The Redang Telegraph

2016年12月14日

Portuguese settlement in Melaka 3 マラッカのポルトガル人街

Restaurant in settlement

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ふつうのマレーシア人、、といっても、マレー系をとっても、インドネシア各地からの移民とか、改宗オランアスリがマレー化したものなど千差万別。マレー系といっても奥が深いです。加えてマレーシアには中国系、インド系、それにマレー系化していないオランアスリ(しかしマレーシア化はしている)、フィリピン系(サバ州は昔フィリピンの一部だったし)、それにその他いろんな民族構成に、現在の出稼ぎ労働者(中国、インド、バングラデシュ、タイ、ミャンマー、インドネシア、ネパールなど)いて、顔だけみて誰がマレーシア人か?など、全然わかりません。当然、このポルトガル人もマレーシア人なのです。

顔の特徴は、、、、ちょっと見でアフリカ系の人もいる。私はモザンビークで仕事をしたことがあるので少しわかるけど、あの辺の人に似ている人たち。それにインド系だとかしか思えない人。うーん、エアアジア社の一番偉いフェルナンデスさん、あの人に似てる。。と、思ったらフェルナンデスさんのお母様はこのマラッカのポルトガル人だった。似てるじゃなくて、そうだったのですね。それに、白系の顔立ちだけど、どうみてもトルコ人に見える人(ポルトガル人よりも)。でもトルコ人といっても、オスマン帝国の領内の無数の民族が混じり合って、トルコ人もまた千差万別。つまり、良く分からないけど微妙に顔立ちがマレー系でも、中国系でも、インド系でも、無いと言えばいえるという程度です。後ろ姿からは絶対違いはわかりません。

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クリスマスの飾りつけが始まっているので、一層わかるのですが、ここはクリスチャンの街。というか村。周囲はずっとクリスチャン関係で固められているし、この居留地には中国系クリスチャン、インド系クリスチャンも集まってます。だから、ポルトガル人街というよりかは、カソリック街といったほうが正確だと思う。じっさい、ポルトガル人たちはクリスタンと呼ばれてるし、、

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漁師をしていても現金収入はたかが知れているし、みんなでここを「ポルトガル村」という観光地にして売り出すことにしました。マラッカ政府とかも観光地化を後押ししたのだと思います。なにせ、ポルトガル人のご先祖の遺跡で町が世界遺産となり世界中から観光客も来るのだから、子孫がポルトガル村を作れば大当たり!

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ということもなく、気合をいれたポルトガル村(Portuguese Square)も、、、マレーシアのふつうのフードコートにしか見えません。志摩スペイン村を期待してきた人は、あまりの普通のマレーシアの田舎のフードコートなので驚くと思う。マレーシアのフードコートとポルトガル村の違いは、、、頑張って探して、彼らなりの頑張りを評価しましょう。

ラベル:マレーシア

Portuguese settlement in Melaka 2 マラッカのポルトガル人街

To know the history

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ポルトガルとオランダの戦い、Battle of Malaka (1641)について詳しいのは下のURL。海戦が主要な部分だったようです。
https://www.wikiwand.com/en/Battle_of_Malacca_(1641)

ともあれ、戦い終わり、マラッカのポルトガルの世は終わりました。
アッパーテンはともかく、アフリカ系ポルトガル人、インド系ポルトガル人、貧しい白系ポルトガル人はよくわかりませんが、いろいろと苦労したのでしょう。この人たちの子孫が現在当地で「ポルトガル人」(正しくはKristangだけど)と呼ばれる人たちです。現代になって、マラッカのあちこちに住んで漁師をしていた「ポルトガル人」は、今のポルトガル人居留区、Portuguese Settlementに集められ、ある意味保護されました。うーん、オランアスリ(アボリジニ)がやはり居留区をもらったのと同じような時期だと思うので、少数民族保護の一連の流れかもしれません。

で、やっぱり生業は漁業です。

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Portuguese Settlementの突き当り、広場になっているところの手前の居留区事務所みたいなところの掲示番、、

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漁船の番号の正しい書き方、、、

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ああ、これね。

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あまりに、そこらへんのマレーの漁村との違いの無さにちょっとびっくりするぐらい。たしかにオランアスリの村といわれても、そこらへんのマレーの村とひとつも違いが無かったのとおんなじ。むしろ生活者として何百年もこの地に生きているのだから、違わないほうがあたりまえか。

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海岸で岩牡蠣をとるポルトガル人おばさん、、

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そのまんま、ふつうのマレーシア人のおばさんにしか見えないし、、、いや、そのまんま青森の八戸の市場に立たせても、全く違和感がありません。

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マラッカのポルトガル人、、ポルトガル人の子孫とは何だろう、、などと期待しても、普通の漁師さん。オランアスリと似たようなもので、保護区にいて、いまなお漁師さんをやっている人たちです。

でも、それだけじゃあ生活が良くならない。そこで考えた。

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ラベル:マレーシア

Portuguese settlement in Melaka 1 マラッカのポルトガル人街

Visited Portuguese settlement in Melaka.

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以前、パレードで会ったマラッカのポルトガル人(現地ではKristangと呼ばれてる)を見て、マラッカのポルトガル人というブログ記事を書きました。が、なんたること、私はマラッカのポルトガル人居留区 Portuguese Settlementを見ずに書いてしまってた。なんたること、実証が無いじゃないか。ということで、マラッカに行ってきました。

(WikiによるKristangの説明はこちら。歴史、現在、命名、言語、多岐に渡った説明です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kristang_people

ポルトガルがマラッカ植民地をオランダに明け渡したのは1641年。

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もちろん、マラッカの世界遺産にこのポルトガルのお城は指定されているし、世界遺産区画にはポルトガル関係の史跡もそこそこありますが、とりあえずそれはしょっちゅう見ているのでもうお腹いっぱい。今回はパス(といいながら、道路からは見ている)。マラッカの博物館にはこのときのポルトガル人とオランダ人の戦いの油絵が何枚も飾ってあります。総じて、ちょうちんブルマのほうがポルトガル側だと思うけど、ちょうちんブルマと長ズボンの戦いで、けっこう城は破壊され、みんな血だらけになってます。

その後、ポルトガル人は辛い目に遭いますが、もちろん世間はカネ次第。ポルトガル人の中でもアッパーテンと呼ばれる(きっと上位1割ということだと思うけど)人たちは、その後のオランダ人ともよろしくやって、その後にきたイギリス人ともよろしくやっています。きっと白人同士とかいろいろあるのでしょうが、こういう植民地の目的は交易で、やっぱりその世界ではお金儲けの上手い人が偉い人なのです。

で、アッパーテンの人たちは、マレーシアが独立するときにイギリス人とかと一緒にどっかにいったりしてますが、残された、、、つまり、ローワーナインティ?の人たちはどこに行ったのかというのが、このマラッカのポルトガル人のトピック。

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ラベル:マレーシア

2016年09月30日

Memanah Melayu マレーシアの弓道部 @ Melaka Parade

Malaysian Traditional Archery.

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独立記念日のパレードはいろんな意味で目が釘付け。マラッカとはこれだ!というショーケースがスタンドに座ったままで次から次へと目の前を通り過ぎていくので、楽だし、発見はあるし、これは見ないと損。

ひときわ目を引いたのが、マレー伝統弓道のグループ。

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博物館で見たよ、、、というレベルが目の前を通り過ぎていきます。すごい。ちゃんと伝統弓道やってるんだ。なにしろ、イスラームでは馬術と弓道はスンナ。あらゆるスポーツの中で偉いとされています。

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検索すると馬上弓もあるみたい。すごいなあ、見てみたい。
どこに行けば、弓を引かせてもらえるんだろう?

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どこで、あの弓道具は買えるのだろう?売ってるところみたことないけど、、、かっこいいなあ。

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Working Cars 働くクルマ @ Melaka Parade

Working cars

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それはもうどこでも働くクルマで人気があるのは警察の車。マレーシアではダークブルーです。ただし、パトカーは目立つ白。

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ここらへんは、日本も一緒。警察といえば、次は消防

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そして、電話局、、Telecom Malaysia

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電力供給はテナガナショナル

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清掃局のパッカー

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水道局

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こう考えてみると、いろんな車に支えらえて社会がなりたってるんですね。そして要人警護。

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私が一番好きなのは、、公認屋台。これはマレーシア中どこも一緒。役所公認のイベント車両で、ハンバーガー屋、クレープ屋、コーヒー屋、、、なんでもあります。イベントで一列に並ぶと結構目立ちます。もちろん、赤屋台以外にも普通の屋台車はあります。

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そして、やっぱり最後は軍人さん。

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いろいろあって楽しめます。

Working Motorcycle 働くバイク@ Melaka Parade

Working Motorcycle and others in Melaka.

