The Redang Telegraph

2017年02月28日

6500km Christmas Ride 42 旅のおわり

End of the trip.

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長かった2週間。2週間の休みというのも長かった。見知らぬ土地で、1週間の象のお世話ボランティアという未知の挑戦。そして、1週間のツーリングで走行距離も過去最長。赤い線が往路、青い線が復路で往路と違う部分。うーん、距離があるなあ、往復だから地図の線の2倍の距離。

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走行距離で言うと、
1区 シンガポール<>クアンタン往復 1267km
2区 クアンタン>スリン往路 2269km
3区 スリン>クアンタン復路 2840km
全部でキロ換算で6376km。マイル端数は適当だから、まあタイトルどおり約6500km?ふん、120kmの違いなんて気のせい?ぐらいなものです。

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ああ、よく走った。それで翌日は洗濯とバイク洗車、その翌日はサービス。

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さらにその翌日は、細かいメンテ、、、そして、GPSにもねぎらいの言葉。バイクの次に動いてくれたのはGPSです。

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こうして、すべてがきれいに収まって、、、、準備万端。次の目的地はどこだっけ。
当分バイクに乗りたくない?誰だ、そんなこといってたのは?

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6500km Christmas Ride 41 ホーム・スィートホーム

Arrived at Home.

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夜の11時頃。
家についたとはいえ、何もかもそのままにして部屋に入るというわけにはいかない。洗濯は翌日でも、荷物はバイクから降ろして、バイクに鍵かけて、所定の場所にいれておかないと、、、

、、、ともかく、荷物が多い。荷造りのバンジーですら大変な本数ある。降ろしながら、整理して、、

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おやすみなさい。
もう、後は体が動かないです。翌日します、、、

スリンからの復路である3区では、
1日目 712km
2日目 608km
3日目 710km
4日目 810km
合わせて、2840kmかあ、よく走ったなあ、もう、いいやっていうぐらい。

6500km Christmas Ride 40 家路

Going home. I repeated this word again and again.

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ホテルから山道をすべて戻りきり、タイ国境と再び面会。もう、タイはいいや。当分。
タイに入ることなく、コタバル=イポ北方辺境道路に向かいます。この道は、もともとチャンスがあれば行ってみたいと前々から思っていたルートですが、、こんな予期せぬ事態で避難路として使おうとは思ってもみませんでした。もっと、きちんと計画を立てて、体力も健康も万全で、、、来たかった。

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ギリシャ神話のオデッセイは、故郷のイタケーに帰り着く手前で風の神の怒りをかってとんでもないところに吹き飛ばされ、それからが長かった。私も、家まですぐのところなのに、これからオデッセイのひそみにならって?家と真逆な方向に旅立ちます、、それに、、それからが長かった。

道路は、こんなときでなければツーリングでとっても楽しめそうな道。でも、この時は結構体力もないので余裕がありません。コタバルからゲリまでの東西ルート。穏やかなワインディングに峡谷の景色。。を喜ぶ気力もあんまりない。ゲリでお昼ご飯です。まだまだルートの3分の1も行ってないのに、もはやお昼か。これまた、今日中に帰り着くのだろうか。

そしてゲリからマレーシア有数の都市イポまでの長い南北の山道。マレーシアの国名の語源は、サンスクリット語で「山ばかり」という説がありますが、なるほど、山国マレーシアを実感せずにはいられません。平野の多いタイ中央=東北部とは大違い。

こうして、イポに到着。ここの巨大R&Rで休息。

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朝ごはんを食べてから、ずーっと晴れ。イポまで雨合羽のズボンをはいてきたのが間違っている!暑い、蒸れる!もはやここ数日、体の一部と化していた雨合羽を脱いで、マレーシア西海岸に来たことを実感します。これまでの東海岸とはモンスーンが逆で、この時期、基本こちら側は晴れです。

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イポから我が家まで、体力のあるときで7時間。前に来たことある道です。あとは、消化試合のようなものとはいえ、長い。長い。マレーシア半周は長い。いくら消化試合のようなものとはいえ、長い。クアラルンプールを抜けて、あと残り4時間ぐらい、、

そして、もうあたりは真っ暗。よっぽど、もう一泊したほうがいいのかなと思います。

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、、ですが、もう後は家で寛ぎたい。最後の300kmは慣れた道なので、そのまま家路に向かいます。
そして、

ただいま、、

無事家に帰り着きました。
アルハムドリッラ

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今日の走行距離は503マイル=810km。ずいぶんあるけど、1000kmはいかないんだ、なるほど。
いや、もう十分です。無理に1000kmにするつもりは全然ないです。もう、当分はバイクに乗りたくない。というか、遠乗りには行きたくない。

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6500km Christmas Ride 39 マレーシア半周迂回

Going Home acrossed the Malaysia.

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洪水を逃れてホテルについて、シャワーを浴び、乾いた服を着て、ご飯をたべる。生きて切り抜けられた数々を思うと、こんな幸せなことはありません。日常、本当にこんなことを考えることはまずないので、旅は勉強だということの一環ですね。

落ち着いたらマイルを確認。441マイル=710km、、雨と洪水の中、よく走ったものです。これだけを無事故ですから、十分に神様ありがとう、、と言わねば。

ちなみに、マレーシアとタイの英字ニュースで洪水被害を確認。うーん、大変なことになっている。しかも、驚いたのが、日本語のニュースでも、「タイ南部からマレーシアにかけて大洪水」と出ている。全国紙にも、ネットニュースにも、この洪水が載っている。でも、ここに日本人が右往左往しているなんて誰も思わない。というか、普通の人はそもそも近寄らないと思う。しかも、こんなシーズンに。バカ丸出しだけど、なんとかしないといけない。

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地図でみると、今居るのが緑の丸。目的地は赤い丸。距離はざっと300kmぐらい。しかも、途中の青い丸から赤い丸まで青の線は 高速道路で、ほぼすべて高架の上を走るので洪水とか越流とか無縁。今いる緑の丸から高速入口の青い丸まで、だいたい50キロぐらい。一旦高速に乗ればあっという間に我が家です。

、、、、ということで朝もたいして早起きもせず、窓の外を見て、、まだ暗いのは勘弁。前日の暗い山道がトラウマになっています。まーったく前が見えない(バイザーは拭いても泥と油まみれだし)うえ、ホワイトアウトの横殴りの雨の中、街灯一つない夜の山道を走ったとのだから、ホワイトアウトというかブラックアウトというか勘で走ったというしかありません。まだ、気が付かずに冠水に突入した怖さが身に沁みてます。

夜が明けても、暗い。雨が降っているから。そりゃ、そうか。根拠のない「翌日になればすべてが好転する」という思い込みはここで粉砕され、ホテルを早々にチェックアウト。少し前にいくと、、、いきなりダメ。

あああ、これがホテルの人が前の晩に教えてくれた、「この先が洪水で通行止めになっている」ってやつか!

この写真は、この場所のものです。家まですぐそこというのに、、いかんともしがたい。

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バイクを止めて考えた、、

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この洪水箇所はこれまでの、越流とか堤防決壊とかと違って、川そのものが橋を上を越えて横切っているところ(もちろん橋の下も流れている)。道路の路肩はありません。もともと橋なので、橋から流されたら、川に落ちるだけ。しかも、流れも、川そのものの圧力があって、ものすごい迫力。前日の堤防決壊と引けをとらない地響きがします。。。無理。これは無理だ。距離は短くて何とか頑張れば、家まですぐな気がするけど、、、君子危うきに近寄らず。か。。橋が流される可能性だってあるし、実際ナラティワではコンクリートの橋が流されて崩壊してるのを見たし。

この氾濫を越えても、その先には川が無数にあります。これから先高速入口まで50キロとはいえ、どのぐらい川があって、それがどんな状況かわからないと、行ったはいいけどとても越せない氾濫があって、また引き返しても、ここでまた止まってしまう。時間が経つと川の水が引いていくどころか、どんどん水嵩が増えているし、これから雨がやまなかったら、いかんともしがたい。

試しにこの地点の手前から道路を脇に入り別の橋を目指しますが、、

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どこも似たようなものだし、この先にもっとひどいのがあるかもしれないと思うと、冠水をつっきる気にはなれません。しかし、他の方法といえば、、、、地図で書いた赤い線。つまりマレーシア半周するということ。

たとえていると、千葉から東京に行くのに川が氾濫しているので、千葉から太平洋岸を一旦青森までいって、そこから日本海岸をひたすら走り、新潟を抜け、金沢までいって、そこから名古屋を目指して南下。名古屋から東京に行く、、、というのと距離も大変さも変わりません。千葉から東京に行くぐらいの距離なのに、そこまでするか、、、

いや、そうしましょう。それ以外、方法はないようです。こんなに大回りしなくても途中で近道する道はいくらでもありますが、洪水情報を確認すると、ケランタン州内陸部、パハン州内陸部も海岸線と負けず劣らず氾濫しているようです。だから、こーーーんなゴージャスな迂回路しか確実な方法はありません。。。。

あと、すぐそこなのに、50キロで高速入口なのに、、迂回して1000キロ走るのか、、まだまだ迷ってます。
でも、やっぱり迂回しましょう。。

こうしてともかく矢印の前日通過したBukit Bunga国境まで山道を後戻り。雨が小降りになり、そして止みはじめ、周囲も明るい昨日の山越え。昨日の苦労した山道も水の泡?いえ、これを越えなければホテルが無かったはずなのでこれはこれでよかったはず、、とか、昨日のルートとは逆走しながら思います。

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山の間に、こんな町があったんだ。気が付かなかったけどそこそこの町があって、朝ごはん。これから覚悟を決めた、大迂回路を始めるのだし。

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2017年02月24日

6500km Christmas Ride 38 ホテル到着

Finally arriving at Hotel.

