さっさと出国できるなら、さっさと出国したい。さっさと、スタンプラリーにスタンプ押してもらって通過。

5 工事中なので道に迷う。おいおい!サウジとUAEの国境のまんなかで道路工事、どっちにいけばいいかわからない羽目になるとは思いもよらなかった。こういうもんはイミグレーションが向かい合わせにあって目の前がむこうのイミグレーション、、だと思い込んでたけど、、

6 グルグルまわって、ようやくUAEのイミグレーションに到着。イミグレーションではヘルメットも脱ぐしめんどくさい、、うえに、「あの建物の偉い人に会え」と言われた。おいおい、ここでもか、全体的にUAEのほうがガラが悪い。通常は逆の宣伝がまかりとおっているけど、UAEのお役人のほうが方言丸出しだし、なんか嫌な感じ。サウジのお役人みたいに「イエーイ」といえば通してくれるような雰囲気は皆無。

7 「あの建物」にはいると銀行ロビーのよう。入った人は番号札を引いて番号表示がでたら窓口に行くようになっている。わあ、これではずいぶん待たなくてはいけない。もちろん、サウジの血が騒ぐ(入ってないけど)、つかつかと窓口にいって横入りだ!サウジ15年。もまれにもまれて、「横入り黒帯」まで上達したのは伊達や酔狂ではない、生き延びるため。ジャングルの掟。営業スマイルで「ジャパニーズでUAEに入るにはビザはいらないのに、あの窓口の人が理解してくれないんだよ、、困った、窓口に行けというので来ました、」と本当に困った顔をして言う。もちろん、窓口に順番をちゃんと守ってる人がいるけど、悪いけどガン無視。結局、横入りで処理してもらって「あの建物」は終了。スタンプラリーはここで押してもらったので、さっきのところまで戻る必要はない。

8 車両登録と車両保険だ。いきなり「保険代100リヤル」といわれる。私はこの日のために、実はサウジ国内でガルフ諸国共通保険をかけてきたのだ!ここで払ういわれは無い!

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またここで、そっちの建物に行けといわれる。だいたいUAEのお役人は陰気に横柄。サウジ役人の陽気な横柄さが懐かしい。そっちの建物でいろいろ話をすると、私の250リヤルだして払った保険は任意の包括保険で、この役人が言っているのは強制保険らしい。もういいや、お金で解決できるなら。そっちの建物からもとの場所に戻って、さっさと100リヤルを払う。スタンプラリーも押してもらう。

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9 ここをすぎると、小さな検問がある。なんだろう?と、思うとスタンプラリー回収所だった。ちゃんと全部の検問を通過したスタンプがあって、はじめてUAEに入れる。

今回はこれと大体同じようなルートを通って、ただし、あの建物もこの建物もその建物もなく、わりとすんなりと通過できてしまった。UAE側でスタンプラリーをもらって、、、、そして、サウジの回収のところで渡すのを忘れてしまった!(サウジらしいといえばサウジらしいけど)。それで今回(UAEからサウジに入国)のスタンプラリー台紙はなんと手元にあるのだ、、わあ。こっち側発行は5センチ角じゃなくて、A4サイズぐらいある。

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ふーーー、こうやって国境を越えるまで大変なのだ。あ、そうそう、UAEからサウジに入るときも国境の真ん中で、またもや迷った。工事している上、トレーラーとかが山ほどそこらへんに駐車していて見通しがわるいし、似たような迂回路がいっぱいあるのが原因。

とこあれ、最低1時間は覚悟しなければならない。

アラビア横断往復 本編3 アブダビ

ドバイを朝4時に出発、、すこし寝過ごしてしまった。

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この日はドバイからホフーフまで。ともかく、一番の難所「国境地帯」があるので気合いれていかないと、それに見も体もヘロヘロだから安全第一。この旅行でよくわかったのは、「国境」とは2つの国のあんまり重要でない、「どうでもいいや」とお互いが思っているところに引かれているということ。勢力圏の一番端で、それがなぜ「端」かというと、そこから先は使い道もないようなところなので自然と「端」になったということで、ほんとーーーに、端なんだ!もう、こんなところに住んでいるのは、よっぽどアレな人だけで、こんなところに産業を起こす気も無い、どーでもいい、、と、ひとつの国ならず、ふたつの国の人が考えているところ。本当に厳しい自然条件だし、ほったらかしにしているから余計に厳しさもつよい。あーー、あそこを目指すのか、、、やる気喪失。むりにやる気を出して出発!

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ドバイからアブダビに向かう。さすがに朝早いので車どおりもほとんどなく、瞬間でドバイ市街を抜けて「アブダビ」と行き先表示があるところを指示に従って走る。が?どうも来た道と違う雰囲気、、あまりに交通量が少ない。朝早いせいではないと思う。それに道路にランダーバードがあるし、ハンプスもあるしおかしい。しかも、きたないダンプカーみたいなのばっかりで乗用車が走ってない!

結果、来た道と違う道路を走っていたことがわかった、、というか、あからさまに違う道路だ。。なんでこんなことになったのだろう。

考えると、間違いのもとは行き先指示板にしたがって来たから、、としかいいようがない。ドバイとアブダビの間には道路が一杯あって、そのどれもに「アブダビ行き」と書いてあるから、こうなった。どうせなら、「アブダビ行き(ポルシェに最適)」「アブダビ行き(ダンプカー用)」とか書いてほしい!

