The Redang Telegraph

2018年01月18日

New Riding Boots わあーい!新しいブーツを購入。しかも、前のと全く一緒。

I bought a new pair of boots @ Kuantan

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もう、本当にここ数年の悩みの中心は「靴」でした。お前の悩みはそんなもんか?と言われるとショックだけど、まあ、だいたいそんなものです。特にランニング用の靴は、買っても合わず、ボロボロになった前につかってたやつを引っ張り出して、、とか、なかなか目的が限定された靴にはぴったり!というものが少ない。

雑誌とかには、オーダーメードで靴を作るとかいう広告もたまに載ってたりするけど、うんうん、そうだよ(お金がないけど)、、とか思ってしまいます。そして、バイクのブーツもそう。
なかなか足にフィットするものは少ないです。単に履ければいいだけじゃなくて、クラッチ操作が余裕でできるとか、防水仕様で水が入らないとかのハードルがあります。なんせここは熱帯雨林。雨は避けられませんが、ゴム長靴は蒸れてだめ(日本から持ってきて試してみた)。

とってもカッコいいブーツがあっても、革靴もダメ。皮だと長時間乗っていると次第に水が染み込むし、水浸しになった皮を乾かすのに時間がかかる。

ともかく、スマトラ行きでは、長年履いていたけどまだまだ使える防水仕様の一番足にピッタリするブーツを用意。

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飛行場で脱がないと検査が通らないかと思ってたけど、そうでもなかった。プロテクターがバリバリに入ったいかにも怪しげなパンツやジャケットも、ノーチエックだった。ヘルメットも手に持ってるし、おいおい、ハイジャック犯だったらどうするんだよ、、

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しかし、スマトラの道は辛い。1日でこんな感じ。来る前に磨き上げて、防水スプレーもかけて、完璧な美しさだったのに、、、

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これが数日続いて、もはやこれまで状態の靴。ボロボロ。スマトラ、、恐るべし。

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頼みの綱のジッパーも壊れて、そこから水が入りっぱなし。ツーリングが終わった最後の日は、投げ捨てて、、ビーサンで帰ってきました。まさかこんなことになるとは思わなかったけど、ビーサンを持参しててよかった、、、。新品の真っ黒だった皮パンツが泥で白くなってしまった、、拭けば落ちるかなあ、、

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そして、前と同じようなブーツを探しに行きます。やっぱりないわーーー、何年も前に廃番になったモデルと言われましたが、、いかにも商売が下手でモノが売れなさそうなお店で、、同じブーツを発見。
さすがに何年も箱の中で眠っていただけあって、新品なのにヨレヨレ感がある。でも、これは大丈夫なやつ。信頼しているモデルだから、即購入。お店の人が、靴底補強で横を縫ったほうがいいかもしれない、、ということで、早速靴を作っているところに持って行ってでサイドを縫ってもらい、、できあがり。

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よかった!まだ、このブーツを履くチャンスがないけど、すぐに試してみたい。
まさか、同じモデルがあるなんて思わなかった。ありがとう、、売れないお店の人、、あなたのおかげです。

<追記>
使ってみた。つくりが悪くて左足はいいけど右足がダメダメ。痛くて歩けない。世の中上手くいかないもんだ。


Lake Toba 3 トバ湖は自分で運転してバイクで行くべし。トバ湖周囲の生活がとても愛おしい

Life around the lake.

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トバ湖の周りでは普通に人が暮らして、生活の営みがあります。あたりまえですが、観光地となるとみんな観光産業で働いているかのように思われがち。

バイクのいいところは、狭い所小道でも躊躇なく入っていけるし、駐車するスペースに心配することがないこと。より身近に人々の生活を見ることができるし(ガラス越しじゃなくて)、渋滞も車ほどには気にならない(もちろん気にはなる。黒煙吐き上げるバスの後ろに止まった時は最悪)。

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だから、どんなところにも入っていけます。

カルデラの全てに水が入ってカルデラ湖になっているのではなく、カルデラの内側だけど湖になってないところもあります。こういうところでは火口丘がいくつもいくつもあって、絵になる。

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湖が見える絵になるとこは、みんなお茶屋さんになってタダでは写真を撮らせてくれない。。。泣きたいなあ。なんていじましい、、、

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バリゲでみたホテル、、というか、ホームスティ?こういうところで何日も過ごせたらいいな、、

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この辺の普通の人はお百姓さん、、、米作農家とか、、

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特徴的な家に住んでる人は、お金持ち。普通の人は廃材でつくったような家に住んでたりする、、、

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でも、生活は生活、、ちゃんとしてるよ。このあたりのバタック人は教育熱心でプロフェッショナル指向が強いということです。

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2018年01月17日

Lake Toba 2 トバ湖は世界一のカルデラ湖で、世界一のカルデラで、世界一の火山(火口級?)

Toba has its history.

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トバ湖はトバ火山の噴火によってできたカルデラに水が溜まったカルデラ湖です。そして世界一の大きさのカルデラでありカルデラ湖。火山としても世界一?と言ってもいいと思いますが、火山の大きさとは何で表されるかによりけりで、山としての質量はハワイの山が世界一です。が、火山といえは噴火口。噴火口の大きさといえば、このトバ火山が世界一ということになります。

外輪山を見渡したところ、、、外輪山というけれど、見方によれば「火口の内側の斜面」。かなり急な絶壁です。往路で道からトバ湖が見えなかったのももっともなこと。外輪山は急だしけっこう標高も高い。

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バイクで延々と5時間走ってもついにカルデラの端から端まで行けませんでした、、なんて大きさなんだ。
トバ火山の噴火は、トバ事変、破局噴火と呼ばれ 「トバ・カタストロフ理論 Toba catastrophe theory」のもととなっています。つまり、この噴火によって、地球がえらいことになったという仮説。噴火で世界中に影響を与えただけじゃない、その後の世界は6000年ものあいだ寒冷期、氷河期と呼ばれる時代が続いたのですから。
地球史上最大の噴火が200万年前のイエローストーン噴火で、この7万年前のトバ噴火は第2位。それだけじゃなくて、200万年前と7万年前だと人類に与える影響が全然違う。

一番身近なのは、それまでいろいろいたヒト属のホモ・エルガステルやホモ・エレクトゥスなどがトバ火山の噴火の影響で軒並み絶滅。運よく生き残ったのは、ネアンデルタール人と現生人種だけ、しかもそれすら絶滅しかけて世界中で総人口推定約100万人から数千人から1万人程度に減少、、という結果。ヒト属の中で良く名前の聞く我々のご先祖だけが生き延びたのがこのトバ事変の影響という訳です(進化論的に言うとですけど)。しかも、寒いので服を着るようになった!という服飾史の起源でもあります。

ちなみに身体的にはネアンデルタール人のほうが、頑強で寒いのに強いからだの構造になっていて、頭もそんなに悪くなかったし、社会性もあった。でも、今では残ってなくて、これといった肉体的頑強さもなく、病気にも弱めの現生人種が生き残ったのは示唆に富みます。今、現生人種が70億もいて蔓延しているのは、肉体的に弱かったから必死で状況に適応しようと頑張ったおかげです。適応に努力しなければ絶滅していたでしょう、、今の誰にとっても、社会にとっても、国家にとっても。

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湖の色の美しさはもしかしたらカルデラ湖ならではなのかもしれませんね。日本のカルデラ湖は、摩周湖、大沼、蔵王のお釜、支笏湖、屈斜路湖、十和田湖などがあり、いずれも湖水の美しさ、沸き立つ霧や雲、透明度などで知られています。摩周湖は摩周ブルーと呼ばれ、お釜はエメラルドグリーン。

もちろん、トバ湖は世界最大というぐらいで、日本のカルデラ湖をもっと何倍もダイナミックにした美しさで私の足も止まってしまった、、いやー、完全に足がすくんでしまいました。

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友達から中央火口丘であるサモシール島まで行けばもっときれいなところが見れるよ、、と言われましたが、そこまでいく時間はありません。