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ガソリンステーションのお姉さんから聞いたホテルの場所。ほんの数キロだったはずだけど、見落としてしまったか?もう遅いので営業してなかったか?停電で真っ暗だったのか?目を皿のようにしても見当たりません。結局、トロトロ走って、ジェルテの町に到着。ここはマレーシアきっての裕福州、トレンガヌ州の最北端の町。貧乏なケランタン州と違って、道路に明かりがついてる!街灯がちゃんとついてる。なんか、町の明かりを見たら泣きそうになるけど、まだまだ、ホテルを探さないといけません。

ふと、目にした、、ホテルの文字。おおお、早速無理やり屋根がある場所にバイクをネジ入れて、いると、ホテルの人が寄ってきました、、、

ホテルの人「どうしたの?こんな天気の日に」
私「もう、倒れそう、、ホテルの部屋あります?」
ホ「あるある。私もバイク乗りだから気持ちはわかる。さっそく部屋を用意するよ」

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ありがとう、、このホテルに栄光あれ!
チェックインをして、狭い階段を上がって、

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部屋に入って、すべて脱ぐ。脱ぐ。脱ぐ。そしてシャワー、、、暖かいお湯。神様ありがとう、生きてホテルにたどり着くことができました。この時間のバジェットホテル(安宿)はレセプションの人が帰って無人だったりすることも多いのに、しかも、こんな天気で、、、ちゃんと受付の人がいて、しかもその人はとても親切で荷おろしも手伝ってくれて、、ここでこそ、泣くべきシーン。

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これまで10日以上旅行で、毎日洗濯して、毎日乾かしてたので、換えの服はちゃんとある。もう明日には家に帰り着くと思っていた昨日だって、ちゃんと洗濯してたのが良かった。洗濯は旅生活の一部で毎日洗濯しても苦になりません。
ホテルの下がレストラン。チェックインのときに食べるものとか頼んでおいたので用意も早い。しかも、おいしい。

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外は雨だけど、乾いた服。暖かい食事。そういえば、お昼ご飯は抜きだったなあというのを思い出しました。なんだか、我が家に帰ったみたい。
こうして、バイクもきれいに拭いて(これも毎日なのでそんなに気にならない)、びしょぬれのものは乾かして、、とくにGPSバッグ。今のところ、バイク本体の次に大事なのは、GPSだし。マレーシアに帰ってきたから、最新の地図がちゃんと入って言うこと聞いてくれる。でも、防水じゃないからGPSバックの防水性だけが頼り。

こうして、乾いたところで寝ることができました。
ありがとう、神様。

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バイクも濡れずに済むし、、、
ホテルの人がやってきて、自分のバイクを見せてくれて、この時期のツーリングは大変だよなあ、、といいながら、

そういえば、このすぐ先も川が決壊して通行止めだよ

、、、と、ポロリ。このときは、それが、どれだけの意味を持つか理解できなかったのです。が、これが、こんな国境での辛い迷走の今日など、まだまだ「予定通り」だったといえるぐらいの運命が待っていようとは思いませんでした。これまではまだ予定通り赤い線のルート。しかし、翌日は、青い線の迷走と超迂回路が待ってたのでした、、が、この時はそれを知る由もありません。

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ともかく、この日は翌日のことを知らず、安堵のうちに寝ました。知ってたら寝られなかったかも。

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6500km Christmas Ride 37 バイク居眠り運転?

Road to Jerth was in mountain.

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この日はあらかじめ1000km超を1日で走る予定だったので朝は早起き、ホテルを出たのは早朝3時出発だった。もちろん、洪水でひどい目にあうなんて考えてなかったけれど、さすがに体力的には不安だったし、しかも、途中、ずーっと雨だったので魔都ハジャイあたりから、、「もう、今日中に家に帰れないかもしれない」とは思い始めてました。国境にたどり着いたときには予定から3時間も遅れてた。

そして、右往左往して、やっと国境を抜けたときには日没時間。もう、コタバルで一泊するしかないと考えて、進路をコタバルに向けたものの決壊でUターンしたので、もう、コタバルにはいけない。ここから長躯トレンガヌ州まで行くしかない。しかも、暗い山道を、しかも土砂降りでバイクのシールドとメットのシールドも両方とも泥や埃と雨粒でよく見えない。。。しかし、ほかに道はない、、しかも、そこで、、

睡魔の逆襲

朝2時に起きて、3時出発ってことはあんまり寝てません。そのまま濡れながら肉体を駆使して、このときは夜7時ぐらい、、急に、本当に急にとしかいいようがないけど睡魔が襲ってきました。もう、「こういうときはバイクに乗ってはいけません」というのをすべてやっている。

安直に山を切り開いて作った道。こういう豪雨のときは山に降った雨水がみんな道路に流れ込んできて、道路が川に変身。側溝もないから道路は川となって全幅うっすら冠水常態。しかも泥水だからアスファルトが見えず深いのだか浅いのだか通ってみないとわからない。ところどころ深いところを通常スピードで突入(そもそも冠水しているかどうかも見えてない)、ザーーーと突入して水の抵抗でハンドルが取られてこけそうになること数回。

真っ暗な山道で車線のペイントもない(あっても冠水で見えないし)ので路肩がどこまでなのかわからず、とくにカーブで道路からはみ出してしまうこと数回。そこに本当の川があっても、冠水していると川と道路の区別なんてつかないし、こういう山道はガードレールなんてないから、あの路肩にはみ出したところが深い川だったら、、と、(今になって)思うとぞっとします。

で、睡魔。まさか、ここで睡魔に襲われるとは夢にも思わなかった。路肩にはみ出したときは、睡魔と闘っていたとき、もう、こんなときにバイクに乗るなんて狂っている。が、土砂ぶりの中、野宿するほうがもっと狂ってる。山だから洪水がないかといえば、むしろ川幅の広い平野部よりよっぽど洪水の危険は高い、、ことがわかった。走らないとわからなかったけど。ここに居ては危険、、という本能だけで走ったというべきかもしれません。

しばらく走ったら、ガソリンステーション発見。しかも、こんな天気で夜なのに営業している。山の中のガソリンステーション。きっとこのあたりに山村があるのでしょう。ここでタンクを満タンにして、ステーションの従業員に近くのホテルの場所を尋ねる。きっと、このときはひどい顔つきだったと思うけど、しきりに体を心配してくれて、ホテルの場所を教えてくれました。ここからほんの数キロ先らしいです。

がんばろう、、、だが、そのホテルを見落としてしまった。

6500km Christmas Ride 36 底をつくガソリン

Petrol became less on the way to Terengganu.

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マレーシアは産油国で、国の経済は国際原油価格に影響されるほど石油がでます。
おかげで、ガソリン代が安い(サウジほど安くはないけど)。なにかと物価が高く、もちろんガソリン代も高いシンガポールからマレーシアに来る人達は、あまりにもマレーシアでガソリンを給油しすぎてシンガポールのガソリン業界から大変な苦情。もちろんガソリン税もマレーシアに持っていかれるわけで、昨年か一昨年に「シンガポールナンバーの車は、マレーシアに出国する際は、タンク4分の3以上あること」という規則ができました。

なにかと物価の安いタイですが、マレーシアにくらべてガソリン代は高いです。そのため、バイクで国境を越えてはマレーシアで給油して、タイに帰ってガソリンを抜いて、それを自宅前に一升瓶で売る、、という商売が国境近くでは普通にあります。

マレーシアは南北両隣人に配慮して、ガソリンが「レギュラー」「スーパー」のうち、シンガポールとタイのナンバーについては、高いほうの「スーパー」しか売らないようにしています。国境近くのガソリンステーションでは、わざわざ「タイナンバーこちら」とか指示板が出ているぐらいです。(そのわりに抜け道が多過ぎる)

私もタイではガソリン代が旅費を圧迫し続けました。ふーー、、めんどくさいのが、マレーシアはレギュラーが95で、スーパーは97ですが、タイはレギュラーが90で、スーパーが97だった(と記憶しているけど違ったっけ)。私のハーレーは95以上を使うのがスタンダードで、今回の長旅のようにどこかで故障するとどうにもならん、、という時はケチらず、タイではスーパーを使い続けるしかないです。でも、高い。ガソリン代が高い上にスーパーしか使えないのはシンドイ、、、

、、、、ということで、「ああ、もうすぐマレーシア領に入るな、入ったらすぐ安いガソリンを給油しよう」ということで、計算しつつ、「まあ、この洪水だし、どこで何があるかわからないし」ということで、まあ余裕をもって国境を越えられるが、満タンではない、、状況で国境に臨み、案の定、めんどくさい状況に振り回されつつ、マレーシアに入りました。

、、、そこで直面したのは、マレーシアに入ってすぐのガソリンステーションではガソリン売り切れ

どの車も考えることは私と一緒。みんな、タンクをカラにしてマレーシアに来るから、着いたらすぐ給油。でもって、この洪水で、タンクローリーが来れなくなり、、、いかんともしがたい。無念残念。

一旦は北上して、決壊現場で軍隊にUターンさせられて、、、、

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ケランタン州を最短で抜けてトレンガヌ州の最北端の町、ジェルテ(地図右側の緑の線の終着で赤丸で囲んだ町)を目指すのですが、、コタバル(青い丸)から外れた、山道。もちろん、ガソリンステーションは無いか、あっても、ガソリンがあるかどうかわかりません。ガソリンステーションの営業が終わっている可能性もある。もう、辺りはまっくら。これから、ガソリン残量を気にしつつ、冠水を気にしつつ、土砂降りに濡れながら、真っ暗な山道へとバイクを乗り入れるわけだ。

うーーん、山道というのは、、、道が川だった。










2017年02月23日

6500km Christmas Ride 35 Bukit Bunga 国境再び

Arriving at Bukit Bunga.