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ともあれ、ドバイとアブダビの間など、すでに3000キロ走破した身にすれば、瞬きするぐらい短い距離。こんなところで時間をかけてもしかたない。ムサッファをすぎて給油と食事。UAEディルハムはほとんど持ち合わせがなかったうえ、すでにほとんど使ってしまった。でも、UAEもここまでくるとサウジリヤルも通用するだろう、ここはUAEからサウジに行く唯一の道なのだし、、

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アブダビ市域をすぎて夜明け、すぐに暑くなる、、

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道路も砂だらけ、トラックとか大型車両がほとんど。めげずに安全運転でいこう!UAEにかぎらず、サウジでももっとも運転マナーの悪いのは長距離大型バス。もう、めちゃくちゃ。4輪に乗っているだけではきがつかなかったけど、長距離大型バスの傍若無人さ、マナーの悪さ、スピードの出しすぎ、は、もはや言語道断。ときどき、トルコとかシリアで邦人旅行者が山から転落して事故、、とか記事になるけど、ほとんどすべて長距離大型バスを利用しているケースだと記憶している。さもありなん、すべての車が山から転落しているのではなく、長距離大型バスだから事故を起こしているのです。長距離大型バスに乗るのは避けるべきだと思う。あれでは事故にあってくれというようなもの。命あってのものだねです。

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タアリーフを過ぎ、いよいよ、見捨てられた感のつよい地域に突入。まだ朝なのに、すでにバテバテ。どうも、完璧な熱中症みたいだ。湿気の強いところだからいつもより早く来た。どっかに休むところはないか、、あ、あった。なんか退避車両用の駐車場みたいなところで、しかも警備用の建物もテントもある。さっそく突入で、

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服を脱ぎ、水をかぶる。今日のはちょっと強烈なのでズボンも脱ぐ。周囲の目を確認!無し!

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もう、のびてしまって、ここで少し休んでいこう。朝9時ぐらいなのに、耐えられない。。。。しかし、10分もしないうちに、さっさと服を全部着て出発。何があったのか?そう、ここにはサシバエ(刺し蝿)がいたのだ、しかも、群がって。獲物がくるのを虎視眈々と待って、ノビた人に襲い掛かったということ。痛い。サシバエは蚊の10倍は痛い。どんなに疲れて熱中症にかかってもう動けない、、という人がいても、てきぱき動かざるを得ない。

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この辛い場所は、ここだ!

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けっきょく、水を3倍ぐらいかぶってまた道路に乗り出すしかない。ただし、アブダビからサウジに向かう側の道路には幸いガソリンステーションがあって、次のステーションで休息をとり、国境をめざす。日本が受注できなかった原発現場。代わりに韓国語の看板が氾濫していた。彼らも大変なところで働いているのだと、頭が下がるおもい。まあ、私だってジャバルザンナで働いていたから彼らとほぼ同じところということか、良くいたよなあ、、と感心。

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やがて、見捨てられたような国境を知らせる案内版が見えてきた。免税店だって?面白そうだけど、もう、なんの気力もない。だいいち、道路から見る限り、ちゃちっぽいし。

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2013年07月16日

アラビア横断往復 本章2 カテゴリの追加

これはまったく旅とは関係ないですが、このブログに「アラビア横断往復6000キロ」というカテゴリをつくり、この旅関連の記事はすべて、こちらに入れるようにしました。

なんといっても、行きはヨイヨイ帰りは恐い、、じゃなくて、息はヨレヨレ、帰りは?というぐらい、辛かった道のりです。

本当にブログのこの旅関連記事を読み返しても、「熱い(もはや暑いではない)」「辛い」「道に迷う」「泣きたい」という4語で構成されていて、ちっとも「楽しい」「達成感」「がんばり」「うれしい」という言葉がでないです。ふつう、こういう話には青春の爽快感があるはずなのに、やっぱりサウジだからかなあ。

6000キロというとアメリカ大陸横断と同じ距離。あんなメジャーな横断と一緒にされると困るけど、アメリカ横断だと山あり川あり、砂漠あり草原あり、田舎あり街あり、いろんなお店があって地方の料理とかも食べられそう。モーテルだとか利用すれば、旅行も楽しそう。
翻って、わがアラビア半島横断は、景色はいつも砂漠。砂漠の砂の色が白っぽい、灰色っぽい、ベージュっぽい、赤っぽいという区別があるぐらい。露出した岩、険しい山もあることにはあるけど、全体からみると無きも同然。ひたすら無人の砂漠で街らしいものはなく、あっても交通渋滞で走行による風が体に吹き込まず、砂漠より苦しい暑さになるばかり。千キロも眠たくなるような単調な風景、代わり映えのない景色、料理はチキンの焼いたのか?ラムの焼いたのか?しかも自分ちの田舎でたべる料理とまーーーーったく同じもの。サウジが外食産業がまだまだ発達してないし、しかも、食べる時間もなく走り続けたので食事などあっても無きがごとく。
ホテルはあらかじめ予約していたけど、もう砂漠の中の一粒の砂を見つけるぐらい難しく、旅行で一番苦労したのは予約していたホテルを探し回ることだといえます(だいたい、ホテルに近づくころは体力も限界にきているから、なおのこと泣きたい)。

先に言っときますが、この旅で、「やったー!ついにアラビア横断だ!」と叫ぶシーンは皆無です。

もう、体中埃にまみれ、砂にまみれ、ひっじょーーーーに、汗臭く、打ち身であちこち辛い上に、あせもで体のあちこちがかゆい。寝不足と埃で目は充血して、それでも何かに憑かれたように走った、、という面白くもない記事がつづく、、はず?いやいや、それでは確かに面白くない。しかし、どう面白くしよう、、、

なんか、面白くないとね、私自身もやってらんない!がんばろう?