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バリゲから見た風景で満足です。次のチャンスがあれば、もちろんサモシール島で何泊かしてみたいです。

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私のおすすめは、メダンから南下する道で最初にトバ湖と出会ったところと、このバリゲです。

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観光地になっているパラペットはおすすめしません。観光客が多すぎてゴミの山です。道端にゴミを捨て、家の窓からゴミを捨て、車からゴミを捨て、湖にゴミを捨て、さらにゴミ回収が貧弱だからゴミの野焼きなんかしている。

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もちろんゴミの写真なんて撮らないけど、、、

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普通に劣化版プーケットのパトンビーチという感じ。ただし、私の意見は単にトバ湖の一面しかみてません。私はせっかく美しいトバ湖は美しい姿で見たいのでこういう感想ですが、

トバ湖は行楽地なので叫んで笑って大喜びのビーチリゾートであるという考えであれば、パラペットは十分に楽しめると思います。子供たちだったら絶対パラペットの一押し。むしろ、バリゲなんて退屈で面白みのない所、、かもしれない。つまり、人それぞれ、自分に合ったようにトバ湖を楽しむということですね。

水辺の行楽地で避暑地でもあるトバ湖に、江の島性?をみるか、、軽井沢性?を見るかというところ。

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しかし、、なんとかならんか、、パラペットのゴミの山。
貧しいスマトラでも、これだけの観光資源がありながら、インドネシア人が自分で資源を破壊しているなんて、、やっぱり教育の無さですね。貧しさの再生産としかいいようがありません。メダンから東回りで来る(まあ、これがメインの道路なんだけど)とパラペットを通らずにはバリゲにもサモシール島にもいけませんが、パラペットは目を閉じて通過して欲しいです。

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外輪山のおかげで広大なカルデラ湖といえどトバ湖がきれいに見えるところは限られています(摩周湖なんかも2−3か所しか展望台がないということです)、、、が、グーグルマップでみると細い間道みたいなのはあるみたいなので、バイクで行くといいかも。人が少なければ、それだけ綺麗なトバ湖がみれるはずです。

Lake Toba 1 トバ湖の美しさは神秘というほかはない

The beauty of Lake Toba is incredible.

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今回の赤道越えスマトラの旅の2つ目の目的はトバ湖をみることでした。
最初は北のメダンから湖にたどり着いたときに僅かに見えたのですが、そのあとスマトラ大断層を走る道路となったので全く見えなくなり、ついに赤道越えの往路では再びトバ湖を見ることができませんでした。

やっとトバ湖をみることができたのは、ブキティンギからメダンへの復路。地図でいうと南から北に上って来るところです。地名でいうとバリゲ Baligeと言う町。朝暗いうちにタルトゥン Tarutungの町を出発したので、バリゲに到着したのが日の出のちょっとすぎ。カルデラの外輪山からはじめてトバ湖が見えた時、、

これは神が舞い降りた湖だ、、

、、と思わず呟きました。陽が射し始めたトバ湖の周囲には霧がかかり、雲となり、湖の中のサモシール島を覆い始めました。

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ここで足をとめ、湖の見える小径に入りお茶が飲めるお店の庭にバイクを置き、、

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湖をずーっと見てました。この日の前まで毎日朝から雨で、ものすごく鬱陶しい上に寒くて暗くて辛かったのですが、この日は早朝まだ暗いうちに雨がふったもののその後は上がり、柔らかいきれいな日差しが差し込む日となりました。毎日降った雨のおかげで空気は清浄、空は青い。
乾いてるし、暖かいし、きれいだし、、もう、バリゲの住民になってもいいぐらい。

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しばらく、全く動けずにいると、向こうの方から子供たちが釣りにやってきました、、この日はお正月の2日目。2018年早々、良い感じ。子供たちも楽しそう、、ああ、バイクで良かった。車だったらこんな細い道に入ってこようという気にならないし、徒歩だと町から遠すぎ。

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目の前では母鳥が子供たちと一緒に日向ぼっこ。

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かなりしばらくここに居ましたが、いつまでもいるわけにはいかず、座ってたところから見えた船着場に移動。

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2018年01月15日

Zero Degree longitude & latitude / Greenwich & Bonjol 緯度と経度のゼロ度

In 2016, I visited Greenwich as 3rd visits. My first visit there was in 1980s.
then, year 2017, I visited Sumatra Equator first time.

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私はイギリスのグリニッジが好きでこれまで3度訪問しています。グリニッジといえば誰もが知る、本初子午線つまり、経度ゼロ度があるところです。最後に訪れたのは2016年。
このブログでの記事はこちら。
http://inlinedive.seesaa.net/article/435300969.html

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経度ゼロの意味、、というのは正直に言うと「グリニッジ標準時」ぐらいです。気候的にも地学的にも生物的にも、まったく意味がありません。どこが世界の始まりでも「決め」の問題なのでいくつもの国が自分のところが本初子午線と主張してグリニッジを通る線が本初子午線と国際会議で認められたのが1884年。その後もイギリス案を認めない国はいくつもあって、アメリカがグリニッジをとおるのが本初子午線と認めたのは20世紀になった1912年です。まだまだ歴史は浅い。ちなみに本初子午線が通過する国は8カ国、赤道が通る国の約半分ぐらいかあ、わりと少ないんですね。

緯度ゼロ。つまり赤道を訪れたのは、まだ1ヶ月もたってないどころか2週間前じゃないか。なんか、ずいぶん昔な気がするけど、赤道の意味は深い。これは地理的に疑いようもなく赤道は赤道。他に赤道があるわけじゃないです。気候的にも生物学的にも大きな意味があるし、赤道がもつ地球そのものへの意味は大変なものです。北半球、南半球という言い方は普通にあるのがその証拠で、実のところ東半球、西半球という区別を知らない人だっているぐらい。

今回赤道に行けたのは、本当に良かったと思う。後から後からじわじわと、良かった感が押し寄せます。ともあれ、本初子午線(エアリー子午線)と赤道の両方に立てたのもいい思い出ですね。質からいくと、経度ゼロのほうが、さすがグリニッジ、、観光資源は大切にしているしクオリティはボンジョルの上をいってるかあ、

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でもグリニッジはバイクで本初子午線をまたげません。

2018年01月12日

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 20 赤道越え、旅のおわり

End of the Motorcycle adventure @ Sumatra (except Lake Toba chapter)

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西スマトラ州と北スマトラ州のほとんど境で一泊して、夜ホテルにチェックインする前にガソリン入れておいたので翌日は朝早くからツーリングOK。しかも、最後の日、、しかも、晴れてる!最後の最後になって、初めて晴れの日。

まずは、元気をつけるため、初ドリアン。インドネシアでもこんなにドリアン栽培が盛んだとは思わなかった。マレーシアではありえないけど、山道、どこもドリアン臭かった。食べ終わったドリアンはそこらへんに捨ててるんだもん、マレーシアみたいにゴミ箱に入れる、、ということはない。

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品種は、マレーシアでドリアンカンポンと呼ばれている一番馴染みのあるもの。無印ドリアンです。

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そして、一路メダンを目指すトバ湖の東側を走る道路。もともと、来るときだって、この道を通りたかったのですが、GPSに騙されて違うルートになってしまったといういわくのある道路。

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一路、メダンを目指す、、といって話をスキップしますが、本当は日の出のトバ湖の驚異的な美しさとの出会いがあったのですが、それはまた別カテゴリーにしないと赤道越えの旅がおわらない。あの美しさは、まさに「神の降り立った島」、、という以外に表現できなかった。

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ともかく、こういった平均的なインドネシアの道を延々とすすみ、、

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インドネシアでは高速道路で2輪が乗り入れ禁止なのもしらず、高速入口まで行ったり、、メダン市内で道に迷ったりして、夕方の5時頃無事に出発地点に戻って来ることができました。バイクを借りた友人にはあらかじめ、今このへんだから、待っててね、、というWhatappメッセージを送っていたので家の前で待っていてくれました。