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(写真は前回、このBkt Bunga国境を通ったときのもの。今回は全く写真無し)


オートバイで冠水した道路を走るのは絶対に良くないです。
特に濁流に浸かった道路は、アスファルトの下の砂利が流されて、しっかりした道路のように見えてアスファルトがペラペラしていることも多く、こういう落とし穴みたいなのがあればバイクから転倒してしまいます。そうでなくても、下水の水圧でマンホールの蓋が取れて穴が、、、、アスファルトが引きちぎられて穴が、、、、サウジでいっぱい洪水の跡を見てきましたので冠水道路の怖さは良く知ってます。ちなみにサウジでの自然災害の最大なものは鉄砲水で毎年大勢の方が亡くなっています。

冠水といっても数センチぐらいだったらともかく、、、20センチ越えはありそう。濁った水で、道路は全く見えない、しかも、私のバイクはハーレーでただでさえ重いのに、こんな流れがあるところで倒すと数人がかりでも持ち上がらない、、よしんば、持ち上がっても電気系がやられてエンジンかからないでしょう。

進みだしてすぐ、ローワーフェアリングが邪魔で水の抵抗が思いっきりあり、ハンドルが取られることがわかった、、わかっても、しかたない。まっすぐ行くしかない。ローワーフェアリングはエンジンガードのところに取り付けている、泥除けのこと。泥除けが水の抵抗を増やします。

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それでも、冠水しているところを半分ぐらい進んだところで、、対向車。車が水を押しのけて船のような航跡波をたててやってきた。どーーーん。この波が私のバイクを直撃。ただでさえフラフラ走っているのに、しかも、流れがある水をかき分けて進んでいるのに、反対側から高波直撃とは思いもよらなかった。が、ここで転倒してはいけない。まだ家まで遠い。歯を食いしばって、横波からバイクを立て直し、、、ついに渡り切りました。
もう、二度としたくない、、、

ここまでしてBukit Bunga国境を目指したのは、ここには超立派な橋が架かっているのを知っているからです。そもそも、町から近く人通りの多いRantau Panjang国境から15キロぐらいしか離れてない山の中にもうひとつ国境があるのは、将来的には人の住む町を迂回してこちらをマレーシアとタイの主にトラック輸送の中心にする計画があるから。地元の人がいない山の中の国境だけど、新しく設備は立派。橋は、「タイ=マレーシア友好大橋」。この写真は以前にここを通った時のものです。今回じゃないです。

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2007年に開通した「友好大橋」はトラック輸送の要(、、の予定。今はまだRantau Panjangのほうが町から近いからトラックはこない)。おかげで、濁流のGolok川にも、雄々しく立ちはだかり、非常に頼もしい。
地図の赤い矢印です。

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こうして、再びマレーシアに入国。ばんざーい、、と叫ぶにはまだまだ。ここまでが、最大の難所だと思っていた。が、甘かった。もう夕方になり、あたりが暗くなりはじめて、雨は降りやまず、しかも、山の中。これから、一番近いコタバル(上の地図で青い丸で囲ったあたりがコタバル中心地)のホテルでともかく休みたい。。。と思って地図赤い矢印を少し東にすすみ、それから川にそって、北上。

みごと、、、壮絶な決壊現場に遭遇。とどろく水音と振動が伝わってくる、まるで滝のような決壊現場。
しかも、、、車の渋滞が長々と続き、先頭までいかないとここが決壊現場ということに気が付かず、先頭までやっとたどり着いたら軍隊が来てて、なんのことはない車をUターンさせてた。
だから、地図では緑の線が一旦、国境にそって北に行っているが途中で止まっているのがそう。Uターン。もう、あたりは暗くなり泣きそう。

6500km Christmas Ride 34 別の国境を目指す

Try to get Bkt Bunga immigration.

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マレーシアに入国したものの、そのまま「後ろ向けー後ろ」ということで、マレーシア出国の手続き。その間、約3分。入管のおじさんに、「こーなってるんだったら、なんで今はいっちゃいかん」と言ってくれなかったのか、、と、いいたかった。が、今更言ってもしかたない。ここは、早く立ち去りたいだけ。

この後の行動は全く予定してなかった。まさか洪水で前に進めないとは思ってなかったし、わかってたら最初から来ない。可能性としては、ともかくタイ側にでて、この国境のところでホテルを探す。しかし、狭い川の右岸が決壊してたら、左岸だって時間の問題な気がする。なるべく、ここから遠ざかりたい。

じゃあ、魔都ハジャイまで戻って、ホテルに泊まる。たしかに、ハジャイはタイでも指折りの大都会。何とでもなりそうな気がするけど、また洪水で冠水している道を通って何百キロから引き返すのかああ、、気が重い。だいたい、あの冠水があのままとも限らない。結局、可能性としては最初行く予定だった、Bukit Bunga国境を目指すことにしました。

ちなみに、地図の青の矢印が、今いるRantau Panjang国境。そして赤の矢印がBukit Bunga国境。距離は短いが、、、GPSがちゃんと動くのか?来るときはダメでも、今度は行けるのか?、、っというか、あっちも洪水じゃないのか?同じGolok川に面して、こっちは洪水、あっちは平気という訳でもないだろう。

マレーシアの入管のおじさんに、「Bukit Bunga国境は平気なのか、水は来てないのか」と聞くと、まだあっちは決壊してないとのこと、、このおじさんの言うことを信じて、Bkt Bungaを目指しましょう。

こうして、また、タイの入管で入国カード書いて渡すと「宿泊地はどこ?」と聞かれたのですが、それは私が知りたいこと。ともかく、Bkt Bunga国境を目指すので泊まらない、タイは日帰りの予定。。というか、早く出たい。

こうして、タイに再入国して、GPSを信じて隣の国境を目指します、、、が、タイ側国境をでたら、もう越流が始まってた。来るときは水はなかったのに、マレーシア側に行ったり入出国手続きしている間に、水かさが増えて、タイ側も水浸し、、が、まだ浅い冠水程度、、もう、洪水と競争。バイクが逃げるのが早いか、水が追っかけてくるのが早いか。もちろん、ここらへんは、全然写真がない、、というか、雨が降ってるのでカメラを取り出す気力もない。

地図の緑のルートを南下して次の国境をめざすも、この道路自体が川に沿っているので、もはや冠水だらけ。そして、もう、これはダメだ、、、と思った深い冠水が目の前に。越流。川の水が堤防を越えてるどんどん道路に流れ込んでいるので、、流れが強い。単なる冠水ならともかく、濁流の冠水。白い泡を立てながら道路を横切って流れている。もはやこれまでか、、と、おもったら地元民のちっちゃなバイクが濁流に乗り入れた。ちゃんと進んで向こうまでたどり着いた。すごい、、やるなあ。

引き返しても、さっきの様子じゃ、どうせ越流か決壊しているだろうし、むしろ、目の前のをなんとかしたほうがよさそう。こうして、濁流にバイクで入る、、、が、小さなバイクなら行けるが、大きなバイクはいけないという、、ものがあることに2秒で気が付いた。

6500km Christmas Ride 33 最大の危機。国境氾濫

Stopped after immigration Malaysia @ Rantau Panjang.

東側の最大の国境、Rantau Panjang。この手前ですこし冠水してたけど、何とか押し通って国境到着。国境が川で、橋の両側にそれぞれの入国管理事務所があるので、まずタイ側で出国手続きをして、橋に向かいます。ふーー、、懐かしい我が家の待つマレーシア。ここまでくれば家に帰ったのも同然。

しかし、川が、、、えらいことになっていた。隣の鉄橋が、橋げたが無い!

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この川はいつもは水位も低く、川の水面から見上げるような鉄橋の姿なのですが、レールまで冠水している。。これは、、えらいことになってしまっている。国境は写真撮影禁止なのですが、もう、まわりじゅうがセルフィーやら撮影やら、観光地もかくやというほど写真とりまくり状態。それに便乗して私も撮影。

隣の鉄橋が大変な状況ということは、私が今、乗っているこの橋だって、隣から見たら大変なことになっているということ。しかも、国境の川に沿って建っている、いや、建っていた家が流されている。すごい光景にただビックリ。本当であれば、自分の立っている足元に気を付けなければいけないのですが、まだうかつにも周囲の光景に驚いているだけで、自分も周囲の一部なのだということがわかっていません。

橋を渡り終えたところで、マレーシアの入国。なぜかバイク用のブースが閉鎖されていたので、車用の入国ブースに並んで、無事、マレーシアに入国。が、ブースの先が大変な混みよう。

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どうしたのか、バイクでは先に行けないので歩いていきます。

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あ、、、、、なんじゃ、これは。

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茫然と、、立ち尽くす。そして、やっと理解できた。要するに、車もバイクも通れる見込みはないということ。ブースからちょっと先までは少し高くなって車やらバイクやら置いておけるけど、その先が低くなっていきなり深くなる。辛うじて中央分離帯で高くなっているところを腿まで浸かって徒歩で歩いている人がいる。Golok川はタイ側に比べてマレーシア側の堤防が低くて、もう、川から溢れているということか。ともかく、もう、ダメ。あと500kmあるから、バイク無しには家に帰れないし、バイクでは、一歩も前にすすめない。濁流をつききって?無理なうえに、ブースの出口から先は乗り捨てられた車やバイクが所せましと並んで、そもそも、前に進むスペースすらないのだ。

タイもマレーシアも国境の役人のばかやろう!こんな日に国境なんて開けるな!閉鎖しとけ!少なくとも入口で交通整理して、この先はいけませんとか言えよ(、、いや、タイ語で言ってたのかもしれないけど)。

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いま、マレーシアに入国したけど、Uターン。この先いけないのだったら、ここに居てもしかたない。というか、我に返ったけど、今立っているところだって流される可能性がある。事態が好転するなんてあり得ない、雨は増々激しくなっているし、1秒も無駄にできない。急げ、急げ、たった3分で、またもやマレーシアを出国。そして、タイに入国。


2017年02月22日

6500km Christmas Ride 32 国境はどこだ?

Thailand and Malaysia was divided by Sg Golok. When Sg. Golok was flood ?