2013年07月15日

アラビア横断往復 本章1 帰路

ダイビングがおわって、またもや迷いに迷い、ドバイ名物の週末渋滞に巻き込まれ、泣く泣くホテルに帰りついたのが9時すぎ。1時間半でOKの道のりを、4時間ぐらいかかったと思う。

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部屋にもどって、転倒したときにおもいっきりぶつけて腕ベルト部分が壊れたG−SHOCKの時計。腕が汗まみれになるから腰のベルトにつけてたので、転倒時に擦れて、削れて、傷だらけ、、新品なのに。しかし、それでもちゃんと時計は動いているから、さすがG−SHOCKといいたい!腕ベルト部分はジェッダに持ち帰れば修理可能と判断。ふーーー

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携帯電話をみると、ちゃんとオマーンの電話会社にローミングしていたんだ。なるほど、、

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夜中なのに寝付けず、ぼーーーっと考え込む。

よく考えたら、この旅行中、晩御飯を食べたことは一度もないのだ。ほとんど1日1食だった気がする。バイクの旅行で土地の名物料理を食べて、、というのは日本の話、いや私以外のすべての人の話かもしれない。その1食だってポテトチッブスとヨーグルト、、という組み合わせだったりしたから、おいしい料理なんて全然目にもしてない。ドバイで日本食を食べようという話もあったけど、私のスケジュールではとても無理な話。ドバイで私が食べたのは、ツナサンドイッチとコーヒーとバナナとチキンカレーとリンゴと、あとなんだっけ。

これから紅海に面した田舎町の我が家まで帰る。我が家はとおく、3000キロ先、、稚内から石垣島と同じ距離です。はるか、かなた。もう、戻れる気がしない、、だめだ、、

ここからが、本章です。この旅のメインはすべてこの帰路にあるといっても過言ではない。これまでの話は全部、まえがきというもの。エベレスト登頂に成功しても帰路で遭難した人は多い。極地探検でもそう。すべての旅のエッセンスは帰路にあるといえるでしょう。オデッセイの話が何千年も語り継がれてきているのは、あれが帰路だからに違いないです。帰心矢の如しというけれど、早く帰りたい。もう、バイクに乗るのは嫌だ。
そういうことで、帰路は写真が少ないです。余裕がないというか、もう、行きと同じ風景だし、、ということもあるのかもしれない。あの、熱い熱いアラビアの砂漠を1m、1m、1m、進むしかないです。

はーー、ドバイからホフーフまでが最初の旅。あの道か、、、悪魔のような砂嵐にあおられ、国境で揉め、そして走るのか、、、うーん。もう、出発前にはどうやって帰る気力を持つか、、、もう嫌だということはどっかに捨てるべきなのだけど、


アラビア横断往復 第2章14 オマーン

ダイビングの船はダウ船。。。待ち構えてた友人に助けられて船に乗り込む。私が一番最後の客だけど、実は私の直前にも到着したカップルがいて、1時間遅れぐらいしかたない、、というアラビアの実情に感謝。日本だったら絶対待ってくれなかったと思う。

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ボートに乗って、水を飲んで、ライダージャケットも脱いで、何もかも脱ぎ捨てて水着だけになると、爽快感が増す。あーー、もう疲れた、、しばらく休んでいたいけど水中カメラを組み立てたり、おやつたべたり、日陰に入ったり、脱ぎ捨てたプロテクターを片付けたり、それはそれで忙しい。出航前の準備というのができなかったから、船が動き出した今になってからやらないといけない。

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ムサンダムのリアス式海岸の眺めがとても美しくて、写真にとるけどゆれる船の上からでは難しい。

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最初のダイビングポイントについたのが1時間後。いい感じの所要時間です。

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植物性プランクトンの多い時期なので、水中はもやっと緑一色。透明度は紅海のほうがいいですけど、魚の大きさはインド洋のほうが栄養豊富なぶん大きい。そう、ここはインド洋。まあ、オマーン湾といういいかたもあるけれど、紅海でもなく、ペルシャ湾でもなく、インド洋!!!

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うーーん、ダウ船は舷が高くて、はしごも長い!

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2つ目のポイントは洞窟ポイント、感動ものでした。

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2ダイビングでおわり、帰路。

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また港に帰ってきました。

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バイクは、妙に魚くさくてかなわない。ここは漁港でバイクを置いていたのは魚市場の建物の横。

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やった!やっとオマーンまで、紅海からインド洋まで走破を達成することができた!すばらし、、い?
このときはすでにブルー、、これで道のりの半分。なんとこれから同じ距離をはるばる紅海の我が家までもどらないといけないのだ。ばんざーい!というより、「バイクをここで捨てて飛行機で帰ろうか」と真剣に考えたりしていたのだ。出発前にオマーンについてインド洋を見たら感動で泣くかもしれない、、とか考えてたのに、インド洋をみたものの道に迷って、転倒して、それでも場所がかわらなく、確かに泣く泣くオマーンについたのは確かだけど、感動なんてまったくなかった。港につけない「あせり」と港についた「安堵」かなあ。