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無事にたどり着いた、、、アルハムドリッラ。事故もなく、怪我もなく、病気もなく、毎日元気に走れて、よかった。神様ありがとう。

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友達とも無事を祝い、、新年も祝い、、

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さっさと荷物をまとめます。なんといっても、メダン市内に入ってから、、雨が降り出してきたからゆっくりもしてられない。

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ともだちも、泥だらけのバイクをさっさと洗い始めます。

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、、、で、友達にここから一番近いホテルはどこ?ってきいたら、すぐ近くにあるホテルが良いと教えてもらって、ついでにバイクの2人乗りで送ってくれました(ものすごい荷物があるのにバイクはすごい、なんでも載る)。外からはわからないけれど、高級住宅地の一角。

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晩御飯は今回のインドネシア旅行の成功を祝って、新年も祝って、一番ゴージャスな料理。なんとデリバリーのピザ!すごーい、今までのポップミーのかたき討ち?いや、ポップミーにもお世話になりました。

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マレーシアで言うところのブティックホテル、小さなホテルでしたが、このホテルのある区画のモスクにはバトミントン場までついているというゴージャスな場所。

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なんだけど、一歩、その区画を出ると、、、道はいつもどおり、、

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一体全体、ゴージャスなのか、貧しいのかよくわからん。おそらく、これがインドネシアなんだと思う。常に富裕層とともにある貧困層。もちろん、貧困層が圧倒的多数です。

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今回の旅でいろんな経験をして、いろんな考えをもちました。それが、すべて良いほうにいくといいですね。
ともかく、一番つらかったのは、ずぶ濡れになったこと、しかも毎日乾く暇もなく濡れ続け、、、ブーツは破壊的な臭いがして、もう1秒たりとも履けないので、速攻でゴミ箱行き。長年私の足を守ってくれた丈夫で「防水仕様」のものですが、今回の旅は「防水仕様」を粉みじんにするほどの悪路で靴底は穴があき、浸水。

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靴下も全部捨ててしまった、、洗濯しても臭いが落ちないし。Tシャツも、他のものも、濡れてダメになったものはすべて捨ててしまった。こうして、行きよりも帰りのほうが軽いにもつの出来上がり。こんなことは普段だったらあり得ない。

来るときはこんな感じだったのに、、、

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帰るときはビーサン。これで飛行機にのります。皮のライダーパンツは一緒だけで拭いても落ちない泥のおかげで白っぽい、、

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赤道越えは、よかった、よかった。無事が一番。安全第一。友達も倍増。弾丸ツアーで、観光らしい観光はほとんどなかったのが、悔やまれます。そもそも、観光地があるとは知らなかったというのもだけど、ブキティンギの日本軍のトンネルとか、時計台とか、西スマトラの温泉地だとか、キリスト教関連施設とか、いろいろあったし、いろんな山々もゆっくりトレッキングできたらよかった。

スマトラは生物多様性ホットスポットの中でも飛びぬけてホットスポットで、最近新種のオランウータンが見つかったり、日本でも名が知られている熱帯魚のスマトラがいたりします。生き物に溢れたこういった国立公園もゆっくりまわりたかったなあ。

つまりは、次来るときは1か月ぐらいかけて、スマトラのアチェから南まで全部回って、ジャワ島を横断して、バリ島まで行くということ!陸路で、もちろんバイクで!

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赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 19 地元のみんなと、いろんな話をして楽しい。これが旅の醍醐味

Meeting local people is really fun.

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マレーシアでは都市の大型ガソリンスタンドは24時間営業が普通です。で、てっきりインドネシアもそうだと思って、朝6時にホームスティを出発。スティ先のおばちゃんが朝ごはん食べる?と聞いてきたので、わあ、何ができるの?と聞き返したら、、ポップミーだった。。。いや、もう、ポップミーはお腹いっぱい。もう、一生ポップミーを食べなくても平気だし。ごめん、要らない、、と断って出発。すぐに、ガソリンスタンドに行ったら、、閉まってた。あと1時間待たないといけない。この先にはガソリンスタンドがないのは昨日同じ道を通ってきたから知ってる。

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スタンドが閉まっていてショックだし、雨が降ってたし、情けない思いをしていたら、スタンドの2軒先にどうやら喫茶店みたいなところで灯りが付いてた、、、早速行くと、、

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お店は閉まってた。しかし、若者が8人ぐらい椅子を並べて寝てる。どうやら昨夜のお祭りで遅くなった若者が家に帰らず友達の喫茶店で雑魚寝、、、というパターンらしい。喫茶店はそういうことで営業してないけど、お店の中で目が覚めてゲームしている若者が何人かいたので、さっそく戸をあけて、、

やあやあ、おはよう!雨がひどいよね!ガソリンスタンドに来たけどまだ閉まってたよ、ちょっと雨宿りさせてくれる?

、、という、いつもの「始めた会うけど何十年も前からの知り合いのつもり」の調子です。沖縄には、いちゃればちょーでぃー、、(一度会えば兄弟みたいなもの)という言葉がありますが、私の場合、一度もあったことなくても人類はみな兄弟、、、会う前から兄弟なんだよ。

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むこうも退屈してみたいで、さっそくいろんな話。ああ、英語ができる人がいて助かった。雨の話、バイクの話、道が悪い話、ちなみにブキティンギに来る道は夜だし超悪路で時速20キロぐらいしか出せなかった、、という話をしたら、、、

「あそこの山道は幽霊がでるんだよ、、有名なんだから」

わあ、なんか白いものが道路をさーっと渡ったのを見たけど、あれがひょっとして幽霊?地元の人のような気もしたけど?ま、いっか。。。こんな話をしていたら1時間過ぎるのはあっという間。ガソリンスタンドが開いたので名残惜しいけど出発。みんな、お店の外まで見送りに来てくれました。ありがとう、突然乱入したのに。

こういった、地元の人達との話は面白いことが多いし、幽霊ネタのように地元の人に訊かないと絶対本に載ってないようなことも聞けます。こちらは、まだ北スマトラ州に居る時、、突然雨が降り出して、ちょうど休みたかったからすぐ横のお茶屋さんに入ったときのこと。お客さんは三輪タクシーの運転手さんばかり。

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こちらは誰も英語がわからん!困ったなあ、と思っていたら、目の前の白い帽子をかぶったオジサンが近くのモスクのイマームであることが判明、すぐにアラビア語で話しかけたら、ちゃんとアラビア語で返事!お互いに、、「おおお、、なんでこんなところでアラビア語が!」。イスラーム圏でちゃんとモスクがあるようなところだと、モスクの導師を務める人はだいたいアラビア語を話せます。

こういう場面はタイのプーケットでもあったし、モザンビークでもあった。誰かがアラビア語は中世のラテン語と同じで勉強した人は世界中にいるのでなんとかどこでも通用するよ、、と言ってましたが、そのとおり。

ここでは、三輪タクシーの運転手たちのいろんな話や天気がどうなるかといったこととか、あと、なんだっけ忘れたけどいろんな話をしました。

バイクは積載量が限られてお土産なんか積めないけど、こういう思いでは積載量関係ないから脳みそがパンクするまで積めます。ただ、すぐ書かないと忘れてしまうけど。

私の場合、旅の醍醐味は、地元の人との話。これに尽きるような気がします。

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 18 スマトラの新年はボンジョール!で、ボンジョルはパドリ戦争の英雄

Iman Bonjol and Perang Padri Minangkabau War

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新年はボンジョール!からはじまりました。このバイク旅は往復なので、前日北半球からせっかく南半球に降りてきた(標高差的にも降りてきた感あり)のに、また赤道を通過して北半球にもどります。今日の赤道は雨が降ってません。よかった、、朝早い時間帯は雨が少ないのはマレーシアもいっしょ。午前中にどこまで距離を稼げるかがキモになります。

またもや、赤道。ま、スルーします。せっかく雨が降ってなくても、前日に赤道を堪能したので十分。ボンジョル師にも挨拶して、さようなら。ゲートの奥で馬に乗っているのがボンジョル師です。