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働くバイクがパレードでやってきました。一番馴染みがあるのが、POS、、つまり郵便局のバイクです。マレーシアでは語尾のT, NG, Kなどで発音しないものが多いので、英語のポスト=POSTも変化して、POS。そして、カッコいい1番は白バイ女性警官。カッコいいだけじゃなくて余裕のピース。

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そして、とっても大切な消防署の赤バイ、、BOMBA Fire and Rescue Departmentです。

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ポンプ車もあれば、レスキュー車もあります。

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赤バイ派がBOMB 消火部隊とすれば、青バイ派は? Pertahanan Awam 英語でいうCivil Defenceです。アラビアではこの2つを一緒にして、Civil Defenceと呼んでました。おそらく日本もそうだと思います。でも、マレーシアは別。Wikiによると、Pertahanan Awamのメインのお仕事は、レスキューと捜索。

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地味なところでは農協?のバイクパレード

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そして、マラッカといえばトライショーでしょう

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トライショーのこちらの男性はパレードの名物おじさん。ひじょーに人気でした。

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市役所関連だと思います。駐車禁止の取り締まりをしている人たちかなあ、州によって制服が違うのでマラッカのはよくわからないけど。人気は、、、、みんな痛い思い出があるみたいだし、、。ただし、一部制服組には人気で、カメラをもった制服の人たちが一斉に道路まででてきました。うーーん。

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やっぱり人気なのは軍人さんの迷彩バイク。

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いろいろあります。

2016年09月29日

VIP ? in Melaka 見た目偉そうな人

VIP? in Melaka Parade

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マラッカのムルディカパレードで見かけた、「偉そうに見える人」。本当に偉いのか、見た目だけなのか、それとも見た目でも本当は大したことないのか、全然わかりません。まずは、閲兵しているマラッカの知事さん。確かに、この人は偉そうに見えます。みんな、パリッと一張羅に身を包んでるのに、一人だけ気の抜けた服装です。いや、よく見ると、知事さんもパリッとした服を着ているのだけど、体型と姿勢の悪さで威厳が台無し。
人間、背筋をピンと伸ばして姿勢をよくすると3割はましにみえるから、私も気を付けよう。教訓をありがとう知事さん。

そして軍楽隊の先導者。指揮者の前を歩く人。とても制服が似合って偉そうに見えます。

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市議会の人たち、、きっと偉い人?あるいは市議会で働いてる事務員さん達?わからん。が、旗に文字があって判別可能。このパレードは偉い順に入場するとかじゃなくて、軍とか以外は、ある程度アルファベット順のように民主主義的に入場してきているので、入場の順序で偉いかどうかはわかりません。

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そして、私が選んだ一番偉そうなグループ!

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頭の巻物もひときわ豪華なおじさん、私は「キングオブマラッカ」と名付けました。単なる仮装行列とかだったら嫌ですね。みんな刀もってるし、、

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そして女性たち、、、

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でも、このグループは本当に偉いみたいで沿道を警備している高級士官とかにも普通に友達挨拶しているし、すごそう。

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この、一番偉そうなグループ以外にも、偉そうな人はあちこちで見かけます。

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ただし、プラカードが見えないので、何をやってる人なのか(ただの「民族服同好会」とか?「オーダーメード服仕立て屋協会」とか?)、わからず、とっても残念。

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マラッカの偉そうに見える人たち。本当に偉いといいね。

2016年09月15日

Merdeka Parade in Melaka 4 こどもたち

Many children came to see parade.

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パレードは一杯の人、親に連れられて見に来ているこどもたちも一杯。ちょっと退屈かなあ、と思ったら、すごい熱狂して旗を振ったり、表情が豊かで見ていてこっちまで楽しくなります。

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ちょっと退屈かなあ、、

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どの子もほとんどはお母さんの裁縫の成果のような気がします。

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ここでは布地を買って、家で服を縫い上げる家庭も多いです。昔は日本もそうでした、、いつからだろう?日本で服といえば既製服が一般になったのは?

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かわいい子がすぐ近くにいて、すごく気になります。

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もちろん、子供たちに人気なのは、パレードに参加しているマスコットたち。

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みんな楽しそう、、はっきり言って、子供たちを見ている方がパレードより楽しいです。

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パレードそのものに参加している子供たち、ダンスに参加している子供たちも一杯いました。

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いいなあ。

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Emily Travellers Home マラッカの宿

Where I stayed in Melaka.

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マラッカに来るたびお世話になる宿。Emily Travellers Home。
バックパッカーを中心に人気のある宿で、築100年超の古民家を改造したこじんまりとしたホステル。トリップアドバイザーでの評判も高いです。

町屋独特の奥深いつくりで、亀のいる池、金魚のいる飛び石、、なんだかタイムトリップしたようななつかしさ。

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それに、みんなに愛されているネコのTuah。このネコはNHK TV「世界ネコ歩き」の番組で岩合光昭さんが、こんな美人ネコみたことない!ということで同番組の「マレーシア編」にこの宿と一緒に紹介されています。この番組は基本的に路上のネコの撮影が主体だそうで、この時のように家ネコが飼い主と一緒にでるのはあまりあることではないそうです。
今回行ったとき、なぜかカメラを持つときは必ず隠れていて、まともに撮れなかった、、

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オーナーさんと一緒に独立記念日の花火を見に行ったり、

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特別にケーキを焼いてくれたり、

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とっても楽しかったです!
ありがとう。

2016年09月14日

Trishaw in Melaka トライショー

If you are sad, take Trishaw. It will give you additional happiness.
Rikishaw is an invention by Japanese more than 100 years ago before automobile starts.

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トライショー、、3輪自転車式人力車。マラッカ観光の花形です。
特に夜は、派手な電飾と大音量の音楽で、楽しくなることうけあい。けっして移動の手段ではありません、「遊園地の遊具」が道路を走っている、ワクワクする乗り物なのです。

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場所はフォルモサ。近くにはいろんな世界遺産の名にふさわしい見どころがいっぱい。

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マラッカ観光は夜です。昼間の倍は楽しめます。

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トライショーの男の子向け電飾は、ながらくドラえもんの天下でした。

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、、が、最近 Marvelのヒーロー達(最近、、束になって映画にでてるし)が俄然がんばりだしたし、ミニオンズが驚異の進撃を果たしドラえもん危うし。

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、、これはキティがエルサ帝国の逆襲をうけて危機になっているのと同じく、残念なことです。私にできることは、「キティがんばれ」「ドラえもんがんばれ」ということぐらいです。ちなみに、ミニオンズの全世界興業は世界歴代2位というすごいもので、1位のアナとエルサに迫っています。

マラッカでゆっくり大人の旅、、もいいものです。

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、、、が、けたたましい、エネルギー溢れるトライショーはまた格別です。

Ghost Festival 2 玄天宮のなか

Let's enter the temple.

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裏庭のステージとちょっとの賑わいを別にして、、

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お寺の中は静かな空間。信仰の場です。

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ここはお寺というか民間信仰のお宮(天宮というぐらいだし)です、、道観という言い方もあるようです。
祭られているのは玄天上帝。当地の人気としては天妃娘娘と関帝とで三分しています。調べると玄天はもともと四霊のひとつ蛇と亀が合体したような玄武の人格化(というか神格化)したもののよう?玄武の役割は北の守護、「玄」が「武」で北方を守るということで擬人化されると甲冑を来た将軍のカッコになり、北つながりで北極星信仰とつながって、堂々「上帝」といわれるまで格上げされました。

つまり、もともとは亀みたいなのが、その後、出世に出世を重ねて、最後は天界の上帝にまでなったという、どちらかというと「立身出世」とか「昇進」とかにご利益があるのじゃない?