それでも、勇気を振り絞って、これから熱砂のアラビア半島を横断して、我が家に!!!!とほほ、勇気がでない。あれを帰らないといけないとは。。。。アラビア半島を横断して帰るのは勇気が必要なのではない、義務感というか、乗らないと帰れない、ホテルも予約しているしキャンセル料ももどらないし、、という現実的なことから、一歩一歩もどらないといけないのだ。きっと。

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アラビア横断往復 第2章13 ディバ

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ドバイから山を越えて、マサフィを過ぎて、さらなる本格的な山道に突入。風防が虫と埃でほとんどスリガラスのようにしか見えません。

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ここから、絶景でとてもいいのだけど写真を撮る暇なし。、坂道やカーブに思いのほか時間がとられてしまってあせりだした、、というのが正解。電話に一緒にダイビングする友人から「もう着きました」という連絡があったりして、なかなか着かないのがもどかしい。

やがて、ディバの町。あらかじめもらっていた、ディバの町の地図。

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おおまかすぎて、何の役にもたたん!どころか、この地図のおかげで迷子になったといえる。おかしい、この地図おかしいと思いながらGPSと比べるけれど、この地図のような地形はない。それにGPSもこのへんでは道路はあっても地名や通り名の表記もない。田舎すぎて、そこまで手が回らなかったといえるだろうけど。

私は大きな声で叫びたい!こんな落書きみたいな地図をつくるな!グーグルマップに落とし込め!!!

電話して、現在地と思しき場所をいうけれど、ダイビングショップの人も私がいるところがわからなくて誘導のしようもないみたい。同じところをグルグルまわる。こうなると、携帯電話をスピーカーモードにしてヘルメットの中に押し込み即席ハンズフリーで運転。え?場所どこ?今いるところは?

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国境の町のUAE側で、オマーンとの国境を探す。家が建て込んでて、どこが国境だかわからない!この時点でボートの出航時間を過ぎてしまった。ああ、ここまできてダイビングできないのかという思いがつのったとき、

すってーん、ガリガリガリ

転倒。体は問題なさそう。道路のハンプスをうまく越えられなかったのだ。話しながらの運転はいくらハンズフリーでも絶対やめたほうがいいと心に誓った。横抱きジェリ缶からはガソリンがこぼれるのですぐに閉めて、親切な地元のアラビア人が駆け寄って一緒にバイクを立たせてくれる。ありがとう、ありがとう。
ところで、オマーン国境はどのなのか聞いてみる。なんとか方角がわかる。

もう、泣きながらオマーン国境をめざす。なーーんだ。一番最初に来た道じゃないか。もう少しこのみちをまっすぐ行けば目的地だったのに、どうもおかしいと思ってUターンしたのが間違いだった。もう、どうもおかしいと思わなくてよし!どっちにしろ、おかしくなるのだから、最初から「目的らしいところ」に突き進めばよかった。

国境にたどりつき、パスポートを渡してダイビングに来た!というと、ここじゃない。。。と、言われる。大ショック、しかし、友人に電話で「国境までたどりついたけどここじゃない、、といわれた」というと、「あ、それ私も言われた。わかるわかる、じゃあ、そこから海側に折れたところにもうひとつ国境があるんだよ。そこから入る」と親切な声が返ってくる。ありがとう。

もうひとつの国境、、というところでも揉めたけど、もうこれぐらいの揉め事は問題にもならない。もう、「お役人との揉め」のプロになっているから、こんなもん屁でもない。無事、オマーンに入国。しかし、そこから先がわからん。地図にもないような小さな町、、とタカをくくっていたのだけど、地図にもない大きな町だった。おそらく急激に都市化がすすんだとおもうのだけど、道路をすすんでも、すすんでも、何も無い。もう、港はどこだ。。。行き過ぎて?と思ったので砂利のところでUターンして立ちごけ、、痛い。しかし、何度転んでも、目的地に着かないといけない。

もう、脳みそは場所探しで一生懸命。熱いとか痛いとかまったくどうでもいい世界で、ただあせるだけ。そして、出航時間をはるかに過ぎて港に到着。懐かしい友人が出迎えてくれて、泣きそうだった。

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アラビア横断往復 第2章12 マサフィ

苦労してドバイに着き、ホテルで寝て、翌朝6時に出発。こんな遅い出発ははじめてです。しかし、朝ごはんを食べる時間には早すぎ。これまで泊まったホテルのすべては、「朝食付き」なのですが1度として朝食をたべてません(それは朝3時出発とかばかりだったし)。一度ぐらい食べたいのですが、、無理そう。

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ホテルはドバイ空港の真正面。真正面すぎて入り口がわからないというおまけ付き。

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これから、最終目的地ディバでダイビングをする、、です。今晩もここにもどってくるためダイビングに必要なものしかバイクに積まず、出発。まずは、シャルジャ空港近くの路肩でガソリン補給。どうして、ここはガソリンステーションがないのか、、少なくとも高速道路にはないようです。

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延々と走り続けて、ガソリンステーションを道路の反対側で見つけた。遠くまでいってUターンして、もどってやっと給油。

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9時にディバ集合だから余裕だよね。朝ごはんもゆっくり食べます。

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そして、山道、このやまはオマーン山脈で、ムサンダムにも続きます。

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わあー、なつかしい、マサフィの露天。そうそう、昔もこんなかんじだった。急に30年前を思い出します。ここにくるのは本当に久しぶり、でも町はきれいになったし、大きくなったし、みちがえるよう。