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この方がお札に顔出しするようになったのは、対オランダ征服軍との闘いの功績ですが、事情はもっと複雑。これに関してはパドリ戦争というのがWikiに簡単に乗ってます(珍しく和文で)。

パドリ戦争 Perang Padri
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%89%E3%83%AA%E6%88%A6%E4%BA%89

その昔、西スマトラ州がミナンカバウと呼ばれていた頃、今のサウジアラビアのワッハーブ運動に影響を受けて戻ってきたインドネシア人のメッカ巡礼者ハジ・ミスキンら3人。ここから先は、ほとんど現在の社会にも通じるんだけど、、
、、当時のミナンカバウはイスラームとは名ばかりで全然宗教的じゃなかった、お酒もギャンブルも麻薬もなんでもありで、巡礼から帰ってきた3人は「こんなのイスラームじゃない!」と退廃追放運動をおこないます。
すると、ギャンブルやら賄賂やらで儲けていた土地の王侯は、うるせえ!お前らが騒ぐと俺たちが儲からない!と俄然対抗。改革は「パドリ派」と呼ばれていたため、パドリ戦争と呼ばれます。このパドリとは?語源的には今でも謎だそうで、なんでパドリって名がつけられたか今ではわかりません。

この3人の巡礼が勢力を伸ばし、王侯はスマトラ海岸地帯にしか影響力がなかったオランダ軍に応援を求めてパドリ派と闘うことにしました。まさしく、ミナンカバウ人自身がオランダ軍を呼び込んだわけだ。この戦いは何十年も続き、3人の巡礼の次の世代に活躍したのが、ボンジョル師やラオ師といった人達。

ラオ師の騎馬像。ラオ師はバタック人です。Tuanku Rao

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どの角度からも、ラオ師の顔が見えないという不都合な配置。もっと、考えて設計すればいいのに、、

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とりあえず、ラオ師はこんな感じでバタック人を教育したらしい、

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地元でラオ師はボンジョル師(ボンジョル師はミナンカバウ人)と並び称されているけれど、パドリ戦争のWikiの中では名前もでてきません。ただ、Tuanku Raoの項目はありました。私の見たところバタック人とミナンカバウ人の差はほとんどないです。社会的にプロフェッショナル指向が強いところなんてほぼ同じ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Tuanku_Rao

ナポレオン戦争が終わって混乱したオランダ本国からほどとおいミナンカバウでも一時はパドリとオランダの間で停戦ができたものの、すぐにオランダとの戦争は再開。

こうして、パドリ派の目的が世俗社会の浄化、社会改革から、オランダ軍による内陸部植民地化との戦いに内容が大きく変化して、ボンジョル師の立てこもったボンジョル砦は1832年に陥落。

それ以降ボンジョル師は遊撃に転じますがパッとせず、ラオ師は1833年に戦争の傷で死んでしまい、ボンジョル師は1837年にオランダ軍にとらえられ(その後スラウェシ島に流刑)。最後まで残ったダルダル砦も1838年に陥落してパドリ戦争は終結。結果として、オランダ軍のミナンカバウ(西スマトラ州)全域の植民地化ということになりました。

なんか、今も良く聞くけど、社会改革(パドリ派)と保守派(王侯派)の戦い、、が、結果的に第三者(オランダ軍)の利益になって前者の両者とも潰れてしまう、、という話。

赤道直下の昔の話。いまのボンジョル公園(赤道公園とは違う場所)は、平和な場所、、

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朝ごはん食べて、、ナシゴレン、、元旦の朝は、、ナシゴレンが似合う(たぶん)。

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だれもいない遊園地で暇そう、、200年前の戦争なんて思いうかべることだってできません。

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ずっと平和でいてほしいです。パドリ派、つまり社会改革の伝統は色濃く残り、現在でもミナンカバウ人がインドネシア全体の社会改革の旗手になることが多いそうです。それに、西スマトラ州は今でもムハマディヤ系統の社会改革が盛んな土地として知られています。

ちなみにマレーシアのヌグリスンビラン州にはまとまったミナンカバウ人のコミュニティがあり、N9のマレーシア語にはミナンカバウ語の影響があるそうです。それに、ミナンカバウ人は「世界最大の母系社会」だそうです、、なんか興味津々。

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2018年01月11日

赤道越え Corssing Equator @ Sumatra 17 バイクで赤道越えした証明書をもらった!しかも友達が一挙に倍増

Thank you all my biker brothers at Zero Degree Bonjol Equator.

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記念撮影も終わったし、雨も降ってるし、こりゃ、さっさと出発しないとすぐに真っ暗になって道が見えなくなるぞ。。。と思ったとき、入り口のほうから若い人がやってきた、、話しかけてくるのだけどインドネシア語、、、うーん、わからん。
雰囲気的に、「もう、公園の営業時間は終わってるので、そろそろ出てくれるとうれしい」みたいな感じだと思ったので、OK、すぐに出るからちょっと待っててね、、とか言ってバイクに跨がろうとしたら、その彼がどこかに電話してた、、そして、電話に出るように促されると流暢な英語で、、

「バイカーだよね、赤道越えの証明書を無料で発行しているんだけど私のところまで来ない?」

え!公園から出て行けと全然違うじゃないか、まあ、私の推論力なんてこんな程度。

ところで、、、えーと、彼のところとはいったいどこ?というと傍にいる彼が連れてきてくれるということ。証明書なんて聞いたことなかったけど、、どうしよう。雨も降ってるし先を急ぐ気もするけど、、、

しかーし、、、、もちろん、面白そうなことにひかれる好奇心には勝てません。さっそく、隣の彼の後にしたがってバイクでいくと、入り口の目の前の家につれていかれました。入口で迎え入れてくれたのは電話で話をしてくれたヘンドラさん、地元のバイカーのキャップテンです。案内されて2回に上ると、私の前に赤道越えしたグループの人達がいて、みんなでお茶してました。ここから、ちょうど私が記念撮影していた場所が丸見え。きっと、お茶していたら「こんな遅い時間に到着した赤道越えバイカーがいるよ!ちょっと呼んで来よう」ということになったのだと思います。

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赤道越え証明書をその場で書いてもらって、証明番号が5089番。これまでに、ヨーロッパ人とかオーストラリア人とかのバイカーはいたけれど、日本人は初めてだよ、おめでとう!と言われて、すごくうれしい。そっか、日本人バイカーは初めてなんだね、、、日本人初!というのはなんだか偉くなった気分。これで、2日かけて道なき道をやってきた甲斐もあろうというものです。

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他のバイカーは、ジャカルタからアチェまで行く途中のジャカルタ人たち。面白いことに、グループじゃなくて、それぞれ数名ずつのほぼ単独行の人達。でも、目的地は一緒らしい。まあ、休暇だし、そういうこともあるよね。みんな、ここで寛ぐらしいです。ヘンドラさんから、ここで今晩みんなと一緒にユックリしない?それとも、ヘンドラさんの自宅に泊まる?と言ってくれました。

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それもいいけど、今日の目的地のブキティンギはあと50キロぐらいだし、ホテルは予約してないけど、前日があんまりゆっくり寝られなかったので、今日はホテルでゆっくりしたい気分があったので、お誘いを断ってブキティンギに向かいました。

結論から言うと、ブキティンギのホテルは満室。残り1室もなかったけれど、たまたまホームスティをみつけたので通常価格の4倍の値段で一晩をすごしました。ああ、ヘンドラさんの勧めに従ってボンジョルに居てもよかった、、、と思ったけど、まあ、私はその時々の決断を後悔しないことにしてるので、これでいいです。

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ちゃんとベッドもあったし、ホームスティの人達も親切だったし、当日がお祭りでホテルが満室なのに、知らずに来た自分が浅はかだったし(いや、確かにヘンドラさんはホテルは満室じゃないか?と言ってた。だからうちに来ないかって誘ってくれたんだ)、まあいいや。通常価格より高いのはお祭りだからしかたない。

人によっては、ぼられたと思うかもしれないけど私はそうは思いません。第一、旅行者なんだもん、ぼられるのが嫌なら、旅行なんてしないこと。お金は天下の周りものだし、どってことないです。お金をだして清潔な浴室付きのベッドがあったなんて、むしろ神様に感謝したいぐらい。しかも乾いてるし。

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赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 16 ついに赤道に到着!(下) 赤い線をまたぐ日がやってきた

I was the first Japanese Rider crossing this Bonjol Equator.