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ともかく、成り立ちと出世をみると、まったく仏教的なものは見当たりません。道教というか民間信仰一筋のようですが、神仏習合されているのは華人も日本も同じ。傍らにいるのは観音菩薩。

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ここは観音菩薩ではなく媽祖娘娘でもよさそうな気がしますが、まさか天上聖母とも呼ばれる彼女が玄天上帝の下風につくわけにもいかないでしょう。なら、観音菩薩だったらいいのか?とかよくわかりません。

そして左隣にいるのは老人。残念ながら誰だか説明がない、、雰囲気からして道徳天尊=老子のような気もしますが、、誰だろう。

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玄天の足元にも祠があって、ひとつめが地獄ゆかりのもの。外にも同じ像がありました。お盆というのは地獄の縁日のようなものだしね、

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そして、虎爺、、玄天のおつかいだそうです。虎爺公信仰というのもあって、これだけ単体で神様になってたりもしています。

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そして、5色の馬、、これはなんだろう?

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5色は5行信仰とつながっています。ちなみに黒は玄とも書き、玄人と書いて(くろうと)と読むのは、玄=黒だからです。ここ玄天宮はもちろん、黒が一番偉いのです。
いろいろと、お宮の人に話しを聞いたりして、時間をつぶして、それから裏に回って、、、

いわゆる、送り火。盛大に燃えてました、、お金が、、

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このあと集まった善男善女は、お供えものを自宅に持って帰ることができます。みんな米袋とか、果物の箱とか、大変そう。がんばれ、、、

、、ということで、マラッカの限りなく仏教とは関係のないお盆でした。もともと仏教には先祖信仰はないので、日本の仏教のルーツはこのへんなのでしょうね。興味深いです。

Ghost Festival 1 玄天宮のお盆

Ghost Festival in Melaka

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お盆というか盂蘭盆会。地獄にいるご先祖(ご先祖は極楽じゃないのか?そんな悪い奴だったのか?)が、3泊4日ぐらいで子孫のところに帰って来る忙しい旅行だと思ってたのですが、信仰によっては1か月ぐらいのバカンスを楽しめるようです。マラッカで見たお盆は、長期滞在だし、しかも子孫が金銀財宝をしこたま貢ぐというデラックスなバケーション。

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1か月にわたるバケーションも終わり、これから地獄に帰っていきます。わあ、他人事ながら、地獄に帰るとは辛そうだなあ、、さぞ帰りたくないことでしょう。

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ともあれ、お別れの時です。来年までさようなら。

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ご先祖が楽しめて、なおかつ、子孫も楽しめる楽しいお盆。シンガーのステージ。ちなみに、このご先祖様送別ステージはマレーシアの一部ではきわめてアダルトっぽいものとか、露出度の高い服でのショーとかあり、ヒンシュクをかったらしいです。まあ、地獄にいるような先祖ですから、そういう俗なショーのほうが好きなのかもしれませんが、むしろ子孫(つまり未来の地獄の先祖)のほうが好き?

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ここのステージはむしろカラオケショーというほど可愛らしいもので、善男善女があつまりこの調子でいくと、ここに集まった人たちは極楽行きのほうがほとんどだと思います。そして、お供えもの

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旗には、中元の文字が。これは盂蘭盆会だけど微妙に中元も兼ねてて、私にはよくわかりません。

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道中用のお金。地獄での生活用のお金とは別です。芸が細かくて好きです。

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現ナマ、、地獄の沙汰も金次第。もちろん現世もたいして変わりはないようです。

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インゴット、、、これだけあれば1年間持つと思いますが、地獄の生活レベルは良く分かりません。あんまりお金を持たせないで、地獄にインフレを起こさせないほうが子孫としての義務じゃあないですか。貨幣経済の原則です。

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いつまでたってもお金をゴミ袋に投げ入れる作業が続いています。この作業は将来銀行強盗をするときに手際よくやれるぐらいにしか役立ちません。もちろん役立ったらその後は地獄。因果はめぐります。

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とりあえず、玄天宮のほうも見て回ることにしました。

2016年09月13日

Portuguese in Melaka マラッカのポルトガル人

Portuguese in Melaka parade

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マラッカでの独立記念日パレード。パレードの前にいくつかの詩の朗読、音楽、ダンスなどがあったのですが、その一つ。マレーシアを構成するいろんな民族の踊り

マレーシアのイベントではありがちな、「1つのマレーシア」の旗印の下、いろんな民族服をきた人たちが踊ったりするもの、、だいたいは、マレー系、華人系、インド系、アボリジニ系、ボルネオ諸族系なのですが、、まんなかに黄色いシャツに黒いジャケットの体格のよい男性が、、?

かれらが海峡華人Baba Nyonyaと共にマラッカで有名なPortugueseポルトガル人の子孫です。
日本でいう室町時代にマラッカを支配していたポルトガル人は後発のオランダ人と血みどろの植民地奪取戦を繰り広げます。単に支配者がポルトガル人からオランダ人に代わった、、という言葉では言い切れないほどの戦いでした。結果、オランダ人がマラッカを支配することになって、降伏ポルトガル人は悲惨な目に遭います。

、、、で、ポルトガル人の子孫??500年前の?まだいたの?という質問をマラッカの友達に矢継ぎ早に質問です。

「もちろん、ポルトガル人の子孫はいるよ。彼らは大切なマラッカの観光資源だしね」
「おいおい、資源とか言っていいの?観光客向けのダンスとかを世界遺産広場とかでしてるんだよね」
「そうそう」
「500年もいれば土地に同化して、見た目もマレー人じゃないの」

「いや、そんなことはない、彼らは真っ黒だからすぐわかる」

は?ポルトガル人はいわゆる白人だから黒くはないだろう??それに彼らは何しているの?海峡華人は大勢の中国人がマレー移民してくる前から交易を主にしていた人たちで、先住の利を生かして今ではマレーシアのエスタブリッシュメント。すんごいお金持ちとか、いわゆるセレブの人たちが一杯います、、で、ポルトガル人の子孫はさぞや似たようなお金持ち?

「いや、そんなことはない。彼らはだいたい漁師だよ」

は?ポルトガル人の子孫はマレーシアで漁師?固まって暮らしおさかなを取って生計を立ててる??なんだかイメージと全然違います。友達はふつうの市民で、そんなに詳しく知っているとも思えないし、さっそくネットで検索したところ、、(下の写真はウエブ上にあった写真)

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おお、確かに肌の色は黒い、、もちろん若干白い人(パレードの男の子みたい)もいるけど、黒いというのはそのとおり。そして、思い当たったのが、当時ポルトガル人が連れてきていた奴隷とか使用人とか言われる人たち。

Wikiから織田信長に献上された黒人の弥助について
(引用はじめ)弥助の出自については、フランソワ・ソリエが1627年に記した『日本教会史』第一巻に記述がある。イエズス会のイタリア人巡察師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した際、インドから連れてきた召使で、出身地はポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)であると記されている。ヴァリニャーノは日本に来る前にモザンビークに寄港した。(引用おわり)

日本にも連れてこられたぐらいなので、マラッカにも一杯アフリカ系の人たちがポルトガル人に連れてこられたわけだろうし、オランダ人とポルトガル人の戦いの後、白人系ポルトガル人と黒人系ポルトガル人使用人は別々の運命をたどったのかもしれません。オランダ人が黒人を徹底的に駆り出したとかなさそうだし、逃げるに任せた末、、現在は漁師となっている、、のだと思います。平家の落ち武者というか、隠れ里というか、、。もちろん、彼らは地元マレー人からはポルトガル人と呼ばれながら。

、、、で、気が付くとこのマラッカパレードの各民族の中にオランダ人やイギリス人が含まれてません。あくまでもポルトガル人だけ。なんでだろう、、?

オランダが植民地にして奴隷や使用人を駆り集めたのはインドネシア。私は南アフリカのケープタウンのインドネシア系の人たちに会ったことがあります。南米のスリナムとかガイアナとかでムスリムの割合が高いのはインドネシア系の人たちがオランダ人と一緒に入ってきたからと聞いたことがあります。で、マラッカにもオランダ人はインドネシア人を連れてきたのかもしれませんが、なにせマレー系とインドネシア系はほぼ同じ、、そうでなくても普通にマレー半島とインドネシア諸島の間で交易などが盛んなので、誰が一体マレー人で誰がインドネシア人なのかわかるはずもありません。だから、それらの子孫は自然とマレー社会と同化してわからなくなったというべきなのでしょう。

オランダ人を駆逐して血みどろの戦いの末マラッカを占領したのがイギリスで、彼らの使用人はインド人。それに香港を窓口とした中国人。連れてこられたばかりじゃなくて、交易や移民としてどんどんやってきました。うーーん、これはわかりやすい。いまも一杯いるしね。

つまり、ポルトガル人がアンゴラやモザンビークから連れてきたアフリカ系の人たちが、その後のインドネシア人(同化してしまった)と、インド人と中国人(今も普通に一杯いる)とくらべて数奇な運命をたどったというのでしょうね。ちょっとびっくり。

2016年09月09日

Merdeka Parade in Melaka 3 マーチングバンド

Many marching bands marched, so beautiful.