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マサフィはミネラルウォーターの商標にもなっているぐらいで、自然が豊かで地下水も豊富そうです。

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この日の朝は楽勝で行くかと思われた、少なくともこの辺までは。
しかし、大どんでん返し、その後、泣く泣く道に迷い、1時間ほどおなじところをグルグルまわり、疲労困憊して、もうダイビングの出航時間もとっくに過ぎ、道路で転倒し、ダイビングは半ばあきらめるところまでくるとは夢にも思わなかった。



アラビア横断往復 第2章11 ドバイ

タアリーフはマディナザイドから北上してくる道との合流点、とうぜんガソリンスタンドがあってもよさそうなものだけど、ありません。ガソリンスタンドが道の片側ばかりで反対車線からは入れなかったり、UAEは給油に苦労します。もう、熱いし、水はガバガバからだに掛けて、熱中症にならないようにするので精一杯。

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タアリーフからアブダビ市域までがんばって乗ると、急に片側4−5車線の驚くような立派な道路になります。アブダビからドバイの間はずっとこんな感じで、高速でビュンビュンとばしているのに写真をとるチャンスなんてないです。片手運転になるし、アクションカメラが欲しいところ!とはいえ、熱くてクラクラしそうになるのは、全然かわらない。しかも、アブダビに入ってから湿気がまして、体感温度はさらに上昇。

もう早くホテルにつきたい!

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ドバイらしい風景、、わざわざ止まって写真をとる。

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しかし、ドバイ名物の渋滞に巻き込まれてしまう。ううう、、苦しい。早くホテルに着きたい。車列は全然すすまず、バイクだから無理して車の間を抜けていくけど集中力がもう、残りあんまりない。熱いし、、、

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そして、ホテル探しで大苦労。しかも、GPSの電池も切れてしまい、地図を頼りに四苦八苦。ドバイはわりとバイクが走っているけど、バイク宅急便ばかり。しかも、私のと似たようなケースをつけている。おいおい、みんなーー私は旅人のバイカーで、地元のバイク宅急便とはすごい似てるけど違います!ほら、私のはハーレーですよ、バイク宅急便のは中国製のバイクでしょ!といいたいけど、もはや脳内で言っているだけ。

ホテルを探して、もうホテルに入らなくても、そこらへんの公園で野宿したほうがましかもしれない。と。おもったころホテルが見つかった。入り口はわかりにくいし、もう、この旅の最大のネックはホテル探しだとうことが心底わかった。

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この旅最長の1141キロ走破。16時間を要しました。もう、こんな旅は心底したくないと思った超絶難所でした。熱い、熱い、、誰か砂漠の旅について知りたい人がいたら私に連絡ください。もう、プロになった気分です。1億円あげるからこの旅をもう一度してくれといわれても、絶対断ります。体力的に無理です。

アラビア横断往復 第2章10 アブダビ

私の海外でのキャリアはアブダビからはじまりました。今は昔、1984年です。マイケルジャクソンのスリラー、ワムのケアレスウィスパー、カルチャークラブ、それに松田聖子に中森明菜が全盛です。まだ、チェッカーズの名は知られてませんでした。アブダビの名を知る人も、ドバイの名を知る人もいませんでした。ドバイというと赤軍のハイジャックで有名なだけです。そこで2年間働いた後、こんどは2000年代の初めに3年ほどいました。アメリカ同時多発テロ911のニュースはアブダビのテレビで見ました。
なつかしいです。

UAEについて給油すると、値段がサウジの3倍弱。なんて高いんだ!アブダビは産油国だけど、ガソリンの値段がこんなに高いとは!もちろん、なにもかも高かった。しかも、しかも、ガソリンスタンドの兄ちゃんがアラビア語を話さない!しかも、ハイオク95はサウジでは「赤」なのにUAEでは「緑」。おいおい、逆だ、サウジからUAEについたとたんにカルチャーショック!かなりの違いにショック。もちろん、最近ドバイに行ったことあるから、UAEについてわかっているつもりだったのに(しかも5年も住んでたし)、いやいや、陸路で行くと違いもくっきりです。びっくりたまげたことが多かった。

しかし、熱い。当然、国境を越えたぐらいでは気温に差はない。

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道路も貧弱だけど、ところどころ思い出したように立派な部分もあるし、両側に緑がつながる部分もある。

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しかし、困ったのはガソリンスタンドの少なさ。もう、横抱きジェリー缶の活躍しまくり。

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熱い時間帯のうえに単調な道路。しかも休息できるような場所がないうえに、大型のトレーラーばかりなので危ない!ようやくジャバルザンナに到着。

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ここは2回目の仕事で、タワーを建てたのです。こんな砂漠の真ん中で、、よくやったと思う。道路からも見えたので10年ぶりの対面です。このタワーを建てた日々のことは忘れません。

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ここからアブダビまでは土地勘があります。ジャバルザンナの工事で毎日通った道です。タアリーフのドライブインも、ほぼ昔のまま。懐かしい。ここでやっと昼食。

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レストランの人もアラビア語が通じません。まったく通じません。英語だけです。UAEも昔はまだアラビア語の世界だったのに、今はもう英語の世界になったのですね。。。