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本来であれば、赤のルートで楽勝帰れるはずだったのが、結局は青のルートとなったのは、国境の川、Golok川(マレーシア側呼称Kolok川)の氾濫。

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ほとんどの旅行者は魔都ハジャイから西側ルートでマレーシアに入国するのに、私は東側ルートで入国するのは、あまり深い意味はなく単に家に近いからです。見てのとおり赤い線と青い線だと赤い線の方が近い。じゃあ、ほかの人だって東側ルートで入る人がいるのじゃないか?と思う人も多いと思いますが、、、えーっと、こっちは、爆弾テロが以前にあったりして危険と言われているからです。

この地には普通に平和な人たちが住んでますが、現状に不満な人がわずかにいるわけです。この人達は、タイ深南部3県の独立か、マレーシアへの帰属を目指してます(か、あるいは単なる不平不満か。タイに逆らいたいだけか)。理由は、、、、昔このあたりにパタニ王国という滅亡した王国があったのです。赤で囲ったところがパタニ王国の故地。アユタヤ王朝に滅ぼされたのですが、その後もなんども再興の反乱があったりして、タイ側としては非常に厄介な土地となりました。

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そのあと近代になってタイとイギリスが国境を決めたのですが、それが緑の線。見事にパタニ王国の故地が分割されてしまいました。もともとパタニ王国はマレー系の王国だったのでマレーシアに編入されたほうが良かったのですが、タイ側に残された黄色で塗ったところが、現在に至る独立テロの起こっている場所。

、、、、、で、何が言いたいかというと、この黄色のところでは、携帯電話を利用したリモート爆弾を恐れて、外国とこの地域以外の携帯電話の通話とローミングサービスが禁止となっているということ。つまり、道に迷ってもグーグル地図は出てこない。

もちろん、それは知っているのでローミングに拠らない普通のGPSを装備しているのすが、しまった、タイの地図を更新するのを忘れて2年前の地図。。。。。それで、、、間が悪いことが重なるものでBukit Bunga国境の近くまできたものの、道路が遮断されて迂回路がわからなくなってしまいました。大回りして新しいルート選択をめざすのですが、結局、やっぱり遮断されているところに戻ってしまう。ふーーー、

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それで入国したときのBukit Bunga国境(とっても小さくて普通誰も通らない)ではなく、その近くにある東側で大きな国境をめざします。こっちは、GPSが無くても、行先表示看板だけでいけます。もう、どうでもいいからマレーシアに入りたい、疲れた、寒い、ずぶ濡れはうんざり、屋根があって、乾いた場所に行きたい、、、

もう、写真を撮る元気もないし、そもそも、そんな余裕もない。
そして、やっと着いた大きな国境。ここまでだいたい600キロぐらい走っているのかなあ、、もう、今日中に家に着くのはあきらめた。マレーシアに入ったら、すぐコタバルの街。どっかのホテルに早くチェックインしたい。

2017年02月21日

6500km Christmas Ride 31 洪水は楽しい??

Flood in Narathiwat

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宿泊地スーラターニーを出てからずっと雨。アジアハイウェイを南下しつつずっと雨。途中なんどかアマゾンカフェで気力を取り戻すものの、ずっと雨。そしてやっと魔都ハジャイに到着。ここまでくれば、マレーシアは目前。下の地図で赤丸で囲った町が魔都ハジャイ。

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ここから魔都ハジャイの中央を強硬突破してサダオを抜けるとマレーシアの西海岸に通じる道にでて、国境はKayu Hitamです。この上の地図だと青で描いたルートがそう。一番メインのルートです。タイからマレーシアに陸路でくる日本人も少なからずいますが、主にバスや鉄道で来る彼らの99.999%はこのKayu Hitamを通ってマレーシアに入国します。ここからですと、ペナン、イポ、KL、マラッカといった大都市が一列に並んで観光にも便利。残りの0.001%はおそらく私一人です。このルートを通りません。

一人、赤いルートをバイクに乗って東南に南下します。

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魔都ハジャイは近寄りたくないので、バイパスを通って回り込み、パタニに入ります。

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このあたりは行きでも洪水が見られたところ。実はホテルを出る前にインターネットで経由地の天気や温度はあらかじめ調べておきました。何時ごろが雨が降ってない、、とか。しかし、そこまで。ネットの天気予報では、そこが、

洪水かどうかまでは!考えもしなかった。

「天気」と「気温」だけ調べた私は、うかつにも、というか、普通そんなところまでは調べないだろう、、どのていどの洪水が現に起こっているかどうか、、というには全くの無知でした。実は友達から、「タイ深南部は洪水がすごいみたいよ」という話は聞いていました。往路ですでに洪水だったので、うかつにも「うん、そうだよね、すごかったよ」と他人事のように言ってました。しかし、彼の言う「すごい」と、私が理解していた「すごい」は、全然別物。彼は洪水が起こって道路も冠水し、道という道は絶たれ、軍隊が取り残された人たちを救助して回っているという「すごい」。私のは、家が床上浸水しているが、道路は通じているというレベルの「すごい」だったのです。

下の写真は私の理解していた「すごい」。もちろんここは川でも池でもなく、住宅地で、家が沈んでました。ありえないぐらい「すごい」けれど、道路はまだまだ平気です。

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パタニもすごかったけど、ナラティワに入るともっとひどい。ところどころ浅く道路も冠水し始めました。高く盛り土した道路が冠水するということは、平地にある住宅や田畑はもはや池。ずーーーっと雨が強いし、体も辛くなってきているので、写真を撮る元気もなく、ここらへんは本当に写真が少ないです。

ナラティワの道路で、、モスクが浸水しているのを見かけました。もう、そこら中が浸水しているので、珍しくないのですが、、、

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、、、、ちょっと待った!あの楽しく遊ぶ子供たちは、、河童か?浮袋まで持参して遊んでいますが、そこはプールじゃないです。洪水で浸水したモスクの庭です。あまりの光景に、雨に濡れながらもカメラを取り出します。

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イエーイ!道路に向かってピースサイン。

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モスクの向かいの道路では、お母さんたちがバイクから降りて、傘をさして子供たちを見守ってます。水面を見てもわかるとおり、結構降ってます。いやあ、けっこう、お母さんたちも楽しそう。自分たちも子供のころは、きっと同じことしてたんでしょう。

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この後、いろんなところで子供たちは即席のプールで楽しみ、、お父さんは網をもって仕掛けていくという光景が次々と現れます。、、、つまり、洪水が頻繁に起こるこの辺では、もはや洪水は娯楽の一部となっている、、と、理解するよりしかたありません。なんか、すごい。まるで、台風が来ると喜ぶサーファーのようです。、、、ようです、、じゃない。実際、同じだろう。どこも車を道路に路駐させ、家財の必要なものを車に積んで、あとは軍隊の炊き出しを待つばかり、、、といった風情が漂ってます。

こうなった以上は、人の手ではどうにもなりません。深刻な顔をしていても、笑っていても事態は一緒。あとは神様の思うとおりにしかならないです。だったら、笑ってましょう。精神衛生的にも、それが一番です。
しかし、彼らは知っています。水が引いて、家に入った途端、泥だらけの家財道具。壊れた家具、流された道具、ずぶ濡れでもう使い物にならないノート、水をかけてもかけても、泥はいっこうに落ちないし、家の外で干しても乾かないものも多い、臭いはきつくて、病気が蔓延して、、、結局、そこで泣くのです。今は笑ってましょう。

こうして、ナラティワを抜けて、目指すは国境。タイとマレーシアの国境!
しかし、ここで最大のピンチ。世界中、どこでも国境とか州境とか県境とかは、川とか山の尾根で分けることが多いですが、、、タイとマレーシアの国境は、、川です。その川が、、、

6500km Christmas Ride 30 洪水逃避行

3rd distance 3rd day. Planned as from Surat Thani to my home town Kuantan. But, flood stopped me. then escape run was started.

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いよいよタイからマレーシアの我が家に帰り着く最終日。。。の予定だった。上の地図の赤線がもともとの予定。距離は1000kmの超長距離ライド。行きは元気があったから良かったけど、2週間後の最後の日となると、疲れも溜まって、本当に大丈夫か、、という体力。まあ、何とかなるでしょう。以前は、プーケットでダイビングして翌日この道を通って帰ってきてるし。

しかし、出発時から激しい雨。体が水浸し。

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それでも、ずっと南下を続けてきて、このあたりから、もはや来た時の面影が無くなってきてた、あたり一面洪水。でも、道路は幹線道路だし、、アジアハイウェイというぐらいで、盛り土して高くなっているので冠水してません。まだ走れる。

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しかし、、、、もはやこれまでか、、

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ここから、水からの逃避行が始まります。生まれて初めて、バイクに乗ってこんなに怖い思いしたの。バイク転倒して車いす生活送った時より怖かった。

2017年02月16日

6500km Christmas Ride 29 巨石公園 Khao Hin Tern

Visiting Khao Hin Tern natural Park near to Singkhon.