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パレードでやっぱり呼び物といえば、マーチングバンド。マレーシアは鼓笛隊というかブラスバンドというかマーチングバンドが盛んです。中学校とかでもふつうにマーチングバンド部があって、以前私が住む町でも住民を集めたチャリティコンサートがあったのですが、中学校の校舎修繕とマーチングバンド部の楽器購入が目的でした。

朝も早いので、みんな眠そうに集合場所で練習。単なる行進の人たちはダラダラしているけど、マーチングバンド部は直前まで練習!えらいです。

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パレードはもちろん、マラッカの軍楽隊がトップ。

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そしてその後、適当な間隔で行進の間にマーチングバンド部が入ります。まずは指揮者、、かっこいい。

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その後がドラムス。特に4連ドラムがあるところは見応え十分。

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大太鼓、、

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一列でそろうと見事です、、

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みんなキリットした制服でかっこいいのですが、中にはラフな隊も、、

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このラフな隊は、ドラムスの後に吹奏楽隊が続かず、太鼓だけ?いやいや、なんと旗隊が続いてました。

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ちょうど私たちの前は、すぐ隣のVIPのテントのためちょっとタイミングを整える場所になってしまい、ドラムスは勢いがあるものの、クラリネットやサックスといった吹奏隊が吹いているのもあれば、息を整えるため「構え」の姿勢のまま通り過ぎていくものもある、、、

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なかには風船を用意した楽隊もあって、凄い凝り過ぎ?

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吹奏部隊がないといえば、こちら。

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伝統の太鼓隊です。結婚式とかで新郎新婦が登場するときには欠かせません。私もやりたいなあ。

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マーチは続く、なんと3時間ぐらい続いたのですから、マラッカ中の人が歩いているのかと思うぐらい。


Merdeka Parade in Melaka 2 戦闘女子

Many military and police people in Parade.

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パレードの花形は兵隊さん。その中でも華やかなのはやっぱり女性でしょう。
聞くところによると、迷彩女子萌えというジャンルがあるそうですが、本物の迷彩女子とはこのことです。迫力が違います。凛々しくてカッコいいです。ただし、あまりにも迷彩がすごくて、良く見分けがつきません。

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ヘルメットの代わりにベレーの部隊。兵隊さんのパレードはじつは列の一番最後だったのですが、ここでは一番最初になってしまいました。

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こちらは、警察の部隊だと思います。この人たちも、朝マックを食べてました、、パレードだとキリっとしてすごい。

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マレーシアの制服は軍服に例ととったものが多くて、どの部隊が軍人さんで、どの部隊が軍人さんじゃないのか良く分かりません。こちらは士官学校、幼年学校の生徒さん達。

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あるいは警察学校かもしれない、、

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色からみて、なんとなく消防学校のような気もします。

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写真を一杯とったけど、距離がありすぎて、あんまりうまく写りませんでした。残念。
みんな凛々しくて、すごい誇らしいのがよくわかります。

2016年09月08日

Merdeka Parade in Melaka 1 独立記念日@マラッカ

I went to Melaka to watch Merdeka Parade.

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久しぶりのマラッカで、独立記念日のパレードを見ることにしました。
当日は、朝早くからパレードに参加する人たちが続々集結。

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朝ごはんを食べに唯一開いていたマックに行くと、、、

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鉄砲担いだ兵隊さんだらけ、、みんなパレード参加前に朝ごはんの列。今日は絶対強盗とかこの店に来ないと思う。私は兵隊さんだらけの中、美味しく朝ごはんを食べて、、

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いざ、パレード見物に出発!

2016年02月21日

Heart of Penang ペナンの奥座敷

Really I enjoyed Penang Botanic Gardens where local people loves.

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ペナン山を登っても、なんとか寺でも、いや、別にペナンに限らず、、観光地には観光客ばかり。地元の人なんて、ほっとんどいません。聞こえてくる言葉もベンガル語とかミャンマー語とかが主流です。私的にはそういう観光地には興味がありません、ペナンに来たなら、ペナンの人が愛するところを見てみたい。

ペナンの人、、最初にペナンに着いたとき、「ペナンの人はなんてよそよそしいんだろう?」
パハンの濃厚な人情に比べたら、冷淡といってもいいほどです。が、よく考えると、日本でも田舎から東京に来た人が、「東京の人は冷たい」と思ったりするのと同じですね、ペナンは都会趣味があって、あっさりした人間関係というものなんでしょう。別にペナンの人が冷たいのではなくて、世界中どこでも都会にありがちな人間関係と考えた方がよさそうです。

そのペナンの人が愛する場所、、みつけた。

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ペナン山の登山口となったBotanic Gardensは、まさしくペナンの奥座敷。ペナンの人の憩いの場、そして多くの人たちの思い出の場です。観光地の「どうだ!見て見ろ」的なものほとんどないです。駐車場に結婚式の車が何台か置いてあったので、なんだろうと思いましたが、、、

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なるほど。結婚式が終わると新郎新婦は結婚装束のまま、この公園に来て、綺麗な花や公園を背景に写真をとるのですね。気の置けない友達や、プロの写真家とか、ものすごく楽しそう。

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私が訪問した時間だけでも、なんと6組が同時に植物園の中で思い思いに写真撮影にいそしんでました。ほんとうにきれいな場所は、新婚カップルの撮影順番待ち!

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もちろん、新婚カップルじゃなくても、植物園は楽しめます。ここは入場無料なので、一歩中に入ると、ジョギングやウオーキングをする人たちが一杯。

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ベビーカーを押す家族づれ、友達同士でも、みんなで花をみたり、そぞろ歩いたり、

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植物園は広大です。全部を回ろうとすると、かなりの脚力が必要。

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植物園のゲートの外にも、植物園は続いてます。日本庭園も、ゲートの外

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ただし、日本庭園は本格的じゃないです。Bukit Tinggiの日本庭園の本格派に比べたら、外国人がなんちゃってでイメージした日本庭園の域は越えません、カイロの日本庭園レベルです。ある意味、Bukit Tinggiの日本庭園が秀逸すぎるのかもしてません。

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それにしても、植物園の各ゾーン、ゲート外の水生植物園、いろんな庭園、湿地ゾーン、本当にきれいだし、落ち着きます。

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ペナン行で一番思い出に残ったところは?と聞かれたら、迷わずにこのPenang Botanic Gardens 植物園と答えます。観光ガイドには載ってない場合が多いです、なんといっても観光地じゃないですから。でも、これほど心温まる場所は、ちょっと見かけませんでした。

2016年02月17日

Penang 7 Trecking 2nd day (II)

On the top of Penang Hills.

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ペナン山の頂上は、ケーブルカーで楽々上ってきた観光客でいっぱい。元気もいっぱい。
へとへとな目つきの私は微妙に違和感満点の雰囲気です。

頂上にもいろんな建物があるのですが、もう一歩も歩く気がしません。とりあえず、何か食べたい、、もうお昼の時間だけど、律儀に朝ごはんが食べたい。お!甘いものやさん。

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それにしても、英語とアラビア語。ふつうだったら、英語の他にはマレー語から中国語かタミール語だよね、なんでアラビア語。

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よっぽど、アラビア人観光客が多いのか、それともセルフサービスというシステムが理解できない未熟なアラブ人が多いのか?ともあれ、このカリグラフィーには恐れ入ります。なんで甘いもの屋さんに、こんな場違いな達筆の、、「セルフサービス」の文字。。。さすが、ペナン。文化です。

マンゴ尽くしの甘いものを食べてカロリー補給。栄養はともかく、カロリーは3食分ぐらい補給できました。とってもおいしかった。これを食べるだけでも山登りする価値はあります。

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朝ごはんとして甘いものを食べた後は、お昼ごはんとして、ペナン名物料理のなんとか麺というのを食べないと、、、友達からペナンに行くなら、これは名物だから食べないといけないよと教えてもらった、、なんとか麺。全然名前が思い出せない。まあいいや。昨日はMee Udangを食べたことだし、あれがペナン名物ということで全然OK。なんとか麺は思い出さなくてもよいことにしました。