2013年07月14日

アラビア横断往復 第2章9 UAE国境

ホフーフをすぎたのが朝9時頃。なんといっても朝3時半からでているので乗っている距離は長くてしんどいとも、まだまだ朝なのです。しかしすでに55度超。温度計は55度までしか計れないのでしかたないですが、本当は60度近くあったと思います。こんなところを走るなど大馬鹿です。

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カタール国境まで着ました。

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ペルシャ湾が見えます。ついに紅海からペルシャ湾まで来たのですね、長かった。

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ホフーフからカタール国境まで、ともかく写真を撮る余裕などほぼゼロ。死に物狂いで走った、、というか、ハンドルにしがみついていたというしかないです。しかも、この区間はガソリンステーションがなくて、横抱きのジェリー缶がなければ、絶対に超えられない距離です。転倒したときガソリンがこぼれて危ない、、ということと、ガソリンがなくなって砂漠で立ち往生するということを考えた場合、もうガス欠の恐ろしさを知っているのでジェリー缶を横抱きしてきましたが、これぐらい正解だったことはこの旅にないです。

つぎはUAEとの国境、ここでお昼ぐらい。カタール国境からUAE国境までの写真は文字通りゼロです。風、砂、熱、、、この旅の一番苦しかったのは、このカタール国境からUAE国境までの間でした。ガソリンスタンドもゼロ(記憶にないだけ?)。日陰は皆無、建物もほぼ無しなので休息する場所も絶無。道路はあまりよくなく、つらかった、、

国境を越えるのも、面倒だった。あーー、今は思い出すのも辛いので、また後で書くチャンスもあるでしょう。陸路でサウジとUAEの国境を越えた日本人はあんまりいないはず、少なくともバイクではいないと思う。しかも、こんな盛夏に、、なんて馬鹿なんだろう。

すったもんだの末、UAEに到着。しかし、UAEの道路状況はつらかった。

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みんなUAEといえばアブダビからドバイといったことを考えているだろう、、サウジ国境からアブダビ市域までなど、まるで見捨てられた土地。道路など貧弱そのもの。ここで原発の工事が行われているのはあまりにもあたりまえ。こんな見捨てられたような土地だからこそ建設現場なのでしょう。
日本がUAEの原発を受注しなくて、本当に良かった。こんな場所だと、日本人のいったい誰が建設に来るというのか?会社辞める人が続出して、仕事にならなかったはず。

アラビア横断往復 第2章8 砂嵐

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私のとおったルートは大きくわけると東西に伸びる道路(ターイフからホフーフまで)と、北西から南東に向かう道路(マディーナからターイフ、ホフーフからアブダビ)の2つがあります。
なんといってもしんどいのは、北から南に向かう道路です。季節風か上昇気流かともかく、猛烈に横風が砂嵐となって吹きまくるのはこの方角の道路です。

ホフーフからUAE国境に向かう道路は、まさしく北西から南東に向かう道路。地獄の熱風が砂漠に舞っているとしかいいようがないです。しかも、このあたりは都市もなく、サウジに長く住んでいる人やUAEに長く住んでいる人だって「そこ行ったことがある」というのを聞いたことがないです。

そう、そこは行かなくて済むなら、行かないほうが良いという、超絶すごいところだったのです。しかも、夏至をすぎた6月終わりから7月にかけてなど、大馬鹿だけが行くといっても差し支えないでしょう。しかも、バイクで、、

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写真はマディーナからジェッダに向かう道路ですが、超絶上昇気流のつむじ風が砂漠のいたるところで発生して、道路をよこぎったりします。この超絶つむじ風は場所関係なく、行程のすべての場所で一度に何個も発生して逃げ回ったりしました。

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道路をわたりきったところ。

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砂漠に何本もつむじ風の砂柱が立っているのをみるのは、おそろしいものです(たいがい、発生するときは何本も立ってる)。
あの中に巻き込まれてバイクが走れるわけないです。もーーーっと、ずーーーっと小型であるかないかといった大きさのつむじ風でもまきこまれたらハンドルを取られてこけるしかなかったです。

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下はつむじ風のWiki説明です。「塵旋風(じんせんぷう)」というのが正式な名前ですが、英語のDust Devilのほうが雰囲気がよくでてます。そのものずばりですね。今度の旅は、砂嵐(上昇気流の横に吹く部分)、つむじ風(上昇気流の縦に吹く部分)、季節風の横風という、「風」との闘いでもありました。しかし、最大の敵は暑さでしたけど、、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%B5%E6%97%8B%E9%A2%A8




アラビア横断往復 第2章7 ホフーフ

朝3時半に出発、、

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さっそくリヤド市内で道を間違えるけど、なんとかリカバー。リヤドはジェッダからダンマンを結ぶ道路が一番の主要道路で、その道路に碁盤の目状に町が広がっているので、ダンマン方面にいくのにそんなに間違うはずはないのだけど、やっぱり間違ってしまう。うーん。とりあえず給油。リヤドもこの時間は道路はがら空きです。

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朝、出発前にバッグに白テープで大きく「ジェッダ」と書いてみた。なんとなく、すごいことしてるぞ!という気分が増す。なんといっても、リヤドからドバイはこの旅行最大の旅程で、ここをクリアできればだいたいのことができるというもの。

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しばらく走って日の出、、

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しかし、この後、道を間違えた!けっこうしんどい!、、間違えたのは地図のせい。

