ふつうのマレーシア人、、といっても、マレー系をとっても、インドネシア各地からの移民とか、改宗オランアスリがマレー化したものなど千差万別。マレー系といっても奥が深いです。加えてマレーシアには中国系、インド系、それにマレー系化していないオランアスリ(しかしマレーシア化はしている)、フィリピン系(サバ州は昔フィリピンの一部だったし)、それにその他いろんな民族構成に、現在の出稼ぎ労働者(中国、インド、バングラデシュ、タイ、ミャンマー、インドネシア、ネパールなど)いて、顔だけみて誰がマレーシア人か?など、全然わかりません。当然、このポルトガル人もマレーシア人なのです。
顔の特徴は、、、、ちょっと見でアフリカ系の人もいる。私はモザンビークで仕事をしたことがあるので少しわかるけど、あの辺の人に似ている人たち。それにインド系だとかしか思えない人。うーん、エアアジア社の一番偉いフェルナンデスさん、あの人に似てる。。と、思ったらフェルナンデスさんのお母様はこのマラッカのポルトガル人だった。似てるじゃなくて、そうだったのですね。それに、白系の顔立ちだけど、どうみてもトルコ人に見える人(ポルトガル人よりも)。でもトルコ人といっても、オスマン帝国の領内の無数の民族が混じり合って、トルコ人もまた千差万別。つまり、良く分からないけど微妙に顔立ちがマレー系でも、中国系でも、インド系でも、無いと言えばいえるという程度です。後ろ姿からは絶対違いはわかりません。
クリスマスの飾りつけが始まっているので、一層わかるのですが、ここはクリスチャンの街。というか村。周囲はずっとクリスチャン関係で固められているし、この居留地には中国系クリスチャン、インド系クリスチャンも集まってます。だから、ポルトガル人街というよりかは、カソリック街といったほうが正確だと思う。じっさい、ポルトガル人たちはクリスタンと呼ばれてるし、、
漁師をしていても現金収入はたかが知れているし、みんなでここを「ポルトガル村」という観光地にして売り出すことにしました。マラッカ政府とかも観光地化を後押ししたのだと思います。なにせ、ポルトガル人のご先祖の遺跡で町が世界遺産となり世界中から観光客も来るのだから、子孫がポルトガル村を作れば大当たり!
ということもなく、気合をいれたポルトガル村(Portuguese Square)も、、、マレーシアのふつうのフードコートにしか見えません。志摩スペイン村を期待してきた人は、あまりの普通のマレーシアの田舎のフードコートなので驚くと思う。マレーシアのフードコートとポルトガル村の違いは、、、頑張って探して、彼らなりの頑張りを評価しましょう。
○
ラベル:マレーシア