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赤道直下で雨宿りしながら、赤道公園をみると人がいる。時間が遅かったし周りも暗いのでもう公園は閉まっているのかと思ったけどちらっと人影がみえたので、バイクで入口まで戻りました。入口は北半球にあるので、ぐるっともどって公園の中にまでバイクを乗り付けました。もちろん、入り口から見えた赤道、、赤い線があるところまで

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この後については、このシリーズの冒頭に書いたので、割愛。この公園はTaman Equator Bon Jolといいます。ボンジョル赤道公園です。大きな看板があったので、近くまで行こうと思ったけど、、Equotarの"E"の文字が落ちてた、、、QUATORじゃあ、なんだかわからん!これじゃあ、記念にならんだろう、、まあ、いいや、いかにもインドネシアだし、いかにも合成写真ではない存在感があります。

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そして、距離は5mほどの赤道を一杯写真にとって、ちゃんと赤道に立った証明写真。

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こちらは、赤道から横断陸橋のほうを向いたところ。人数の多いセルフィーの場合、この陸橋の階段がひな壇になるらしい、、考えたなあ、

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ボンジョルとはこの村の名前ですが、同時にインドネシアの英雄イマーム・ボンジョルの生まれ育ったところ。土地のイスラーム指導者ボンジョル師はここで村人を率いて、重装備のオランダ征服軍と互角の戦いをおこない、なんどかオランダ軍を蹴散らしたという記念碑的闘いを行いました。それで、いまではお札になってます。お札になるような人の故郷だもん(しかも名前は村の名だし)、地元の人は晴れがましいよね。ちっちゃな村なのに、お札と赤道。なんか、すごい。

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ですから、この公園は赤道公園という側面とイマームボンジョル博物館という2つの要素があって、頂いた「赤道越え証明」にも、白馬にのったボンジョル師のデザインがついています。証明書の透かしの建物はイマームボンジョル博物館の建物です。

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この公園、雨降りだから数が少なかったけど、ライダーや観光客がいっぱい訪れる場所のようです。しかし、豪雨の夕方、、あたりは暗くなるころ、、もう、超寂しい場所で、想像していたような、「赤道まんじゅう」や「赤道せんべい」なんか全然なかったし、お土産屋さんも、キーホルダーも、お人形も、全くなかった。ジュースすら売ってなかった。こんなところに2日間、命を懸けてきたのか?

赤道についたら、赤道にまつわる都市伝説のいくつかを試してみたかったけど、もう、寒くて、びしょ濡れで、寂しくて、もう、写真も撮ったしすぐ帰ろうと、、したら、赤道越え証明書っていわれた?何?もらえるの?どうやって?

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赤道越え Crossing Equator @ Sumatora 15 ついに赤道に到着!(中) 赤道を越えるのじゃない、赤道は「くぐる」んだ。

Finally arriving at Equator @ BonJol, West Sumatra.

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行けども行けども赤道に着かなくて、もう赤道なんて無いんじゃないか?どっか他のところにいったんじゃないか?とか思い始めたころ、見えてきたのが大きな地球と緑の横断歩道。あれが、緑道、、じゃない、赤道です。

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赤道は記念公園になっていて、駐車場が道路の反対側、で、赤道公園がこちらがわ。大きな青い地球があるのが駐車場で、まずはあちらに車をとめて、それから横断歩道を渡ると、、ほうら!赤道を歩いて渡った!となります、、、が、私はバイクだし、歩道橋の下をくぐる、、、くぐると、、何にもない。あれ、道路に「赤道おめでとう」とかあるんじゃない?バイクから降りて探したけど、道路は味も素っ気もない、、なんにもない。

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赤道は緑色、、ま、いっか。でも、赤道をまたぎたいのが人情で、そんな、、赤道の下をくぐって、あれ!赤道行き過ぎちゃった、、、とか、思うのもなんだし、、
バイクでもう一回、歩道橋の下に戻ったけど、ただの歩道橋の下で、そこからは何にも見えない。うーむ、こんなはずじゃないんだけど、、、雨が無情に降り注ぐので、ともかく赤道の下で雨宿りしながら、なんか考えよう、、、

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2018年01月10日

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 14 ついに赤道に到着!(上) もう、ここで赤道に来たことにして引き返そう?

Almost arriving at Zero Degree Bon JOl Equator @ West Sumatra

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走っても、走っても、なかなか赤道に着かない。

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GPSで何度も確認する。だいたいWebには赤道の通過地点の写真がいっぱいアップされていて、もうデジャヴ状態で見たらすぐにわかる、、のだけど、そのシーンが全然前方に現れない、、

雨がすごく強くなり、

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ヤギですら、雨宿りするのに、、私は雨のなか赤道探し、、本当にあるのだろうか?

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ずぶ濡れになった先に、赤道が通っている県の県庁所在地があった。県庁周辺はものすごく新しい。都市計画で造成してできた町ですね。まだ、赤道通過地点までもうちょっとあるけど、この町に赤道通過のモニュメントがあった。

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なんか、もう、これでいいや。赤道通過地点まで行かなくても、この県庁前の赤道モニュメントで十分な気がしてきた、赤道に来たことにして、ここから引き返そうかなあ、、もうずぶ濡れでブーツの中もグチョグチョ。不快感は200%!

とはいえ、このあたりにはホテルもないし、とりあえず、前に進むしかないような気がする。

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 13 スマトラ大断層の斜面は美しい棚田

The Great Sumatran Fault became beautiful rice terrace scene.

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私のバイク旅は、延々とスマトラ大断層に沿ってすすみます。えーっと、英語だとGreatが付くのにWikiでみると日本語は「スマトラ断層」?はあ、抜けてんじゃないよ!グレートだよ!ちゃんと「大」を入れてやってください。スマトラ大断層、、人工衛星からでも見える超巨大断層です。

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これが断層だと知らなければ、ただの峡谷です。知ってると知らないとでは大違い。何が違うかというと、延々と走り続ける(しかも何日も、何日も)時に、これって大断層だよなあ、、と思うと耐えられない緊張も、張り合いがあるというものです。これがタダの谷では、そうはいきません(たぶん)。

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大断層の斜面にそって、美しい棚田が広がります。

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ここはほぼ赤道直下。なんといっても私は赤道を目指しているのだから、ここらへんは「ほぼ」赤道直下です。細い線だとだめですが、地図にぶっといマーカーで線を引くと、完全に赤道直下です。それで、四季はぱっとしなくてモンスーンの有無だけ。こういうところでは、お米の二期作が可能。ちょうど、2期目の収穫が終わって、これから田んぼに水をひき田植えをするところ、、、ヒジャーブを被ったムスリム女性が野良仕事。

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苗代はこちら、、

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谷、、ちがった、、、断層の反対側では、田植えの真っ最中。こちらはクリスチャン式のかぶりものの女性。

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みわたすかぎり棚田で、、

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しかも、田植えのすぐあとだから、稲の若葉がとっても初々しいです。

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もともとは畑作であった稲を半ば水耕することで連作が可能になりました。が、二期作はちょっとやりすぎじゃないかという気がします。土地が痩せて、それを補うための肥料にはどんなものが使われているか興味津々ですね。チャンスがあったら調べてみたいです。


赤道まであと少し、がんばろう。

赤道越え Crossing Equator @ Sumatora 12 貧しい道は延々と、中央に白い線があると驚く

Rough road contines

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スマトラは道路事情というのはとんでもなく悪かった。道路が壊れたり、流されたり、なんてあたりまえ。たまに、道路が川底のこともある。こういう川が、