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ずいぶん昔にブログを書くなら、食べ物のこと、食べ物のレシピを書くといろんな人に読んでもらえるらしいというのを聞いたことがあります。すみません、私は食べ物の名前を覚えられないうえに、「おいしい」「辛い」「なんか変」の3つぐらいしか評価できないし、そもそも普通の人はあんまり知らないサウジ料理ならともかく、観光客が多いばかりでなくリピーターやファンの多いマレーシアの料理については、「あー、きっととっても詳しいブログがいっぱいあると思うよ」。。。。

なんとか麺を食べたつもりで、普通の麺をたべて、ちょっと山頂散策。
ここで恋人同士が名前や願い事を書いて鍵をかけると、なんかいいことがあるらしいです。ちゃんとハート型の南京錠も売ってます。ここでも、アラビア語多し。すごい。マレーシアはアラブ人に人気があるのは良くわかりました。

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自然にくっつくベンチ。いいなあ、いいなあ、欲しい。

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山頂まで自転車で来る人もいるんだ。確かにジープロードで自転車とすれ違いました。今日は、お正月ということで、華人系のひとは家族や親戚とお正月の朝を迎えているので、こんな山頂までのこのこ来る人は少ないです。お正月というには、人出が少ない山頂。

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さすがに下界とちがって、やや涼しくて気持ちがよく、花も多いです。

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意を決して山下り。主にジープロードを使って下ります。早い、、足も早歩きだし、、、でも、角度が急。来るときに「なんでこんな急斜面なんだ」と思ったところは真っすぐ降りられずに後ろ向きに降りる格好となりました。靴の中敷きがすべって全体重がつま先にずれ込んできて、足が痛い。降りるのは息が切れないけど、足が痛い。だんだん距離がでてくると「ふくらはぎ」じゃなくて、「すね」が筋肉痛で痛い。上りは息が切れる、下りは痛みがすごい。上りより、よっぽど、下りのほうがしんどかった。

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ともあれ、降りる。降りる。痛さを無視して、その気になれば、いくらでもスピードはでます。転がるほうが早いかもしれない。。。とか、いろいろ思いますが、道を迷うことなく、ジープロード入口まで降りることができました。

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もう、歩けない。植物園で体力回復まで待ちます。








2016年02月16日

Penang 6 Trecking 2nd day (I)

Trecking to the top of Penang hills.

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2日目。この日は正月。あけましておめでとう!初日の出を見るために山に登ります。が、ムーンゲートあたりでもうあたりが明るくなってきました。誰か一緒に行けそうな人???誰もいない。。。

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誰もムーンゲート近くにはいないため、ジープロード入口に移動。おお、いるいる。山登りをする人が一杯。ただし、誰もが軽装なので途中でUターンする人が多いみたい。

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しかし、、、なんという急な坂!なるほど、ジープしか登れないからジープロードか、、って、歩く人も相当に苦労します。入口から山頂まで約5キロ。もうちょっと距離が伸びてもいいから、こんな急な勾配は止めてくれと叫びたくなりそう。

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2キロ地点でダウン。少し休まないと倒れる。あり得ない角度です。私もマレーシアに来て、何度かトレッキングしましたが、これはひどい。こんな道、よく作る気になったと感心するほどの急角度です。

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ようやく終わりの見えてきた4キロ地点。もう、とっくに夜は明けてます。いつ日が昇ったのか全然気が付かなかったよ。で、道路に何やら矢印??Topはこちら?

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こうして、もう少しで山頂だったのに、騙されて山を下りていく脇道に入り、しかもその先、迷子になろうとは。。。ありえん。こんな矢印、、ありえん。

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脇道に入ると、すぐに緩やかな道になりました。平坦か、ちょっと下り気味。はて?トレッキング地図と見直しても、自分がどの脇道にいるのか良く分かりません。。。というぐらい、脇道が一杯あるのです。

ただし、これはダートじゃなくてコンクリート製の立派な道(ただし狭くて車が通れるようなものじゃないみたいだけど)なので、どっかにつながっている脇道としては幹線(?)なはず。実際、バイクですれ違った人もいました。わかったのは、この山の中腹にいくつかある個人の別荘につながる道だったようです。
ともあれ、そんなのがわかったのは翌日地図をいろいろ見直したからで、この時点では、何が何やらさっぱりの状態。まあ、いいでしょう。いつも通りの展開です。

途中で、奇跡のように美しい蝶にも出会えたし、、

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さらにまっすぐ行くと、おおお、ケーブルカーの橋脚じゃないか?

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近づくと立派なケーブルカーの駅がすぐ近くにあることが判明。

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近づいて、駅名を確認して、ようやく自分がどこにいるのかわかりました。ホッと溜息。それにしてもケーブルカーはかなり急な角度で登っているのですね。。

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何台か通るケーブルカーも写真に収めて、撮り鉄魂を全開します。

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ちょうど、保線の駅員さんも来たので、山頂までの道を訊きます。どうやら、鉄道に沿って登る登山道を教えてくれたようです。ありがとう。。。。

。。。って、これがまた、ケーブルカーの角度なんて全然緩やかじゃないか!と思うほどの急角度。しかも、これまでのコンクリートの道と一転して、ジャングルトレッキング全開の道。

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両手両足。場合によっては両ひざをつきながら登ります。有難いことに山頂までの矢印があちこちにあって、迷わなくて済みます(さっきは矢印のせいで迷ったことを忘れてた)。

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どっかの別荘の横からコンクリートの道になりました。が、これは道なのか?壁なのか?この間、Mad Warriorゲームしておいて良かった。完全な障害物。道のように見える壁なのか?

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これは両手、両ひざで上がるしかないなあ。と、思ったら手すりのとこに足がかりが出来てる(通常なら階段というのだろうけど、これはボルダリングの足がかりとしか言いようがない)。この足がかりと手すりで斜面を攻略。こういうのが、いくつかあったり、ダートロードになったりして、ようやく山頂。これはしんどかった。

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ほーっとするよね。

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山頂で休憩。あとは、降りるだけ。。しかし、降りるのは登りの3倍辛いということにまだ気が付いてなかった。

















2016年02月14日

Penang 5 Trecking 1st day

Go aroung Youth park and Botanical Garden to find entry point to Peneng hills.

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いよいよペナン山を上るトレッキング、、の入り口探検。Web上にはさまざまなトレッキングルートが載っています。ジャングルの中で私が良く知っているのは、ともかく迷いやすいこと。RaubのHulu Dongの強烈ジャングルトレッキング(山ヒルがものすごい)、その他、地元の山に至るまで、入り口の道は太いけどその先は枝分かれ、枝分かれ、枝分かれ、しかもどの道も太さがおんなじぐらいで、どれももっともらしくて、そして最終的には迷子になります。ジャングルの踏み分け道の恐ろしさは良く分かっているので、これで間違いないという道以外は全く眼中にないです。
こうやって、山登りに1日をかける前に、ルート選びに1日かけても全然惜しくはありません。

良さそうなルートは4つ
1 ケーブルカーに沿って登る道
2 公園内のミニチュアケーブルカーの横から登る道
3 ムーンゲートから登る道
4 ジープロードから登る道
このうち1番以外は似たような場所が起点となります。

ケーブルカー入口は早い時間にバイクで行ったのだけど、有名なお寺の近くでバイク駐車スペースでセキュリティ上良さそうな場所はありませんでした。残念だけど、ボツ。後でわかったけど、このルートが一番勾配が急でかなりシンドイようです。
2,3,4の入り口を探しに出発。

熱気球会場から遠ざかり、

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公園に入ります。とっても静かで落ち着いた地区。キリスト教墓地エリアです。

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そうして、ユースパークに入って、

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とっても大きな自然を生かした公園です。東京だと光が丘公園とか駒沢公園をイメージするとぴったり。広い敷地内をいくつかのゾーンを分けて、いろんな用途に使っています。

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花や滝のある散歩ゾーンが特に良かった、、、

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この奥にあるのがミニチュアケーブルカー脇の登山道入り口。うーーーん。ひとけの無い登山道で、奥は真っ暗。そもそもこのあたりはユースパークの中でも施錠できる門があるところで、登山開始は暗いうちに予定しているのだけど、門が開いているのかわからない。ちょっとやめた方がよさそう。

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そして、テクテクとユースパークから植物園の間ぐらいで、ムーンゲート発見。

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ジャングルルートの中では、このムーンゲート登山口が一番人気があります。風情もあるし。さっそく入口から歩いてみます。。。。どうやら、山中のかなり低いところでミニチュアケーブルカーのルートと合流しているよう。まあいいや。明日は中国正月の日。山頂で初日の出を見たいという人たちがこのムーンゲートを使っているようであれば、一緒に上ろう。ともかく、ジャングルルートは誰か経験者と一緒に上るのが一番だし、一人ではいくら地図があってもあんまり乗り気しないなあ。

植物園まで来ました。ユースパークと植物園はつながっていて、この2つとペナン山全体で風致地区を形成しています。狭い島の中の、とっておきの奥座敷です。

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いろいろ見どころ豊富だけど、目指すはジープロード登山口。この道は舗装道路で山頂のレストランとかお土産屋さんとか別荘とかに行く人の通勤路にもなっています。山頂に行く道としては最大のメインロード。

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そして、発見。入口に詰所もあるし、アスファルト道路というのが難だけど、ジャングルルートで迷うよりまし。トレッカーも多そう。これで、登頂はジープロードに決定!