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国境が面白いからといって、ここで暮らすわけにはいかないのでSing Khon 国境を離れます。ちなみに、この場所をGoogle Mapで探すと出ません。こんな大きな国境なのに?と驚いたのですが、

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なんと、Mau Daung 国境ででてきます。SingKhonというのはタイ側の呼称、Mau Daungというのがミャンマー側の呼称。で、上の地図を見ると一目瞭然だけど、村の大きさとしては左側のミャンマー側が大きくて、SingKhonの交易市は、ミャンマー側の出先、、としかいいようがありません。どうみてもタイ側がミャンマー側に売ろうとしているのじゃなくて、ミャンマー側がタイ側に売ろうとしている格好となります。

この国境の近くに巨石文明?いや、文明はよくわからないけど巨石が、巨石公園となっているKhao Hin Tern Natural Parkというのがある、、と大看板に書いてありましたのでいってみます。

途中、国境だろうか、いきなり舗装道路が土の道になる場所に迷い込んだりしましたが、

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ああ、見えてきました。

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このあたり巨石が多いので、どの巨石が有名なのかわかりません。たとえて言うと、杉の山の中に縄文杉があるようなもので、「これがそうです!」という看板がないといったいどれがそれやら。

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舗装道路があったり、なかったり、という道をとおって、ダムの上を通って、、

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行き止まりに駐車場らしきものがあったので、きっとここでしょう。ふーー、一息。

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観光順路があったので従って歩くと、お坊さんと会いました。こういう巨石にはお坊さんがつきものです。とても親切で、水飲んでいけとか案内してやろうか、とか。あんまり訪れる人がいなくて人恋しいのかもしれません。観光地というよりは、修行の場。

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お坊さんの洞窟の横をとおって、

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順路に従って歩かないと道に迷います。いや、従っても道に迷いそう、、もはや、トレッキング。ちなみに、この矢印はちゃんと生きている木に書いてあるもので電信柱ではありません。なんと真っ直ぐで人工物のような木だろう。

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岩を乗り越え、乗り越え歩きます。見晴らしの良い場所が何箇所もあります。

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が、もう、いいや。だいたいわかったから、引き返そう。ここで体力を消耗してもしかたない、まだここから何百キロも走らないといけないのだし。ここは寄り道部分だし、、。

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ひとおとり歩いて、ちょっと膝がガクガクするけど、バイクに戻り、ダムの上で記念撮影。

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この翌日は大雨と洪水に追われるとは夢にも思わず、天気の良い水辺を散策しました。こうして、夜になってスーラターニーに無事到着。ホテルは停電してたけど、しばらくたって復旧。
来るときは、ここでカップご飯でさびしい夕食をとったのだけど、それに懲りてあらかじめ立派な「日清カップヌードル」やお菓子も購入。おなじ、さびしい夕食だけど、中身がすこしレベルアップしたのでこれでよしとしましょう。停電中はスリンで大活躍した懐中電灯がまたも大活躍。

行程は379マイル=608kmです。意外に短いけど、歩いてショッピングしたり観光したりしたので、けっこうヘトヘトでした。

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2017年02月15日

6500km Christmas Ride 28 国境の交易品とは?

What is the trade goods in this market ?

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この国境で売れているのが、ほうき、、なのは分かった。食も衣も重要だよね、でも、ほかに何が売っているのか?ものすごく大きな市なので、全部見るのはちょっとむり。メインの入り口から近いところを中心に迷わない程度に。向こうに見える、おもしろそうな田舎風の建物はちょっと回れない。、、まだまだこれから走らないといけないし。時間もそうあるわけではないです。よく見るとこの建物の左端には箒が山積みされている。

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まずは、木工製品。ミャンマーの産業のひとつは林業です。重要なところ、、もしかすると、ホウキも木工製品の一部なのかもしれない。

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、、、、でもねええ、鮭をくわえたヒグマ、、、って、これは北海道で売っているやつじゃない?そっか、本場はジャングルだったのですね?北海道風のミャンマー風イミテーション?でも、、、これ、、アイヌの民族衣装を着て、「北海道みやげ」って書いてるけど、、ここで売ってていいの?、、、いや、つっこむのはやめよう。人生はあるがままに受け入れよう。こういうものだということ。北海道を旅行したミャンマーの人がお土産を持って帰り、この地でこういうものを作り始めた、、ということでしょう。たぶん。
いやあ、旅にでいると人生に深みがでるなあ(たぶん)。

もちろ、、タイでよく見かける普通のお土産もある。

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ゾウの牙らしきものは、とりあえず見なかったことにして、、

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生鮮食料品も普通に売ってるし、、フルーツも豊富。

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ガイドブックには、ランが売られていると書いてあったけど、確かにあった。説明によると、このあたりでは、ランは普通自生していて、、そこらへんのランを適当に売っているので元手はほとんどかからないそうです。ラン好きな人は移住してみてはどうでしょう。もちろん、良いランはちゃんと園芸種で育てたものです。

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屋根の波板が変な色なので、この辺はみんな変な色。

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タイ人も大好きパチンコもあった。

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さあ、とっとと帰らないと、宿に着かないかもしれない、、向こうの方は見れません、、残念。

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最後に国境の検問所をもう一度見に行って、、

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いざ、、スーラターニーへ!、、、と、思ったけど、大看板によると、この近くに別の観光地があるらしい。うーむ。また来るチャンスなんてないだろうから、行ってみるか、、こうして、行き当たりばったりな寄り道はさらに、奥に向かうことになりました。恐るべき好奇心。だれか、止めてほしい。

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2017年02月14日

6500km Christmas Ride 27 ミャンマーの服

Around market for cloth.

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衣食住というぐらい生活に必要なもの。服。こればかりは、無いと困るし、マーケットの中心です。
マレーシアもカラフルだけど、ミャンマーもすごい色彩の洪水です。それにかわいい。

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このあたりはタイといっても、ビルマ族の人も混住しているのだと思います。ふつうにタイ側から買い物に来ているひとも、ミャンマー風だったりするし。タイのお店の人もミャンマー風だったりするし。

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伝統的な服?、、、あ、違うか、お坊さんの僧衣でした。

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布地だったら、お洒落さんならどのようにも加工できるし、

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ちなみに、マレーシアで売っている布地のほとんどはタイ製です。しかし、ミャンマー柄はデザインが独特ですね。

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ふつうの洋服やTシャツも売ってます。まあ、観光客に受けのいいのはミャンマー柄なのでしょうが。

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6500km Christmas Ride 26 国境でお昼ごはん

It was almost lunch time at market.

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そろそろお昼ごはんの時間。ここはやっぱりミャンマーご飯。
でも、正直、どれがミャンマーご飯で、どれがタイご飯か分かりません。もっと言うと、どれもマレーシアご飯と変わらないようにしか見えません。「ミャンマーの食事」とかあらかじめ調べてないし、行き当たりばったりだから、こんなものでしょう。

ともかく、しきいの低い、とーーっても慣れた屋台から。これはマレーシアで鍛えてる(?)から、何の違和感もないし、抵抗もありません。それに、タイ中央部を離れるとムスリム料理もちらほら見えてくるし、、

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なんのことはない、、チキンライス。もう、マレーシアで毎日食べてたもの。

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しかし、それだけではどうも、、ということで、屋台を見て回ります。

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ミャンマー語があるのが、物珍しい。

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おお、海鮮の佃煮。ちょっと試食すると、美味しさに圧倒。これは、即買。結局これは、お土産にならず、マレーシアまでの帰りの道々でちょぼちょぼ食べて、家に帰り着くまでには全部なくなってしまった。高血圧に悪いような気がするけど、まあ、こんなもんでしょう。

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赤貝の佃煮は絶品。うーん、これはすごい。コクがあって、出汁にも使えそう。干しエビも肉が厚くて、とってもいい。ほうきの次に売れ筋です。

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お茶とかコーヒーとかがあるけど、袋では荷物になるしね、、

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ぐるぐる回ります、、

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変わった飲み物、、というか、変わったフルーツのジュース。

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早速飲んでみます

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変わった味。もしかすると、マレーシアにもあるのかもしれませんが、見たことないです。きっとあるし、飲んでるのだろうけど、フルーツの実物がないと、いったい何を飲んでいるのかよくわからなかったりします。
でも、面白いよね。シンガポールを皮切りに、マレーシア、タイ、カンボジア(スリン)、ミャンマー(シンコン)とこれまでいろんな料理をこの旅で食べましたが、どこも似てるようで似てない。

こうして、屋台を端から端まで制覇して、

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しっかり食べた後は、マーケットで買い物(小さいものがあれば)

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6500km Christmas Ride 25 ミャンマーと言えば「ほうき」

Go around the market. It is really big market.

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国境の交易市。なんだかロマンあふれる。マーケットはすごい大きな規模で、とうてい全景は写真にとれません。はるか向こうまでお店がある、、というか、一旦中にはいると迷路です。エジプトのカイロにはハーンハリーリという観光地にもなっている有名なマーケットがありますが、ほとんど同じ。昔からの、なんか怪しげな「はるばる来たぜ、国境!」感もあります。飛行場には決してないものです。

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とりあえずマーケットに入る、手前のお店には、、、お菓子?

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、、と、思ったけどよく見ると石鹸だった。なんと、おしゃれ。しかも香りがいいので、今回のChrismas Rideのお土産に決定!

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バイクだから積載量が乏しく、いままで1週間以上タイに居てもお土産を全然買ってないのです。でも、これは即決。配るように何個も何個も購入。ちいさくて、荷物にならないのも好印象。ただ、、、タイじゃなくてミャンマーのものというのが、、ま、いっか。

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そういえば、ここに来ている一杯のタイの人。一体何を買っているんだろう。ミャンマーの人、タイの人が入り混じった場所で、、、マッサージ屋さんもいるし、、

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いろんなものを売ってるし、

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じーっと、みんなが何を買って交易市からでてくるか、出口チェック?

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そうして、しばらくすると、売れ筋傾向が判明。まさに、みんなこれを買いに来ている!と、自信をもっていえます。それは、箒、ほうき、ホウキ。もう、あちこちで売られてます。箒が山になって売られてます。ほうきの爆買いにも対応できます。

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一人で10本ぐらい買っている人もいるし(お土産用?)、みんな手に手に、ホウキ。タイには箒は売ってないのか?と思うほど。

タイにはまだ未舗装道路も多くて、スリンにいたときも、道路で巻き上げられた埃が家のあちこちを覆って、毎日掃いてました。サンダルに土がついて、土足禁止なのに間違って部屋に入ったりすると、泥で大変。即、掃除。土深い場所では、ホウキは必需品。

でも、タイにだって箒ぐらいあります。きっと、「ミャンマーのほうき」は、タイのものにはない、腰の強さとか、抜けの少なさとか、丈夫さとか、いろいろブランドとして成り立つなにか優れた点があるのでしょう。

ミャンマーに旅行したら、おみやげは「ほうき」です。覚えておいてください。

2017年02月13日

6500km Christmas Ride 24 国境でズンバ

Border market has a festival.