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そのまま、道路にぶち当たり、、道路のすべてを剥ぎ取って、

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洗い流し、、

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あるいは崖崩れになったり、わあ、崖直前の急ブレーキのタイヤの跡が生々しい。だから、夜なんて絶対に走ってはいけない、、全然見えないもん。

まだ、こういう写真を撮っているところはまだまだ余裕があるところで、本当にひどい道路のところは息も止めて、真剣も大真剣になって、幅30センチぐらいの橋をバイクで延々と渡るくらいのかんじ。当然写真なんて全然撮ってません、、というか、撮ろうなんて考えもつかない。

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道路の冠水になったり。この先がものすごい冠水なんだけど、冠水に近寄るととても写真を撮る余裕がないほど路面がひどい(というか水底だから路面が見えない)。腕が3本ないと写真はとれない。

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お客さんを乗せていると前に進まなくなった三輪タクシーが、お客さんを降ろして歩かせ始めたり、いろいろな人間模様まで観察できる。

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バイクで走るのは必死です。アスファルト舗装がしてあると、、「お、いいかんじ」。たまに道路の真ん中に白い線があったりすると、「お、なんじゃ、道路に線が書いてある、、ひょっとして中央線?」とか驚くほど。ただし、場所によっては中央線があるけど、それは単なる道路の模様のひとつで、車は片側だけで狭すぎて脱輪するから、中央線をまたがって走らないといけないような道もあります。バイク用の中央線か、、?

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ひどいのは、だいたい町と町をつなぐ道路。険しい山道がほとんど。
それにひきかえ、町の中は綺麗だし、道路の幅もあるところはある(ないところはない)。ここは道路がひろかったなあ、

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北スマトラも南部になるとムスリムの比率が増えてきます。このイスラーム学校は生徒数がものすごい!校舎も巨大、、まるで高度成長期の日本の小学校みたい、、

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町のきれいな道路と、、

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大変な山道の落差がありすぎ。

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それは北スマトラも西スマトラも関係ないです。

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貧しさも、山間部はどこも一緒。洗濯も川だし、食器洗いも川。もちろん大きな川は増水したり危ないから自宅近くの用水路でみんな家事をしています。ある意味、日本も昔はそうだったんだよなあ、私が小さいころ用水路で畑でとれたで野菜とか洗ってたの見たことある(野菜ぐらいだったら、いまでも日本で見られると思う)

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2018年01月09日

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 11 これか!堂々一位のインドネシアの国民食!これか?

I ate Pop mie a lot while I was in Sumatra.

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旅行の楽しみの一つは土地の名物料理を味わうこと。。。というらしいです。が、私のこれまでのバイク旅で、切望したってそんな目に遭うことはまずないです。もう、食事より距離、、どれだけ距離を稼ぐかというのがいつもの課題。そんな無理な旅はやめて日程的にゆったりとしたものにすればいいのに、、というもっともな意見もありますが、日にちがあればあるだけ距離を稼ぎたいという「距離依存症」にかかっているので無理。

北スマトラ州から西スマトラ州に入る記念すべき一歩、、、

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しかし、朝ごはんはPop Mie ポップミーというカップ麺です。インドネシア中、どこでもあります。。というか、ポップミーしかないところも多かった、、とほほ、、

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マレーシアの国民食はナシラマ。美味しいご飯にちょびっとのサンバルで軽食はナシラマに限るという人も多いです。インドネシアはナシゴレン。ナシラマみたいは白ご飯というより、焼き飯中心。じゃあ、インドネシアの国民食はナシゴレンなんだね?

ちがう!ちがう!

声を大にして叫びたい、インドネシアの国民食はポップミーです。もう、これ以外はありえないでしょう。みんな食べてるし、私はだいたいカップ麺は好きじゃないのですが、もうポップミーしかない!という状況が多かった、、、それはあんただけ、、と言われると返す言葉はないけど、でも、賛同してくれる人もいると思う。

そして、次点は、、マギーミー インスタントラーメンです。朝ごはんでポップミーを食べたら、お昼ご飯はマギーミー。あまりにも可哀想な食事内容なので、卵を追加してもらいました。

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旅行の楽しみは食事にあるという人も多いのに、、私はポップミーにマギーミーの組み合わせ。たまに、ナシゴレン。うーん、多彩な食事のマレーシアが懐かしいよ、、同じような辺境の田舎だって、マレーシアのほうがまだなんぼも食事はまし(たぶん)。もう、ポップミーは一生食べなくても平気。さびしくならないです。

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 10 残りは1つだけ、、と最後まで言われた各地のホテル

I didn't book a hotel room in advance because I didn't know how many km I can ride.

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バイクにのる利点のひとつは、視野が広くていろんなものが見えること。例えば、お米を乾かしているおばさんの頭のかぶりものはバタック女性の、しかも、クリスチャンの巻き方といったことがわかる、、みたいなこと。特徴的な被り物で、シャワーを浴びた後、髪を乾かすのにバスタオルで髪を巻くような、、かぶり方。しかも、両端がとがっていてちょっと見はオランダの伝統的なかぶりもののようにも見えます。

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巨大な破風の建物はだいたい宗教関係、、

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特に先祖の廟なんて、とっても細工が細かいです。

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バタックには先祖崇拝の風習も見られるということですが、本当に土地の偉人の像は多すぎ。象の像もある。あんまり立派なので最初はいちいち写真を撮ってましたが、そのうち、「えーー、またか、、ご先祖様」とか思ってスルー。

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村の教会も、最初は片っ端から写真に撮ってたけど、あまりに数が多すぎて、やっぱりこれも途中からスルー。

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夕方になると雨がひどくなり、体力も限界。最初の目的地はタルトゥンですが、、、もう、真っ暗闇だしこれ以上走ると絶対に事故を起こすぞ、、安全第一!絶対安全第一!もう、あきらめてここで野宿か?と思った次の瞬間、目の前にホテルが!ありえん、このタイミングでホテルが目の前にあるなんて三流ドラマの御都合主義だって気がひけるありえなさ。世の中、こういうこともあるんですね。

しかも、部屋があるか聞いたところ、、「最後の1つだけ部屋が残ってる」。うーん、これは営業トークだよね、、、と思ってたら、本当に最後の一部屋だったことが後でわかり、これもご都合主義のドラマ以上にびっくりな展開でした。神様ありがとう。

ここは、シポホルンという町だった。チェックインするまで名前もわからなかったけれど、とりあえずの目的だったタルトゥンまであと1時間という手前にあり、、有名なのは温泉らしい。しかも、泊まったホテルは温泉ホテルで、温水プールがある、、、ものの、体が疲れ切ってもう、温泉の余裕なし。もったいないけど、温泉はパス。やっぱり、時間にゆとりをもって旅行しないと残念なことも多いです。

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今回のバイク旅はホテルを一切予約しませんでした。初めてのインドネシアだし、天候や体力や道路のコンディションがわからないから、「もう、ここで今日の旅は終わり!!」と宣言してホテルに泊まりたい、、という方法。あらかじめホテル予約すると「無理かもしれないけど、あそこまでたどり着かないといけない」みたいな義務感が生じるし、それってあぶないよ。

、、ということで、一切の予約無しは良し悪し。この時期、ホテルはどこもほぼ満室だったのだ、、(と後で気がついた)。「あんたが休暇のときは、ほかの人も休暇」ということですね、、、

この後、ずーっと泊まるホテルは「最後のひとへや」が付いて回りました。ともかく毎日部屋はみつかったし、ありがたいことです。毎日雨に降られたから、乾いた部屋で、びっしょりな服を脱いで、シャワーを浴びて、乾いた服を着たい。ごはんはどうでもいいから、乾いた服!

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2018年01月08日

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 9 バタック人のお葬式(下)、、踊らなくてよかったよ、お葬式だし。

Funeral service @ central North Sumatra. Local Traditional & Christian method.