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明日の山登りが楽しみです。とはいえ、この日歩いた距離は15キロ。GPSが間違えて熱気球会場に案内してくれなかったら10キロで済んだはず。ちょっと足は痛い。がんばれ。今日は大晦日。年越しディナーとか考えてたけど、疲れ切って、最初に目についたところでひつじ年最後の晩餐。

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Penang 4 Hot balloon 熱気球大会

Penang Hot Balloon Festa 2016

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トレッキングの1日目。まずは市内から植物園までの10キロ。。と予想したけど、結論から行くと15キロぐらい歩くことになりました。いつも通り道に迷ったのです。

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今回は車載のGPSに充電器を装備してウエストポーチに入れるという重装備。とことこ歩いていると、なにやらゲートが?

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ここで熱気球の大会が行われます。もちろん!これも偶然の出会い。だいたい、昔は私も綿密に計画を立てて、いろいろ準備して旅行に出かけたのものですが、最近は計画なんて全然立てなくなりました。行きあたりばったりの旅です。これも、せっかく用意したガーミン車載GPSが「間違った道を教えてくれた」おかげです。
ありがとう、君の寄り道には感謝するよ。

まだ大会準備中で、ゲートと反対のほうに歩くと子供たちの描いた絵の気球がたくさん!

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可愛いよね。こういうの大好き。熱気球の絵とわかって描いたわけではなさそう。楽しそうな家族と海水浴の絵もあるし。

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大会当日の出発は真っ暗な中なので、明るくなった着陸ポイント側での写真です。

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熱気球の写真は難しくて、だいたい朝凪の時間で真っ暗だし、日のあたる時間だと逆光だし、遠いし、高いし、、上手くいったためしがありません。が、今回は朝焼けがきれいに透過光のように透き通って、しかも着陸のため高度を落としてるし、近い。本当に近い。

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乗ってる人が私に気が付いて手を振ってくれます。

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熱気球も立派なゴンドラのあるものばかりじゃなくて、一人乗りのパラグライダーのパラシュートの代わりにバルーンが付いたような小型のものもあるみたい。

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ゆっくりヤシの向こう側に降りていきます。

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よく着陸ポイントで構えてるって計画立てたよね、、、って、これも偶然です。走っていたら熱気球が目に飛び込んできたので、あ!そういえば、、みたいなノリです。偶然、、、恐るべし。

Penang 3 Island

Penang is famous for its mixed culture.

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戦争博物館というか、要塞遺跡公園を過ぎてまだ南下。目指すはペナン島の最南端。ここに何があるのか?と聞かれても良く分かりませんが、バイカーとは先端の岬を取りあえず目指すものなのです。

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着いたところには、名物 Mee Udangつまりエビ麺がありました。これが目的なのか、、?と聞かれたら、えーっと、着いたらたまたま名物があったというのが正解です。

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お店はこんなかんじ。

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島の最南端散策。

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それからホテルに戻って汗を流して、また出かけます。こんどはバイクを置いて歩き。
ホテルの周りは、たぶんそういう地域なのでしょうが宗教関係の施設がたくさん。ほぼすべてのキリスト教の諸派勢ぞろいです。救世軍もあるし、

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YMCAもここにありました。

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また、ペナンは老後を過ごす外国人を積極的に受け入れているので有名。日本人観光客もマレーシアといえばまずペナン。老後の海外移住といえば、まずペナンというぐらいです。近代的な建物もいいけど、こういう歴史のある洋館だと、老後を過ごしてもいいなあ、、、

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2016年02月13日

Penang 2 Penang War Museum ペナン戦争博物館

Visiting Penang War Museum Rilics. Fort in old days.

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きっとペナン戦争博物館、、、と聞いてイメージするものと、この戦争遺跡はかなり違います。この記事を書く前に、ペナン戦争博物館に関する和文の記事をいくつか検索したのですが、なんだかどれも私の実際に行ってみたイメージと違います。
まず、この「ペナン戦争博物館」は民営で、戦後長い間打ち捨てられていた要塞跡を個人が買い取り、きれいに修復して展示しているもので、展示物はそのもの「要塞跡」です。博物館フリークの私としては、まず博物館はその意図を正しく理解することが必要なのですが、入り口にちゃんと「War Museum Relics」とあるようにここは遺跡公園。出土品を通路に沿って展示しているというのが見たまんまだし、実際だし、運営者の意図そのもの。


出土品以外の展示物については、そもそもペナンと関係ない写真があったり、記事があったりするのは「場を盛り上げよう」とする運営者の頑張り部分で、

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(ゲート前。私のバイクと深山爆撃機の絵。ちなみに深山は試作機だけで制作をやめ、量産していない)

宝飾博物館と違って戦争博物館というあまりビジネス的に潤わなさそうな題材を選んでしまった運営者の気持ちを察します。なので、少しでもお客を呼びたいところが、わあ、いきなりペイントボールが楽しめる。本物の要塞跡でペイントボールとは本格的?

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だったり、ナイトミュージアム+スリラー屋敷的な「要塞跡ナイトツアー」もあり、こちらのアトラクション(怪物、幽霊だとか、絞首刑台、ギロチン他)も、普通に展示コースの中にあって、戦争博物館だと思ってみてると「な、なんだ、いきなり、こんなのが」と驚くことにもなります。ウエブ中には、ナイトツアーの出し物を、博物館展示と間違えている人もいるようです。幽霊とかギロチンとか、、出土品とは関係ないです。
もともとこの要塞跡は「呪われた場所」としてペナン中で有名な場所でしたから、むしろこのナイトツアーのほうが、本業なのかもしれない。

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つまり、(あんまりパッとしない)要塞跡アミューズメントパークなのかもしれません。だから、ここで、この記事は事実ではない!とか、戦争と平和のありがたさを考えよう!とか、あんまり深く考えてはいけません。頑張り部分は、素直に楽しめばいいのです。
戦争について見たければ、コタバル戦争博物館やマラッカの博物館に一杯いろんなものが展示されてました。国公立の施設ですから、いい加減なところはないです。

ペナン要塞跡博物館として見ると、、ペナンに英国が入り込んでこの場所に観測所が設けられ

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眼下に対岸が見渡せるこの場所は、危機が訪れるたびに軍事的な色を帯びてきます。

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ゲートを通って、

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イギリスが対日戦争必至とみなしてからは要塞化が急ピッチで進みますが、結果として日本軍がそのまま接収することになりました。だから、日本軍が太平洋戦争中に使ったとは言っても、要塞の基本構造や砲台、建物、弾薬庫などはそのまま英軍が作ったものです。

ゲートからの通路に

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出土品が展示されています。

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そして弾薬庫から外に抜ける通路、、

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うへーー、また障害物競争だ。

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はしご、、

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外はこちら。

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目の前が防空機関砲の台座でした。

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砲台の跡、、

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砲弾の一時置き、、だそうです。

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要塞跡は、下関で一杯見られます。関門海峡は幕末から第二次世界大戦終了まで日本の要塞化事業のトップランクにあり、幕末の下関砲台事件で有名な砲台から、明治期の要塞、昭和初期の要塞、終戦間際の要塞など歴史を感じさせますが、この英国式砲台も下関要塞とよく似た形状です。ある意味、要塞というのはあんまり代わり映えしなものなのかもしれません。

海側は砲台が幾つもあるのですが、山の内陸側は兵隊さんの宿舎や事務所になっています。もちろん分厚いコンクリート製ですが、、、

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バケツ式トイレ、、なんだかなあ、、

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英軍置き土産のオルガン

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調理室、かまどの跡

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連絡塹壕の跡、、ううう、この間の障害物競争を思い出す。

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要塞建築として非常に興味深かったです。英国式トーチカが入口にいくつかありましたが、シンガポールの手前にあるチェックポイント用トーチカと全く同じ形状。しかし、こんな要塞にどれだけお金と手間暇をかけたか考えると、生産性皆無の馬鹿らしいにも程があります。平和が一番。

それに、、

なぜ、こんな戦争遺跡がそのままの形で、たった30年前まで保たれてそのまま戦争博物館になったかというと、日本兵の悪名が高く「呪われた場所」ということで戦後も幽霊や祟りを恐れて地域住民が立ち入らなかったからです。ある意味、どんなひどいことがあって、人々がこの場所を恐れるようになったか考えないといけないですね。

Penang 1 ペナン

After Cameron Highlands, safely entered Penang Island.