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リヤドからダンマンに行く道路とホフーフに行く道路の分岐は、リヤド州と東部州の州境をすぎたところに地図はなっているが、実際の州境はこの分岐よりさらに東にあったのだ。。まったく。つまり、グーグルの地図は、現地の地図を利用しているけれど、現地の地図が間違っていたらグーグルといえどいかんともしがたいということ。どうも、おかしいとおもって「いざというときだけのGPS」をとりだすと、やっぱり行き過ぎている。しかたないので、そのちょっと先にあるバイパスから南下してホフーフに行く道に合流するしかない。

怪我の功名とはこのことで、この道路は交通量もほぼまったく無く(私みたいに道を間違えたひとが使う?)、ごみを落ちてなくて、砂漠もきれい。これまでも、ずーーーーーーっと単調で眠くなるほど砂漠を走ってきたけど、ここぐらいきれいな砂漠はなかった。

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やがて合流道路にでる。

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もう、熱い上に完全に熱中症の症状がでているけど、日陰もないし、水をかぶりながら走るだけ。もう、このリヤドとホフーフの間は超絶すごい。熱い、熱い、もう焦げそう。

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これで焦げないのはジャケットやプロテクターを着込んでいるおかげ。
日本では暑いと薄着するけど、こんな55度を超えている場所では薄着すると火ぶくれの元、もう完全に熱中症にやられるしかない。砂漠では、着込むこと。分厚く着込むこと。当然、肌など1mmでも出してはいけない。つまり、断熱材を使った家と断熱材の無い家の違いで、断熱材を分厚くしたほうが中は涼しいのである!
私の背中のプロテクターなど2重でその厚さ3センチほど。このおかげで、背中がジリジリ焼けそうだったということもなく、快適(ないのと比較すると)に来られたわけです。みっちり着込んだ姿をみて、熱そうという人もいるけど、どっちころんでも砂漠は熱いのでしかたない。だったら断熱を完璧にしておいたほうが快適ということです。

ホフーフの外環道に到着。ここも、ものすごい坂があったり、横風があったり、大変だったけど、ようやくここまで来たね、、

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ホフーフの町にははいらず、外環道からそのまま南下、、いっきにカタール国境をめざす!おおお!(よれよれだけど)


アラビア横断往復 第2章7 リヤド

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赤い砂漠が見えてきたので、おお、もうリヤドだ、、と思ったけど、全然違った。赤い砂漠など、リヤド近くだけじゃなくて、あっちこっちにあったのだ。赤い砂漠が見えてきてからも延々と走り続ける、

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200キロぐらい走り続けるといろんな変な形の岩山がみえてきた、、

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ひといきも、ふたいきも入れないと走れない、もう、頭がクラクラしているけどガソリンスタンドを見つけるたびにミネラルウォーターを山のようにかって、そのうち半分は頭からかけている(もちろんヘルメットは脱いで)。

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そのうち、強烈、奇妙な形の岩山がみえてきた、、

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あれはなんだ!絶対登りたい!ハイウエイから降りて、近くまでいったら、写真撮影不可の看板があったので近くでは撮影できなかった。撮影できないところなど、どうでもいいや。これは「なんとか山」という、有名な山だということ。もう、熱くて「なんとか」がなんだったか2秒で忘れてしまった。
山のふもとにある、山のかたちのランダーバードで記念撮影。

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とはいえ、だんだんリヤドが近づいてきたことは車が増えたことや、家が増えたことで想像がつく、そろそろリヤドの入り口かなあ?と、おもうと、ものすごい坂、こんな坂、どうやってのぼるのだ

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きっとリヤドに入る車がちゃんとした車かどうか、この坂を登れるかどうかでふるいわけしているのだと思った。無事乗り切り(けっこうバイクでも大変だった)、目の前にリヤドの町が見えてくる、、いや、なんにも、砂漠だけだった。結局ここから数十キロはしってやっとリヤド市街にはいり、リヤド市外に入るともう写真なんてとっている余裕はなくて、ただ「ここぞというときのGPS」と地図を頼りにホテルを探す。わりと、簡単にホテルが見つかったようなきがするけど、それはその後のホテルが泣く泣く見つからないで苦労した記憶があるからで、このときは、このときで大変ホテルを探すのを苦労したようなきがするけど、あんまり記憶はないです。もう、早くホテルにはいりたい!早く、いろんな薬をかって「太ももがつる」という事態に二度と陥らないようにしたい。。。と、ばかり思っていた。ホテルはタハシース通りなのでわりと大きな通り沿い。リヤドは若干土地感があるのでよかった。

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夕方4時ごろ着。遅くならない時間にチェックインできたし、薬局も近くだったし、ご飯をちゃんと食べることもできた、、あれ、何食べたっけ?あんまり記憶もなく、ともかく眠かったのですぐに寝た。起きたとき10時間寝てたことをしったけど、寝るときにはそこまでだとは思わなかったです。まあ、前の日寝てないし、ずっと炎天下だったし、こんなものでしょう。しかし、このターイフ>リヤド間はその翌日の、リヤド>ドバイに比べると、全然楽だった。。。と、後で思う。リヤド>ドバイ間の道路は、、、壮絶だった。


アラビア横断往復 第2章6 リヤドへの道

足がつってろくすっぽ寝れなかったけれど、最初の長距離です、朝3時出発。。。の予定だったけど、荷物を積み込んだり、チェックアウトしたり、、とかで実際に出発したのは30分遅れ。ま、しかたないか。