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私はこういった賑やかな場所に入り込んでいくのに躊躇は皆無です。いずれその好奇心で身を滅ぼすような気がするけど、さっさとバイクから降りて、、おばちゃんやおじさんから「私の写真を撮りなさいよ!わはは」みたいなご招待をうけて、陽気に行きます。踊ってしまいたいぐらいの陽気さ。

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で、中をのぞくと、どうみても棺桶のようなものが中央にあって、あれ、お葬式じゃないか、、

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てっきり結婚式と思ってきたのに、お葬式とはまた正反対な!さすがに躊躇して、入り口のところに立っている若い人に「ねえ、写真撮っていいのかなあ」と訊いてみます。あっさり、建物の中に入らなくて、この位置からだといいよ、、という返事。

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この若者は私が日本人だと知ると、、ファーストリテイリングで働いているんだよ、、と教えてくれます。へえ?っとした顔していると、「ユニクロだよ、ユニクロ」と丁寧に説明。あ、そっか、なんかそんな名前だったよね。いつもは都市のユニクロで働いているのだけど、お葬式で戻ってきたということでした。

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そっか、ユニクロかあ、こんなバタックのお葬式でユニクロの名前を聞くとは思わなかった。適当にお葬式の写真と撮ったり、お葬式の踊りを見たりして、その場を後にしました。

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滅多にない体験だけど、お葬式自体はあちこちで見ました。亡くなる人も多いようです。本当にあちこちでお葬式でした。

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非常にカラフルな民族衣装の正装をみて、もう観光村に行くことはないですね。生活に根付いた伝統行事での民族衣装はほんとうに綺麗でした。人々の笑顔もやさしいです(お葬式だけど)。

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赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 8 バタック人のお葬式(上)、、とっても華やかで結婚式と間違えた

Funeral service in Batak village.

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トバ湖の周辺、つまり北スマトラ州中央部はバタック人の住む地域。で、観光地にはバタック人の民族舞踊ショーとかいろいろやるリゾートや施設もあるらしいです。。。。それだけ聞くと、ふーむ、バタック人というのは少数民族でなかなか珍しいのだろう、、と思ってしまいます。

、、が、朝から夜まで、ずーっとバイクを走らせて、目にする人、すれ違う人はすべてバタック人。全然珍しくないというか、バタック人以外には出会わないです。観光村でバタック人と触れ合う?えーと、そこらじゅう、みーんなバタック人なんですけど。

バイクを走らせているといろんなところで、こういった花文字の看板を見かけます。さすが、高原で花卉栽培もやっているところ、生花です。あんまりあちこちあるので、ふーむ、クリスマスも終わったことだけど、まだ数日しかたってないので、クリスマスの飾りか何か?とか思ってました。

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こういった、地域の知事とか政治家とかの年末年始の挨拶のバナーも多いし。こういったバナーはマレーシアでも良く見かけます。ただ、ここはバタックの土地、民族衣装というのはレアです。超レアです。
ちなみに挨拶はNatal(クリスマス)と新年。Natalはこの北スマトラ州の郡の名前にもなっています。ナタールはロマンス語かなにかでクリスマスの意味。クリスマスの日にヨーロッパ人が見つけた土地には片っ端からナタールって名前が付いているので、世界中にこの地名があります。

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賑やかに一杯人があつまっているところで、

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民族衣装を着てる人たちがいれば、マレーシアではほぼ間違いなく結婚式です。門には市までたってるし。

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ちょっと覗いてみましょう。すかさずバイクを止めて、アクションカムを片手に飛び入り。カメラを向けると嫌がる人もいるので、適当に撮影できるアクションカムがこういうときは役にたちます。

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2018年01月06日

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 7 スマトラ大断層にそって延々と走る

The Great Sumatran fault

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シディカランへの山道に入るちょっと前に、ちらっとトバ湖が見えました。
地図に赤い矢印をつけたところです、、、

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しかし、写真は撮ってません。今から考えると「あそこで写真撮っとけばよかったのに」と思うのですが、絶好の撮影ポイントはすべてお茶屋さんが立ち並んでいて、ようするに「写真を撮りたければ飲み物頼みな、タダじゃあ撮影できねえぜ」というシステムになっているのです。

日本のように展望台があって、、とかいう公共心は全くありません。風景は金儲けの一部。ちょっと、ムッとして、ま、この先、どっかで湖が良く見えるところで写真とろう、、とか思って先に進んだのが運の尽き。

この後、道路は大きく湖から逸れ、もう見れない、、、OMG。あのお茶屋さんに入っておけばよかった。大失敗、、ということは後から思うことで、その時は、そのうち湖が見れるだろう、、と、ずーーっと思いながらバイクを走らせました。後から気が付くことが多すぎ。

シディカランをすぎると、渓谷、、道路の両側は山でトバ湖が見えるどころの話ではありません。道路は渓谷の中腹を通ったり、谷底を渡ったり、渓谷の頂上を走ったり、、、でも、ほとんどが中腹。

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この渓谷こそ、知る人にとっては超有名、知らない人は全くどうでもいい「スマトラ大断層( the Great Sumatran Fault)」です。どっから見ても渓谷ですが、これは大断層で、宇宙からも見れます。

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トバ湖の西をまるで古い傷跡のように走っている線が、大断層で、私が走った渓谷の道。ついでに言うと、奥の山はみんな火山。赤い線が大断層で三角が火山です。「スマトラ断層」のWikiでの紹介はこちら。図版もWikiのものです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E6%96%AD%E5%B1%A4

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スマトラは地震の巣で、大津波を引き起こした2004年のスマトラ沖地震も、この断層の沖合で発生しています。ともかく、数年に一度は大地震がくるという危ない場所の、そのまた大断層の上を延々と1500Kmも走ったわけですから、地震があればどうなっていたことやら。

ちなみに、スマトラ断層は英語でThe Great Sumatran Faultと言います。Faultといえば、普通は失敗、欠陥、誤りという意味ですが、なるほど辞書を開くとたしかに断層という意味もありました。私的にいえば、あのトバ湖がちょびっと見えたところで写真を撮らなかったことが、「Sumatran Fault」。

しばらく走ると、いろんな村々がでてきますが、そのひとつで、なにやら、大勢の人達が道路まで溢れてます。なんだろう?

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2018年01月05日

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 6 朝の6時に教会の鐘が響くバタック教会の村々

At 6 o'clock, church bells ring all over the valley.

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シディカランへの道は、このルート上で最高の標高。これが、また高い山地なんだ

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もう、メダンからずーっと山奥のルートだけど、このルートにそって教会がたくさんあります。

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特にクリスマスも終わったばかりの今、町や教会ではクリスマスの飾りつけが賑やか。そうでなくても、バタックの人たちは煌びやかなのが好きだし、もう、キラキラ。

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ここの教会はHKBT教会と略されるHuria Kristen Batak Protestan、ルター派系の独立会派プロテスタント教会です。1800年代の半ば頃、主にドイツ系のルター派宣教団によってバタック人への宣教が始まり、随分と広まりました。私は知りませんでしたが、マレーシアにもインドネシア系の人達によって建てられたHKBT教会があるそうです。なるほど、、こんど場所を探していってみたい。

ちなみにバタック人は、なかなか教育熱心でプロフェッショナル指向らしいです。ちょうどマレーシアのインド系のようですね、でも人種的にはマレーシアでオランアスリ(アボリジニ)と呼ばれるような立ち位置です。

HKBTのWikiのページはこちら。
https://en.wikipedia.org/wiki/Batak_Christian_Protestant_Church

朝の6時になると、この谷間の村々ではどこも教会の鐘が鳴り響き、だいたいその時間にはすでにバイクに跨って出発している私としては、時間がわかり非常に便利。

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時間的にはイスラームのアザーンのほうが早い時間なのですが、手頃感といえば教会の鐘が良い感じ。このあたりでは、モスクはあんまり見かけません。北スマトラも南部になってくると数はモスクと教会が逆転してモスクばかりになってくるのが興味深い。