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キャメロンハイランドは思ったより奥行があって、本当に通りすがりの場所にしておくのはもったいないぐらいだったのですが、先を急ぎます。この時にテールライトが故障して、後ブレーキライトと常時赤色灯が作動しなくなったのに気が付きました。前ブレーキしか光らない。こんな危なっかしいことでは夜間運転は危険なので日があるうちにペナンに着かねば。

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とはいっても、中国正月で帰省ラッシュの最盛期。ハイランドから降りて高速に乗った途端に渋滞に巻き込まれました。先頭も見えないぐらい超渋滞です。だいたいKLからIpohまでとIpohからPenangまでが同じくらいの距離なのですが、まだIpohにもたどり着けてないのでKLから道半ば。とほほ、、、

、、しかたないので、よほどのことがない限りやらない、「すり抜け」開始。日本では合法か違法かグレーなので私は追い越しというか車線間すり抜けはしません、第一危険だし。だけどマレーシアではおそらく合法なのだと思う、普通にすり抜けしている。すり抜けは危険なので止めたほうがいいのですが、こんなお正月渋滞でほとんどの車が止まっているか動いているかわからないスピードのときは目をつむりましょう。

延々と何十キロもの渋滞をすり抜けで、神経的にも体力的にもきつかったのですが、いつしかペナンに到着。ふーーー、日没前で良かった。でも、ほとんど日没で街頭がつきはじめています。ペナン島に入るのは2度目なので、あらかじめTouch n Goカードを取り出して、橋を渡ります。この橋は私が知っている限り、マレーシアで唯一バイクにも有料な道路です。高速道路バイク無料のマレーシアに感謝。

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あらかじめ予約済のホテルにチェックイン。ホテル選びは「バイクを安全に駐車できるスペースがある」です。ホテル予約サイトで、ホテルの外見写真をよく見て、雨風を凌げてホテル入口横のセキュリティの目に届くスペースがあるところを選びます。値段的に安い所じゃない場合もあるけど、それはしかたない。安全第一。

夜、寝てたら、爆発音。

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もちろん新年を祝う花火や爆竹です。日本大使館から旧正月のテロの可能性があるので、爆発音がしたら逃げたり伏せたり、、、とか言ってきたけど、あのね、、旧正月といえば爆発音だらけなんだよ。テロがあってもわからないよ。

翌朝はジョージタウンをぐるっと一回り。まずは朝食。。。うーーん、食べられるもの(ハラール)がジョージタウンにはあんまりない。ここは華人文化の濃厚な一帯で、Sg Lembingを巨大化したものなのですが、そういうことか。。。

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ジョージタウンは前回グルグルっとまわっているので、あんまり見る気はないです。とりあえず、名所は押さえて、でもほとんどバイクから降りず。

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前回見損なった名所も道路からチラ見して、

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一路、島の南端へ。途中で、橋の良く見える漁村で一休み。

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桟橋まで行くと、本当に橋がきれい。

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さらに南下します。島南部は観光名所が少ないせいか道路もガラガラ。









2016年02月10日

Cameron Highlands 2 キャメロンハイランド

Reached Lakehouse Hotel & Restaurant.

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滝遊びもほどほどにしないと、、、夕方までにはペナンに着きたいし。それで、楽しそうな滝と、もっと楽しそうなお土産屋さんを後にします。

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この辺で私の超能力が破れ、雨が降ってきました。高地の天気は変わりやすいし、雲もすぐそこです。ずぶ濡れで雨のワインディングを走る心細さは大変なものがあるし、これで暗くなって来たりした日には目も当てられません。さっさと先を急ぐ、、、いや!これは急げない。

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キャメロンハイランド名産のイチゴがモニュメントになっている!晴れてたら、もっとモニュメントとセルフィーで遊びたいのですが、雨のおかげでイチゴにしがみつくような変な真似ができず自我た保たれています。でも、お昼だし、雨は冷たいし(高地だから本当に冷たい)、、、と思ったところで見事なチューダー朝建築!もう、何も考えずいさっさと駐車場に乗り入れます。

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ここはどこ?

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観光センターでもらった安っぽいガイドと比べてみると?なんと最初のページに載っている!

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有名なところ、、、危うく見過ごすところだった。

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Lakehouse Hotel、、いかにもここが目的で来たように繕おうとしていますが、実のところ全然知らずに雨宿りで飛び込んだというのが真相です。でもレストランがあると書いてあるので早速。
汗で臭うジャケットでは入りずらいので、脱げるものは全部バイクのところで脱いでレストランに入ります。

すごい、セレブ感満点。雨に感謝、空腹に感謝。メニューを見て驚き。こういう場所の、こういうレストランなら桁違いに高いと思ったのですが、ぜんぜん普通の値段!ピザをいただきます。高原野菜の新鮮さと、薄いパリパリのクラフトが最高。

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そして、キャメロンハイランドではこれは外せません。

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キャメロンハイランドに来たものの、雨は降るし、どこでイチゴを食べようかと考えていたのですが、これは一石二鳥。雨宿り、昼ご飯、フォトジェニックなホテル、ゴージャスなお手洗い、そしてイチゴ。一石五鳥じゃないか。神様ありがとう。雨が降ったのは私の超能力が薄れたのではなく、神様のお計らいだったのですね。

ゆっくり寛げば、あとのキャメロンハイランドは駆け足。また来ます。

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本当に何度でも来たい。あんまり期待していなかったのですが、これは拾い物をした気分です。いや、本当は期待してくるべきところだったのです。

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Cameron Highlands 1 キャメロンハイランド

I have never visited the Cameron Highlands before.

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中国正月の休みを利用して、これまで「遠いから」と敬遠していたキャメロンハイランドとペナン行を決めました。タイに行くのは心情的に近いのだけど、ペナンは遠いよね。これは距離的なものではなくて、なんだろう、なんかよく分かりません。

まだ暗いうちに積み込み。これを全部バイクに積みます。いつも通りの分量だけど、いつも通り多いです。今回はトレッキングを計画しているのでシューズとかいろんなものが必要だし、雨が降っているのでレインコートでバッグを包んで防水加工?

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それに傘を積むのを忘れてはいけません。
この傘は雨に対する備えではなく、雨を降らないようにするお守りで、テルテル坊主と同じ役目を果たします。私の超能力で傘を持った時は晴れ。折りたたみ傘だと、雷神が「あんなので雨を防げると思うか!」と暴風雨を吹かせるので、しっかりとした傘が必要なのです。

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私が傘を持ったり、レインコートをこれ見よがしに装備するのは、雨が降らないようにするためですが、中にはそれが理解できず、「あの人、晴れなのに傘持って変」と誤解する人がいます。正しく、「私が傘を持っているから晴れている」ということを理解させるのは大変です。まあ、人生とはそんなもんです。

KLのほうから北上すると九十九折の先に滝があります。それにお土産屋さんも一杯。

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流れがあるのにカメラが倒れたらどうするのだろう、、、セルフィーの鬼と化した人もいるし、

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水遊びする子供たちもいっぱいいます。

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お土産は地元の竹や木を使ったものが主流。木でできた非常に使い勝手の良さそうな弓矢があったので買いたかったのですが、後で家族に「あんたそれでどうするの?夕食でも取ってきてくれるの」と言われるのは必須なので泣く泣くあきらめました。

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ここの特産は、バナナとトウモロコシ。特に今はトウモロコシのシーズンで、田舎を回るとどこもトウモロコシが売っていてうれしいです。ちなみにトウモロコシはマレーシアでは「くだもの」扱いです。

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そしてサボテン。キャメロンハイランドといえば、サボテンなのでしょうか。サボテン農園もあるみたいです。

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2016年01月20日

Mosque in Melaka マラッカのモスク1

I visited an old mosque in Melaka. Unique and traditional style.