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国境の街では、なにやらフェスティバルが行われてました。ミャンマー語とタイ語だけで、もう、なんだかよくわからないのですが、楽しそう。

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催し物の他に、健康相談も開催!血圧を測ってもらったり、いろいろ、、

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健康促進、、大事なことです。特に手を洗うのは基本中の基本。今の日本人で食事の前に手を洗うのは幼稚園や小学校では念には念を入れて教えますが、大人は忘れてる。でも、東南アジアで、手を洗わずに食事しょうとしたら、「えーっと、ひょっとして、手を洗ってないんじゃない」とか遠慮しつつも、きっちり指摘されます。つい先週も私は言われてしまいました。日本人は食事の前に手を洗わなさすぎ、、というのは日本旅行した多くの人が指摘するところ。小さいころきちんと言われているのは、それだけ重要なことなので、手を洗いましょう。基本です。

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ついでに視力検査。

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一息ついたら、メインステージ。

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カラオケもあるけど、ダンスの発表会が主流。

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みんな、行儀よく見てる。

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でも、最後はやっぱりズンバ。さ、体をほぐしましょう。

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東南アジアのズンバの位置づけは、日本のラジオ体操のようなものです。でも、楽しさやファッション性からみると、雲泥の差。あんな100年ぐらいの歴史をもつラジオ体操なんて化石みたいなもの。日本のラジオ体操を海外に普及させようという人もいるけど、無理だって。長いこと進歩してないラジオ体操を置いてけぼりにして、世界は大きく進歩したのです。もう世界中でズンバが普及しているのに、あんな陰気なラジオ体操なんて出る幕なし。日本人が東南アジアでラジオ体操をやると、みんなお行儀がいいから「いいね!健康に役立つと思う、やってみたい」ぐらいのリップサービスをしてくれます。で、そんなの外交辞令をまともにうけて「ラジオ体操は海外でも大好評、ぜひ世界中に普及させるべし」とか思いこむ日本人もいる。きっと、なんの疑いもせず、ふりこめ詐欺とかにあう素朴なタイプの日本人なのでしょう。

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さて、これから交易所!

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6500km Christmas Ride 23 そうだ、ミャンマーにいこう

Visit Sing Khon Border Station (Dan-Sing-Khon) and market, Thailand & Myanmer

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お昼頃になると、タイ中央部から南部に行く半島の一番細いところを通ります、来るときに、ああ、あの山を越えるとミャンマーなんだよね、と、思ってたところ。しかし、来るときは、全く見過ごしてた、、、道路標識。

快調にバイクを飛ばしていると、、目の前に、ミャンマー、、こちら、、、ですか!びっくりしてこけそうになった。あまりにも、気安い、、ちょっと、そこまで、、というぐらいの気軽さ。

さっそくすぐに駐車場をもとめて近くのガソリンスタンドにはいり、止めると、、目の前にフシギダネがいた、、うーん、こんなミャンマー国境でも頑張っているのか、、健気な奴。サウジの聖地メッカで頑張っているハローキティちゃんと出稼ぎ比べができるよ。

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バイクからおりて、コーヒー飲みながら、場所を確認。なるほど、ここか、、

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そして、ビザは?ネットでミャンマーに入るビザ要件をチェックすると、、なんと日本人はミャンマーに入るのにビザがいるのか!アセアンはどこもビザ無しだと思ってたから、こんな例外考えたことなかった。そういえば、カンボジアの近くまで行ったのにカンボジアに入ればよかった、、とか、今更考えても遅いことも思いつきました。まあ、いいか。国境まで行ってみましょう。

道路標識のとおりに曲がってしばらくすると、この地域の観光名所の大看板。タイはどこでも町の入り口に大きな「この町のみどころ」看板がでてて、無知な私のような旅行者でも、なんとなく、ふむ、この町にはこれがあるんだ、、というのがわかる仕組みになっています。大看板には助けられっぱなし。看板によると、国境は観光地らしい、、じゃあ、ミャンマーに入らなくても楽しめそうですね。

そして、あっと言う間に国境に到着。幹線道路から国境まで、ぜんぜん離れてなかった。ともかく国境のゲート前で記念撮影、、、

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ここはどこ?Sing Khongという国境の街です。Sing Khong峠というらしいです。

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なるほど!おっきな市場ができてる、、さっそくバイクを止めて。ふーむ、、でかい。これは長いこと探検に時間がかかりそう。シンガポール・マレーシアの国境なんで味も素っ気もないし、マレーシア・タイの国境も風情があるものの普通の街。でも、この国境は交易場がある。本当に、昔の冒険家(例えばインディジョーンズとか)がイメージする「国境の交易市場」。何十年も前から忘れ去られたような、レトロな、、交易、、の基本のようなとこ。

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2017年02月11日

6500km Christmas Ride 22 おお、シスの暗黒卿がここに!

In Amazon Cafe, I found Dark Lord of Sith.

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3区の2日目。この日はタイ半島部の最狭隘部の走行。このあたりは牧歌的で、バイクで走るにはうってつけの場所。道路もまあまあ、悪くは無いです。なんといっても南部と中央部を結ぶ唯一の幹線道路だし(幹線道路のわりに、交通量は少ない)。

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Samut Songkhoramを暗いうちに出発、夜もあけてきたので朝ごはん。おおきなステーションが見えてきたので給油もかねて一休み。新しくてきれいで、隣接して林立する大型ステーションのなかでも、心惹かれるものがあった(、、のでしょうね)、なぜかここに入ってびっくり。ここは、アマゾンカフェの直営ガソリンステーション。

もちろん、タイ人の大好きな恐竜がお出迎え、、

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いや、そればかりでなく、アマゾンの部族民も、アマゾンを走る汽車もお出迎え、、、すごい。

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普通アマゾンカフェは、他社ステーションの土地の一角を間借りなのに。ものすごく大きなカフェに、、

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壁を覆いつくす、フィギュア。そして、ああ、お父さん、こんなところに、、シスの暗黒卿がこんなところに、、

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おっと、親子対面でもなかったし、フィギュア鑑賞でもない、

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朝ごはんだった、、、スターウォーズにかこまれて美味しく朝ごはん。

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朝から良いもの見れて、よかった。他のステーションに入ったら絶対気が付かなかったはずだけど、ここに来たのは、、、何かの勘でしょうか?いえ、朝から喜ばせてあげようという神様のお導きです(きっと)。ありがとう、神様。ついでに道中安全もお願いします。

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2017年02月08日

責任感の罠 過労死ケーススタディ?映画「戦場にかける橋」

<あらすじ>、、だけ書いて、<まとめ>が無かったのでまとめました。

映画「戦場にかける橋」は1957年公開の映画でちょうど60年前です。その後、昨年話題のアンブロークンまで、日本軍捕虜収容所ネタの映画は数多く公開されていますが、「戦場にかける橋」が他の追随を許さないのは、
<悪人が登場しない。にもかかわらず悲劇はおこった>というところにあります。

戦場のメリークリスマスの「ハラ軍曹」、アンブロークンの「渡辺伍長」といった、ヒステリック、狂気あるいは精神破綻ともいえる下士官の虐待が捕虜収容所における残忍さをお手軽に表しているのとは対照的です。

ところで、「戦場にかける橋」の斎藤大佐は狂気に支配されているのか?といえば、むしろ「責任感」に支配された男としてあらわされています。誰も狂ってません。悪人も性格破綻者もいません。戦場の狂気?いえ、ここは戦場ではありません。でなければ、ニコルソンとの交流は生まれないでしょう。

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戦争映画だから戦争の狂気なのだ、、というのは、安直で完全に間違った結論です。


じゃあ、なにが異常なことなのでしょうか?枕木一本、人ひとり、といわれる大量過労死は異常の結末でないわけありません。間違いなく、何かが、異常なのです



「責任という名の狂気」


現在の日本社会では広く「責任感」は誉め言葉として捉えられています。海外生活を送ると「現地の人は責任感がない」という日本人のぼやきを世界中で聞きます。日本人の考える責任感は良いことなのでしょうか?納期厳守のため「間に合わなければ捕虜を全員殺して自分は腹を切って死ぬ」という責任感。能力不足にもかかわらず言い出せなかった責任感、、この映画は「責任感」こそが悲劇を作り出した元凶であるということを伝えてくれます。はたして、本当に責任感なのでしょうか?映画監督はこれこそが狂気であるとしました。責任感に取りつかれた狂気。責任感という名前の狂気

過労死、過労自殺、どれも、じつのところ「責任感」が支配してないでしょうか?日本人の理解する「責任感」は間違っているのではないでしょうか。映画「戦場にかける橋」をケースとして、原因から結果を三段論法でいくと、、

1 現場技術トップの三浦が能力不足だったが、三浦が自分ができないことを隠して「がんばり」で解決しようとした。三浦は上司の斉藤に技術力不足を伝えなかったため、斉藤は三浦の技術力を信じ続けていた。

2 斉藤の労働力不信。労働力として「敵軍捕虜」を使っているけれど、彼らは理論上利敵行為(日本側を助ける)を行うはずが無く、常にサボタージュしようと考えているはずだという考え。

3 斉藤の責任感。納期厳守への異常な固執。これに労働力不信が加わり、脅して頑張らせれば、うまくいくはずだという確信になりました。

まあ、これに、捕虜は安易な労働力という軍的発想、ニコルソンのストックホルム症候群が加わってさらに悲劇的なことになるのですが、責任感という視点で下の三点をかんがえると、
1 自由にものが言える環境ではない(三浦が能力不足を斉藤に伝える)
2 頑張りへの信仰(できないのは頑張りが足りないせい)
3 納期厳守の強迫観念

映画ではない史実でいくと、この鉄道建設で死んだ労働力は捕虜だけでなく、日本軍人も多く過労で死んだのです。ロームシャ(現地徴用)にいたっては半数弱が死んでいます。責任の名前がつけば、誰が死んでも構わないという構造です。

現代社会の恐ろしいところは、戦時下でもないのに、死ぬほど働かせているところ。
「責任感」が人を死においやるのに躊躇しないことはもっと議論の余地があるでしょう。むしろ、

「異常な責任感を叫ぶ人は狂っている」


と叫ぶほど。
本当にそれは責任感なのですか?狂気じゃないのですか?責任感というカルトではないのですか。

2017年02月07日

6500km Christmas Ride 21 バイクの旅

Arriving at Samut Songkhram.