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朝が早いお店、、農業地帯の朝は本当に早いです。

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気温はどんどん下がり5時には18度まで。もうハンドルを握る腕は寒さでしびれてきた、、、
(写真は寝る前にとったので24度だけど、、、5時で19度になっている。実際は寝る前は20度。5時で18度だった)

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こんなに寒いことろがサウジにあるなんて信じられない。夏至のサウジに18度、、暑さ対策しかしてない体に寒風が吹き付ける、、そして夜明け。

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夜明けになったとたん、暑い!どういうことだ?日が差したとたんにこんどは暑さとの闘い。ありえない、、6時なのに、もう暑さでへたばり。とりあえずどこかで朝ごはんでも、、。リヤド=ジェッダ道路はけっこうボロボロな感じの道で幹線という雰囲気は少ないです。そのうち大掛かりな改修があるかもしれませんが、しかたない。けっこうアスファルトも剥がれて小さな穴もある道路です。

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サウジ風ドライブインは3文化混合?足高の長いすというシルクロード風+椅子とテーブルの国際風+床にじゅうたん枡席というサウジ風。どこに座るか考えるほど。

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あとでよく考えると、この旅行で朝ごはんをまともに食べたのは後にも先にも、この1回だけでした。その後はもう朝ごはんどころではない、、というか、朝ごはんがあるような場所がないという砂漠の旅です。
さて、出発、、

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もう、朝の7時には50度に達してお昼近くにはバテバテで倒れそう。もう思い切り熱中症の症状がでてます、この辺で休まなくては、、と、思っても、炎天下の道路に日陰などあろうはずもなく、バイクからおりようが、おりまいが、休めないことに大差ない。次に見えてきたガソリンスタンド、、

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ガソリンスタンドにあった食堂で昼食、シルクロード風高椅子で服も全部脱ぐ、、

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ご飯を食べても立ち上がれない。お店のひとは「お祈りの時間だから閉めるんだけど」、、「もう、立てない。しばらく、このままでいさせてくれ。お店はしめてもいいから、、」ということで、横になったままお店も閉められて、、でも、追い出さないのがやさしいです。

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お昼1時以降はもう、走れない(いや、走ったけど)、横風、砂嵐、熱風、熱中症、もう体が熱くて、飲み水をどんどん体にかけて、ジャケットの内側をズブズブにぬらして走る。30分たつとカラカラに乾くから、また止まって水をかける、水をかける、下着の中までズブズブにする。ヘルメットの中もとうぜん水浸しにしておく、、、頭が熱いと倒れそうだし、、

おお?やがて、赤い砂漠が、、これがうわさのリヤドの赤い砂漠だ。

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2013年07月07日

アラビア横断往復 第2章5ターイフ

山また山のターイフ

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しかし、ターイフの町に入るとそこは、ふつーのにぎやかな町で山の上にいることを感じさせません。

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寝入りばなで、強烈な痛みが!
太ももが両足ともツリました!あろうことか!しかも、場所はふくらはぎでなくて太ももだし!

ふくらはぎのときより痛みがひくのに時間がかかる上、かわるがわるにツリ、治ったかな?とおもっても、またツルし、、
さっそく、インターネットでどうしたらいいのか調べますが、これという決め手はありません。だいたいふくらはぎのツリの直し方とおなじような感じです。、、、で、原因は?

1 普段使わない筋肉の酷使、運動後のクールダウンをしない。
2 太ももを冷やした
3 電解質の不足
4 急なダイエット
などなど

筋肉の酷使はわかります。バイクでひたすら山道を駆け上がってきました。しかも、普段使わない、、というか運動不足なので恥ずかしいほど腹回りにも贅肉がついてしまいました。
疲れてたので、足のマッサージとかもせず、そのまま寝ました。クールダウンなんて余裕なかったです。

冷やした、、ターイフはサウジで一番有名な避暑地です。おかげでホテルの予約が大変でした。どんだけ涼しいかというと、、、じゃーん、20度です。

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昼間のミナは50度を越えていたことを考えると、いっきに30度も下がる。たしかに、筋肉にはよくなさそうです。ターイフが避暑地なのは知ってましたが、「け、どーせ、サウジなんだし、避暑地ってたって、たかがしれてるよ」、、などと思ってましたが、とんでもございませんでした。ほんとうに寒かったです。心底寒かったです。

そして、一番可能性がたかく、おそらくこれが一番の原因ではないかと思ったのが「電解質の不足」。汗がすごいので、水をしこたまのんだのですが、水ばかりでマグネシウムやカルシュウムの補給もまーーーったくありませんでした。ジュースぐらい飲めばよかった。。。。

ぜんぜん可能性が低いのは「急なダイエット」です。でも、翌日から冬眠前の熊のように食べました。もちろん太って帰ってきたわけですが、、、こればっかり気をつけなくてもよさそうな。私にかぎっていうと、急なダイエットが原因で太ももがつった訳ではない!しかし、対応策として食べてばかりいたのは、太ももがツッたことで、なんか「食べてもよい、お墨付きをもらった」ような効果があったのは間違いないです。とほほ。。

こうして、太ももが両足ともつりまくって夜が更けて、また出発する時間がきました。朝の4時に出発。このときの気温は18度!!!!完全な暑さ対策はしてましたが、寒さ対策はゼロです。腕が寒さでしびれてきました。しかし、日の出を待つわけにはいかない。この区間は旅で2番目に長いところなので、涼しいうちに距離をかせいておく必要があるからです。