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クリスマスの日、教会観光の後はモスク観光。このモスクはマラッカで一番古い、か、マレーシアで一番古い?モスクです。

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通常の丸いドームがあるモスクとは大違い、角ばってます。どこも、かしこも、角がいっぱい。

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ミナレットも角々。

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中に入って見上げても、角々。

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いいですね、あんまり考えたことなかったけど角々のモスク。すごく東洋風で馴染みます。

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でも、なぜ大砲があるんだろう?ここは観光地になっているから、こういう古い建物には大砲?

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そして、太鼓。これはアザーンとは別に時刻を教えるとか??ラマダン期間中のスフールとか、マグリブとか?想像が広がります、、訊けば即決だろうけど、ちょっと想像を楽しみたいですね。

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モスクの庭は墓地になってました。観光案内によると、なんとかという偉い人も埋葬されている墓地だそうです。

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この辺の通りの名前が、インターナショナル感が溢れてます。

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2016年01月15日

Xmas service in Melaka クリスマスの教会

Visited heritage charches in Xmas day in Melaka.

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マラッカは詩情あふれる西洋文化の街。いうなれば長崎みたいな西洋と東洋の入り混じった町です。
ここで有名人といえば、聖フランシスコ・ザビエル。イエズス会の創立メンバーで、東洋へのキリスト教宣教の開拓者で、類まれなビジネスセンスを持つ教養人。私の尊敬する人でもあります。

彼はマラッカにいるときに日本渡航を決意します。これはよく知られたことですが、知られてないのは、マラッカ側が彼の出国を望まず、妨害して、なかなか出国させなかったことです。もちろん、私もそんなこと知りませんでしたが、彼ぐらいの有名人になると、おいそれと、個人の判断だけでなく政治も動くし、いろんな事情もできてくるのです。日本に行く?馬鹿な、やめなさい、マラッカが嫌になったのか?彼ぐらいのビジネスマンであれば、商売がらみも相当あったことでしょう(日本の宣教だって、宣教と貿易の抱き合わせだし)。。。ということで、彼の日本への出発は辛いもので始まります。

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盛大な到着とは天と地の、こっそりとした出国。ひっそりとした見送り。
彼の偉いところは、「ものともせず」です。見習いたいものです。

ザビエルさんの頑張ったマラッカなので、クリスチャン文化は定着し、マラッカの世界遺産地区には教会があります。。それに、この日はクリスマス!

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近くによると、、、あれ、案外なんの飾りもない?

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むしろ、こっちのほうが飾りがすごい。頑張れ我らがキティちゃん。

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教会の入り口には質素なモミの木。。。だけ。

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入口、、ミサ行われている?善男善女で、席はいっぱい。

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遠くからズームで、、神父さんがいました。

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はっきり言って、教会以外がものすごくクリスマスの飾りつけが豪華で、教会以外がクリスマスでゴッタゴタに混み合っているので、教会の質素さが、、むしろ、なんかすがすがしいぐらいです。

クリスマスの日!

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Bridge in Sugamat スガマの鉄橋にて

I turned the corner of the bridge in Sugamat/Johor when I visi to Melaka.

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毎年毎年、いやになるぐらい異常気象で、この10年間で私が知っているかぎり異常気象でなかった年はありません。今年の東海岸ではモンスーンの雨は時期早く降りはじめ、まだまだモンスーン期間なのに、もうモンスーン明け宣言がでてもおかしくないぐらい雨が少ないです。

でも気がぬけません。
雨は降るときには降ります。だいたい空が黒くなって来たら要注意。バイクに乗って「ヒヤリ」という空気の温度が一気に下がる風が吹いたら、2分ぐらいで降り始めです。

マラッカに行く途中、鉄橋が見えてきました。だいたい、ここはカメラスポット。カメラを取り出しながら空をみると真っ黒な空に、いきなり「ヒヤリ」が来たので、お昼だからレストランに避難。普通は雨が降ろうと、槍が降ろうとだいたいバイクに乗ったままですが、お昼時は別。

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レストランに入った途端、大変な大雨が降り始めました。ほんの10秒ぐらいの差でした。
ご飯を食べていると、お店の御主人がハーレー乗りだということがわかり、バイク談義に花が咲き、その隣の「民間薬屋さん」の御主人もでてきて、話が大輪に開きます。

薬屋さんは長年地元の綜合病院の事務長をしていて定年退職。病院勤務とはいえ、お医者さんじゃないから定年後の個人開業できないし、薬剤師でもないから薬局も開けないし、だからといって医業以外のことはわからないし、、ということで、民間医療専門のお薬屋さんを開きました。これだと、普通の営業許可だけでいいみたいです。蜂蜜やウコン、アロエやそういったものの調合とかいろいろなものがあるらしいです。

品揃えは漢方薬のお店と言ってよさそうですが、マレー系ムスリムの意地で、「イスラーム民間医療」!古のイブン・シーナーやアルラージなどの直系の医療だということです。頑張ってますね。

完全に降り始めから降り終わりまでレストランで、お茶を飲みながら過ごし、雨があがったので出発!

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バイクもずぶ濡れ。まあ、バイクは濡れてもいいし、、と、思ってましたが、よく考えると3泊4日分のスーツケースやカメラバッグが荷台についたまま。

それでも、しつこく鉄橋の写真をとり、マラッカに行きました。

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もちろん!スーツケースの中は水浸し。
着替えはすっかり濡れて、乾かすのに一苦労。サウジアラビアは、さすがに砂漠の国だけあって洗濯物の乾きだけはすごく良かったのですが、熱帯雨林のマレーシアは洗濯物の乾きが、、、辛い。

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2015年12月31日

Baba-Nyonya 峇峇娘惹 海峡華人宝飾博物館

I am creating category as "Melaka" soon. Visiting "Straits Chinese Jewellery Museum".

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ババニョニャに特化した博物館というのはいくつもあります。Jonker Walkなんてどの店舗に入っても、古い華人の家で買い物も楽しいけれど建物も興味深いというものばかりです。Straits Chineseはババニョニャの英語表記です。なにせ先住は特権、日本語でも「早い者勝ち」という言葉がありますが、同じ華人でも早くから住み始めたババニョニャは勝ち組なのでしょうね。現在のマレーシアセレブの中核を成しています。

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そんなセレブのババ達、、早い者勝ちだけじゃなくて、彼らはもともと商人で金持ちだったし(アリババだって最後はお金持ちさ)、家はゴージャス、身を飾るものもゴージャス。金、金、金の世界です。

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そして、なんと金銀細工師を家に呼んで、好みのものを作らせる。作ってるものを買うのじゃなくて、セレブはオーダーなのです。しかも、自宅で作らせる、、

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説明を聞いているだけで、もう、まーったくご庶民と接点がないです。しかも、セレブ同士で結婚して、、美男美女

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子供も、生まれながらのセレブ。

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ちなみにニョニャのドレスは、タイトスカートになっているので大層歩きにくいそうです。もっともセレブはズカズカ歩く必要はありません。

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全然わかってない男性の私でも、このセレブの豪華さはわかります。ブローチとかのゴージャス加減は完璧に理解できます。ともかく、なんかすごい。

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ババニョニャ。もちろん、博物館の中の過去の人たちではありません。今でもマレーシアのセレブとして君臨しているし、この博物館はシンガポールのニョニャが亡くなった時に寄贈したものがベースになって開館されてます。個人が本当に使っていたものです(そのニョニャの写真もある)。年輩のババニョニャが話すマレー言葉もちょっと違った優雅なアクセントらしいです、聞いたらすぐわかるよ。といわれましたが、私はバハサは全然わかりません。

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うーん。早いもん勝ち。いい言葉です。私も少しわかります。早くに目覚めて、早くに行動する。これは先住権という言葉があるぐらい社会で承認された制度です。がんばろう。

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