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カンチャナブリの戦場にかける橋、、付近をウロウロとして時間が過ぎたけど、この日の目的地はここじゃない。これから、まだまだ走らないといけない。

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だから、第二次世界大戦博物館も、あんまり見ることができなかった。。というか、収蔵品も多いけど、整理が良くない。ここは、個人のお金持ちが好きなものを収集して、それを展示しているというところ。確かにお金持ちなのは認める。ものすごい展示品だしね。しかも、戦争博物館というわりに、、いきなり先史時代の土器から

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タイの歴史全般ある。名前のわりに収蔵品のバラエティの幅が広い、タイの土器時代から今まで、、というのがカバーしている分野で、しかも、整理がわるく、、、キャプションとモノが違うのも多い。おいおい、これは違う!ジェット戦闘機の燃料タンクが日本軍のものとしておいてあったり(ジェット機なんてタイに配備してない!そもそも旧軍にはそんな実用機はない)。どうみても、ベトナム戦争当時のジープに、日本軍の将校が乗ってたり、、ありえん、、というのも多い。うーーん、せっかく博物館なんだし、学芸員を置いて欲しい。

しかも、適当において掃除してないし、、、

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、、、まあ、いいでしょう。個人の趣味なんだから。でも、入場料はそんなに安くない。さすが、お金持ち、小銭にうるさいのかも、。。

こうして、少し引き返すかたちで夕方にサムットソンクラムに到着。ホテルの周囲に食事するところがないのは来るときに確認したので先に夕食たべてからゆっくりしたい。

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そして、ホテルに到着。もうクタクタ。毎日だけど。443マイル=712kmですね、一日の走りとしてはいい感じの距離。雨も降らなかったし。

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6500km Christmas Ride 20 戦場にかける橋における現代的過労死

Over work is always bottle neck of Japanese.

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映画「戦場にかける橋」は、もちろんフィクションです。そもそも、原作のピエールブールの小説にしたところでフィクションで、デビットリーン監督は原作をけっこう変えてますので、史実がどうだ、、と言うのは完全に間違っています。、、、、ですが、その本質。つまり、「労働観」というものはピエールブールの捕虜生活や体験が見事に描かれていると言っても良いと思います。

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<あらすじ>

日本人の労働観を見るため、、
あらすじはWikiからとり、所属を本社と支店に変えてあります。

起 <本社の技術力不足>

設計兼現場責任者の三浦中尉の能力不足のため、架橋の基礎地盤が軟弱なのに架橋工事を突貫してはトラブルが続いていた。工事完成予定日の5月12日の翌日には開通式列車が通過するため、絶対に工事完成をしたいプロジェクトマネージャー斎藤大佐。工事遂行のために人海戦術を取るしかないと考え、本社社員(日本人)は部署(階級)にかかわらず全員工事に投入。支店(連合国兵士)にも、部署を問わず工事投入を決定する。工事が予定どおりに完成しなければ、支店全員を殺害して自分も腹を切って死ぬを明言。

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承 <支店の拒否>

支店長ニコルソン大佐は、頑固反対。そもそも、この件で支店に本店のプロマネが勝手に命令する権限もないはずだと拒否。ニコルソンはこんな劣った技術と思想では、人海作戦を行ったところで巻き添えで支店が疲弊したうえに工事完了は不可能と考えていた。ニコルソンには支店を守る義務があり、本店の命令といえど従えない。怒った斎藤はニコルソンを殺すと脅迫し監禁。ただ、斎藤も技術力がないことは理解していたので、エンジニアリング責任者三浦中尉を解任して、斎藤自身がプロジェクト遂行責任者となった。

転 <泣き落とし>

現場を指揮して、さすがの斎藤はこのままでは予定日に工事が完了しないことが理解できた。
そのため、支店の協力を得るため、支店側の要求はすべてのみ、支店からの応援社員には特別休暇を与え、ニコルソンの監禁も解いた。狂喜する支店社員をよそに斎藤は陰で屈辱のむせび泣き。そして、ニコルソンを二人だけの宴会に招待し、斎藤はこれまでの生まれ育ちを切々と語りだした。
なんとなく軟化したニコルソンは工事の指揮権をエンジニアリングを含めすべて支店側にまかせ、本社は口出ししないのなら、工事に参加してもいいと言い、斎藤は了解した。
支店主導のプロジェクトとなり、支店は急に生き生きとする。ニコルソンの部下は、支店が本店の難工事の尻ぬぐいをするのはおかしいのじゃないかというが、ニコルソンは「ここで一発、支店の意地を見せるべき。本店に目にものを見せてやろう」プライドの問題だと意に介さなかった。

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結 <意地の崩壊と名誉>

ニコルソンが指揮をとり、工事は設計から見直され、架橋場所も変更。そのため、工事は振り出しとなり大幅な遅れがでてしまった。本店全員が工事に従事、ニコルソンが意地で反発した支店参加も、支店全員投入の人海戦術となった。なんのことはない、斎藤が言ってたことをニコルソンがやっただけのこと。病院に入院していたものも症状が軽ければ出社させることにした。死傷者が続出したが、なんとか工事は予定日に完成。完成した橋の上で、斎藤とニコルソンは工事完成の感慨にふけり、こんどはニコルソンが自分の生い立ちを語り始めた。そしてニコルソンは支店員をあつめて、支店の意地を賞賛して、支店の名誉の銘板を橋に掲げる。

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<おわり>
本当は戦争中のこと、この橋は連合国によって爆破され、斎藤もニコルソンも戦死する。あとは川に橋から落ちた銘板が浮かび、、あれは何だったんだ、、、と、ニコルソンの部下が独り言をいう、、

うーーん、ありがちかもしれん。
全然、古い話ではない。

6500km Christmas Ride 19 クワイ川木製仮設橋

Originally it was wood made bridge, before steel made.

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「メクロン河永久橋」と施工主の日本軍によって名付けられた橋。
すごい人気で、人出でいっぱい。もう押せ押せ状態で、たいへん。これで、一日数本列車が走るので、事故がないようにしないといけないですね。

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まわりも観光客向けのお店がぎっしりな鉄橋。

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鉄橋??ちょっと待って、映画ではこんな橋だったはず。全然鉄橋じゃないんですけど。木製だし、橋の形も全然違う、、

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クワイ川に架かる橋は、「木製の仮設橋」と「鉄橋の永久橋」の2つがあることを知りました。鉄橋の永久橋のほうが、いま、観光客に人気の橋。そして、木製の仮設は? JEATH Museumに模型がありました。

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映画のダイヤモンド型上下トラス構造はあきらかに英国人が得意とする構造だけど、実際の木製仮設橋とは違います。映画は、、どこまでも映画だし、昔の映画にありがちな、全然史実考証無視。当時の映画はそれが普通だったというのをわかってないと、「ぜんぜん違うじゃないか」とかいう人もいそう。もともと小説が架空の話なうえ、デビットリーン監督が映画化に際して好きなように設定しなおしたから、細かいことは言ってもしかたない。昔はみんなそうだったんだよ、、、というだけですね。

それでも、鉄橋の数百メートル下流に木製橋の遺構が残ってます。今は、第二次世界大戦博物館という名前の施設の一角にあります。ちなみにこれは、JEATH博物館じゃないです。別物ですが、収蔵はこっちのほうが勝っているけど、、

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これが、本物の「メクロン河仮設橋」の遺構。本物だけど、趣味の良くないマネキンが本物の良さをダウンさせている、、、

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別にこういうジオラマ仕立ては嫌いじゃないけど、人形のクオリティの低さと、本物と偽物という組み合わせが、どうも、今一つ、、、。展示用に別に小さなジオラマを作ったほうが良いと思う。

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ともあれ、この木製仮設橋ができたのが1942年12月。工期9か月という突貫工事で完成。仮設橋は永久橋の資材人材の運搬を目的としてかけられましたが、永久橋がなんども爆撃で破壊されたため、最後まで木製橋はメクロン橋として重要な責任を負いました。その意義は永久橋よりも重要かもしれません。映画で木製橋が取り上げられていたのは、セット制作費用のため、たまたまだと思いますが、期せずして木製仮設橋の重要さが印象つけられました。

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木製仮設橋はなんども爆撃され、なんども再建され、最後は1946年の洪水で消失しました。

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6500km Christmas Ride 18 橋はクワイ川に架かってなかった

Death bridge was built over "Mae Klong" river.

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やっぱり現地に行かないとわからなかったこともあります。もちろん、調べれば現地に行かなくてもわかることなんでしょうが、「知らなことを知らない」のでやっぱり現地に行ってみる価値はあります。

まず、橋はクワイ川(クウェー川というのが正しい読み方だそうですが、面倒なのでクワイ川と呼びます)にはかかってなかったということ。この川はMae klongメークロン川というこの地域で有数の大河です。河口は宿泊したホテルのあるSamut Songkhramにあり、そういえば来るときに大きな橋を渡りましたが、あれがメークロン川だったのですね。

もちろん橋をかけた日本軍もそれがMae Klong川だったと知ってました。日本軍のつけた橋の名称は「メクロン河永久橋」。じゃあ、クワイ川というのは何?

クワイ川は下の地図でみる左下から中央部にかけて流れてメークロン川に合流する支流の名前です。これが本来のクワイ川で地図にあるDeath Bridgeにはかすりもしません。

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とはいえ、あまりにもクワイ川マーチが有名になってしまい、観光客が「メークロン川にかかる橋」では、違う!!違う橋だ!と大騒ぎになってしまったので、1960年代に橋のあるメークロン川をクワイ川に名称変更しました。なにごとも、ビジネスだもん、観光客が喜んでお金を落としてくれるなら名前を変えるぐらいどってことない。

ただし、本来のクワイ川と区別するため、本来のクワイ川は小クワイ川(クウェーノイ)、名前を変えた方を大クワイ川(クウェーヤイ)としています。だからといって、大河メークロンの名前全体を変えてしまうと下流に至るまでのすべての地名が大混乱するので、大小クワイ川合流点から下はメークロン川のままで変更なし。
こうして、メークロン本流も、合流点から上流はクワイ川です。なんか、まあ、こんなもんでしょう。

クワイ川にかかる橋、、というのはどっからきた話?よくわかりませんが、この映画から来てるのは間違いない。映画には原作があってフランス人小説家ピエールブールの Le Pont de la Riviere Kwaiです。
この時にはすでにクワイ川というのが小説のタイトルになってます。よってピエールの間違いでしょう。ちなみに、ピエールブールはなんといっても、「猿の惑星」の作家として知られています。どっちかというと、「猿の惑星」の方が、戦場に架ける橋の10倍は有名です。私も小学生時代に猿の惑星の小説を読んで大熱狂した記憶があります(映画は小説のあとだった)。

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フランス人ピエールブールは、マレーシアでゴム園の監督をしていたけど、第二次世界大戦がはじまってベトナムとカンボジアの仏印でフランス軍徴兵。フランスがドイツに降伏し親独政権ができたあおりを受けて自由フランス軍に加わりますが、いろいろあって日本軍の捕虜になります。でもって、日本軍からフランス親独政権側ベトナム政府に身柄が引き渡されます。フランス本国がノルマンディー上陸作戦後開放されつつあるなか、フランスも親独政権と親連合国側で微妙な雰囲気。ベトナムの親独側も、「こりゃ、フランスが連合国によって開放されたら、親独側の俺たちはえらい目にあうだろうな」と判断。ベトナム刑務所の親独フランス刑務官が戦後の自分たちの立場を考えたら、ここで囚人の自由フランス軍関係者と面倒な関係になりたくないし、なんか囚人を勝手に開放してしまえ、、という空気になってピエールブールは「脱走」(本当は適当に行ってしまえといわれた)。戦後もしばらくはマレーシアにいたけれど、パリにもどってインドシナの経験をもとに「戦場にかける橋」と「猿の惑星」を書いた、、らしい。戦場にかける橋は、まだいい、、、

猿の惑星、、が、マレーシア、ベトナム、カンボジア生活と日本軍抑留の経験をもとに書かれた、、、なんか、おい、サルというのは俺らのことか?(映画も小説も主人公は猿の囚人になる。囚人記である)という気がするけど、まあ、いいや。

、、、、ともかく、失礼な小説を書いたピエールは、お前だって橋の名前間違ってんじゃないか、、というのがこの記事の主題だよね。


でも、日本軍がつけた橋の名前が「メクロン川永久橋」。ちょとまって、永久橋って?

2017年02月04日

6500km Christmas Ride 17 戦場にかける橋と過労死問題

Famous "Death Bridge" at Kanchanaburi

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映画「戦場にかける橋」は私にとって、非常に意味のある映画です。そこで描かれている日本人はアメリカ映画というフィルターを通して、非常に興味深い日本人像を写していました。興味深いのは、、日本人所長が、開通式のある天長節までに

この工事が終わらないと私は腹を切って死ななければならない

、、というところ、、

納期に間に合わなければ死んで責任を取らなければならない。

。。。これがいまから何十年も前のアメリカ人の見た日本人。納期に間に合わすためには、人の死などかまってはいられない、Death Railwayとまで名前をつけれられた鉄道は、納期のため、プロジェクト完遂のため、人の死などを省みもせず、「枕木一本、人ひとり」という人命軽視で建設がすすめられました。

おそらく捕虜収容所所長さんには悪意があって人を死に追いやったという自覚はないでしょう。戦後70年たっても、現実の日本の労働環境にほとんど違いがないのは残念としかいいようがありません。そして、多くの現実の「捕虜収容所所長」が会社にいて、人々を過労死、過労自殺に追いやっています。が、人命軽視の風潮はとどまるところを知らず、「労働時間」でしか過労を計れず、この時間内であれば頑張れるはずだ、、といった論調も少なくありません。

映画「戦場にかける橋」で監督が描きたかった日本人、、、「労働観、責任、死の軽視」というキーワードは、卓見だと思います。今でも十分にキーワードを考える必要があるでしょう。

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映画を知っていて、その着眼が非常に的を得たものだと思っているので、本物の「戦場にかける橋」がどのようなものか非常に興味があるところです。あの映画を戦争映画、また所長と捕虜との奇妙な交流、アクションもの、、といった範疇でしかとらえられてないのは、、残念です。「人命軽視」こそが主題です。

2017年02月03日

6500km Christmas Ride 16 カンチャナブリ戦没者墓地

Arriving at Kanchanaburi War Cemetery.

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スリン出発前にFB友達から、マレーシアからチェンマイにバイクで旅行して、その途中で日本語で「戦場にかける橋」、英語で簡単に「Death Bridge」と呼ばれるクワイ川にかかる鉄橋に寄ったことを聞きました。あの有名な橋、、、、最初の行程で遠回りになるけれど、次に行くチャンスなんてなさそうなので行きます。

最初に着いたのが、

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目をひくのが連合国軍墓地。でも、華人墓地も隣接してあるのですが、、、

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やっぱり目をひくところが一番観光客が集まりやすいようです。バンコクからも近いので、日本人観光客も少なくないです。墓石にある年齢がみんな若い、、こんなに若くて死ななくてはならないというのは、どれほど残念なことか。

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ここで戦没した多くの人の眠る場所、、、、連合国兵士は7千名弱だそうです。インドネシアから連れてこられた2000人弱のオランダ人と残りは英連邦人(オーストラリア、英国、他)。火葬された300人も全数の中に含まれてますが、遺体が判明したアメリカ人は含まれていません。アメリカ人兵士は「生きてようが死んでようが必ず家族のもとに連れて帰る」という原則があるので、遺体はアメリカに運ばれています。
ベトナム戦争で亡くなったアメリカの兵士の遺骨収集がまだ続いているのもこの原則ですね、朽ちるに任せた大戦中の日本兵が可哀相な気がします。

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「カンチャナブリ連合軍共同墓地」と日本語になっていますが、隣接する華人墓地とかも一見の価値ありです。この戦争で亡くなったのは、連合軍兵士だけなく、日本人も、タイ人、華人も、「ロームシャ」という日本語が定着するぐらい狩られた東南アジア各国からの労務者もいます。みんな戦争の犠牲者、、静かに眠りについてほしいものです。

ちなみに、連合国兵士として亡くなった11人のインド系ムスリムは、全数の中に含まれていますが、ムスリム墓地に埋葬されているとのことです。

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次は、有名な鉄橋ですね。

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6500km Christmas Ride 15 Setting off for home タイからマレーシアに 家路の3区

Headding to Samut Sakhon, 1st day to go home.

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タイのスリンからマレーシアの自宅に帰る、、3区。これが、最後には予想もしなかった洪水と駆け比べという大変なことになるのですが、最初の行程ではそんなこと夢にも思いません。なんといっても、スリンにいた1週間一度も雨が降らなかったので、すっかり行きがけのタイ南部の洪水のことなんか忘れて、翌日の天気予報だけ見て災害情報など見るという発想もなく、、、出発前日。

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数千キロの道のりなので、バイクを洗って、いろいろチエック。水源であるトイレの前に着けて、綺麗に磨きます。ただ、水(ただの川の水だし)は薄茶色。1週間の洗濯の間にすべての服は茶色く染まって、カモフラージュ色。しかし!それでも、マレーシアの自宅の「真っ茶色」の水に比べたら全然まし。マレーシアの家での洗濯には浄水器つけてるし。

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こうして翌日の出発を待ち、、

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夜明け。

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タイの田舎は道路に穴が開いてる上に、街灯がなく、道路が真っ暗でヘッドライトだけが頼り。残念ながら、できる限り日が昇ってからでないと恐くて出発できません。さようなら、ぞうさん達。また来る日まで。
1週間も一緒に寝起きすれば、別れは辛い。

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一路、最初の目的地、Kanchanaburi カンチャナブリを目指します。宿泊予定場所はSamut Sakhon、、、のはず。

2017年01月27日

Steamed Rice @ camp 蒸しごはん

We nomally called "steamed rice", but nomally boiled & stemed cooking. Here, purely, steamed rice @ camp.

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スリンプロジェクトのみんなで川辺に一泊のキャンプに行ったとき、、

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美味しいご飯をいただきました。日本でもキャンプといえば飯盒炊爨、、タイでもキャンプといえば食事が楽しみ。

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ごはんを蒸して料理。英語で白米をSteamed Riceというけど、電気釜だと「茹でて蒸らすご飯」。
ご飯を最初っから、最後まで蒸すとは?

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そりゃあ、もう、すーーーーっごい時間がかかりました。しかも、うるち米系のお米だったし、、いったいいつできるのだろう?とお腹を鳴らせずにはいません。

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構造は、一番下が七輪で、下の釜で水を沸騰させて、、

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上の蒸し器にお米を入れて炊く。

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普通にお店で料理を頼んだり、プロジェクトでご飯を食べたりするのは、やっぱりお客様料理というか、わりとマレーシアでもあるような料理。

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でも、こういったキャンプとなると伝統の技がいかんなく発揮されるということ。こんな風にご飯を炊くのを始めてみた。そして、ご飯、、(、、写真はない。そんな心の余裕はなかった?)。余ったご飯で、焼きおにぎりを作ってる!これはプロジェクトの人の賄い飯、、、いや!私はこっちのほうが良かったのに。汎米作モンスーン地帯アジアのソウルフード、、「焼きおにぎり」。これが食べれるとなると、、生きててよかった、、という気になる。もちろん、分けてもらいました。

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冬のキャンプ、、虫もいないし、ご飯は美味しいし、いいよね。

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