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インドネシアはムスリム人口も人口比も多いところなので、こんなにクリスチャンが多い土地があるというのが意外だったし、びっくりしました。ある処には、あるものなんですね。尖ったり四面破風だったりする塔の先端にそびえる十字架が目印。なかなか古びてフォトジェニック心を揺さぶる教会も多かったのですが、バイクで先を急ぐので時間がない。いずれ、また来たいです。

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ちなみに北スマトラというのは地理上のスマトラ北部というのではなくて、北スマトラ州という名前です。スマトラの最北端の州はアチェ州で、北スマトラはその南。名前からいくと、スマトラの一番北にありそうですが、そうではないというのが面白いところ。

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アチェはイスラーム色の強いところで知られています。案外それは北スマトラがクリスチャン多数という、なんか包囲されている感があってのことなのかもしれない?ちなみに今回のバイク旅は北スマトラ州から西スマトラ州にかけて走るというものです。また、西スマトラ州はイスラーム色が強いので、ほんとは北スマトラ州のクリスチャンがムスリムに圧倒されているというべきなのかもしれませんが、まあ、私にはあんまり関係のない話です。

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赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 5 山の中にいきなりリゾート出現。Bukit Kubuはメダンの軽井沢。

Resort on the top of mountain, suddenly

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メダンからは山道を登って登って、それが九十九折もかくやというほどヘアピンカーブの連続。しかも道路がボロボロだったり、洪水で流されてたり、、というのをしばらく行くと、、

いきなり、山の上に観覧車と、、アナが、、なぜお前こんなところに?アナも出稼ぎか?それに、急に車が混みだし渋滞発生。そう、この辺は標高が千メートルを超えメダンの避暑地になってました。

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更に行くと、Bukit Kubuの文字が。さっそくグーグルマップでチェック。地名とか写真に撮って置くと、後で調べるのに役に立つんですね。この地図でみると、観覧車にのるとトバ湖が見えるんだ、、

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場所判明。遊園地の名前もこれでわかったし、このあたり一帯が高原のリゾートなのもわかった。

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ここもまた、狭い道の両側に家が張り出して通れない、、、渋滞はだいたいバス、ミニバス、三輪バイクタクシーのどれかがいきなり停車して、後ろの車も全部それに倣って止まることから発生。どうにかしてほしい。。といっても、どうにもならんのだろう。

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リゾートだけじゃなくて、新鮮な農作物!青物屋台も多いです。なんといっても高原野菜の山地。町のシンボルはキャベツ!

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何と言ったらいいのか?こちらの建築様式の四面破風の建物がならび、破風板の妻飾りが綺麗です。

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一般民家でもあるけど、四面破風は宗教建築物や墓地覆いなどに多く見られて、、これって、日本の権現づくりと同じですね。なんか関係があるのだろうか?ないだろうなあ、、

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高原の切り花売りのお店を横目で見ながら、、

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一路、、シディカラン Sidikalangを目指します(もちろん、その時はGPSだけが頼りで、Sidikalangなんて地名も知らなかった)。

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はっきりいって、山の上は寒い。避暑地というけど、これは寒すぎ。

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この後、シディカランまでの道が大変だったのは、通り過ぎてからやっとわかった。いや、全部大変なんだけど。

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 4 ここはどこ?GPSでは全然わからん、頼っていいものやら?

Entered mountain road unexpected/unshceduled due to GSP said "YOU GO THIS ROAD!".
then, I lost around 4 hours.

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強烈な渋滞のメダン市内を抜けるのに2時間もかかってしまった原因は明らか。道路が悪い、設計ミス。インドネシアの交通がひどいのは良く聞いていたけれどてっきりそれは運転マナーの悪さや交通量の多さにメンテナンス不足に起因するものだと思っていたけど、聞くと見るとは大違い。

あきらかに、道路建設の設計ミスです。こんな車道の幅の狭さはありえないし、路肩が無いのはどうして?車道しかなくて、路肩がなくて、すぐに商店は住宅が接しているのはありえんだろう?たしか、ジュネーブ条約でも、ウィーン条約でも道路の基本設計はあったはずです。それが、完全に無視されている。こんな道路だから、ああいう運転マナーの悪さは必然的で、むしろ、ああいう運転しかできない。

、、ということで、「ありえん、ありえん」と呟くこと1万回。もちろん、こんな市内の写真はありません。もう、運転に命がけだもん。やっと市内を脱出、少し走ってやっと朝ごはんが食べられるようなお店に到着。

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マレーシアの国民食、ナシラマは?ありません、というか、それが何かお店の人は知らなかった。ともかく、マレーシアとインドネシアは全然違う。多くの人が言葉が似てるから誤解するけれど、マレーシアはインドネシアよりむしろタイのほうが生活習慣的に近いんだよ。こんなに近いのに、マレーシア人バイカーがツーリングにインドネシアを避けてタイに行きたがるのも道理だよね。

さて、ここはどこ?

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なんと、全然行きたかったルートと違う。というか、こんなところに道路があったんだ。予定では、トゥビンティンギと書いてある方に行きたかったのだけど、GPSに今晩の最終目的地を入力したら、こんなことになった。GPSは頼れるというか、こんなところではGPSに頼る以外に策はないのだけど、しかたないのだろうか?周囲や進行方向はわかるけど、たとえば島全体での自分の位置とかがわからん。例えば本州島全部がでるようなレベルにはならないです。

東京から新潟に行くのに関越道を使わずに、何故か名古屋経由になってるようなもので気が付くと東名道路に乗ってた気分。やられた、、というか、道路標示の地名を見てもそこがどこか見当もつかないし、行先見てもわからんし、GPSだけが頼りなのに、、、OMG.

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で、地図に乗ってなかったGPSご推薦の道を行くことにします。というか、もうここまできたら前に進むしか「戻る方法」がないでしょう。方角的には間違ってないのだし。あきらめが肝心

延々とつづく登りの山道。すごい田舎。

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マレーシアの田舎より、もっと田舎。むしろ、貧困というレベルですね。

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旅の本当の目的は、じつのところ旅にはじまりには全く予想もしなかったところにあります。今回の旅の目的は「赤道越え」で始めたけれど、結果的に持ち帰ったものは「インドネシアの貧困」という思いです。



調理は薪、皿洗いや洗濯は川で、飲料水も川の水を煮沸したもの。

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マレーシア人の友達が、「マレーシアは日本から100年遅れてる」といって、嘆いてました。そんなことあるか、せいぜい数十年だろうと私は答えたのですが、インドネシアはマレーシアから20年は遅れてると思う。タイからだって、10年は遅れていると思う。

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なんてこったい、、

2018年01月04日

赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 3 メダンが始点。もう、大変な混雑で排気ガス吸い込み過ぎ。

Medan is full of fume and haze.

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空路でメダンに行きます。
バイクに積むものプラスプラスで、荷物は多い。これのどこまで積むのか?そもそも借りるバイクはヤマハのバイソンというインドネシア限定車で、マレーシアでは誰も知らないのでどこまで積載できるか不明。
バイソンは、インドネシアでは人気はあるみたいで、乗ってるとよく「バイソンかあ、いいなあ」と言われました。そうなんだ、、知らなかった。

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飛行機を降りたらすぐにバイクに乗って最初の行程をこなすから、すでにツーリング姿のまま飛行機に乗り込む。やるきまんまん。だって「魂を揺さぶる」だし。

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バイクを貸してるくれる友人に連絡をとり、メダン東部の彼の自宅に到着。ふー、空港からここまで道はけっこうシンドイ交通渋滞。この印象(というか事実)は最後まで付きまとい、インドネシアで最も苦労したのが道路のコンデションの悪さでした。が、まだ、ここではそこまでは理解できてなく笑顔がある。

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手伝ってもらい、荷物をまとめて積み込み。重い、、というか座るところない。本当に毎度毎度乗るのに苦労する荷物配置だけど、これ以外の方法はないし、まあ、いっか。
タンクバッグはマグネット固定式のものを持参したけれど、タンクはまさかの樹脂製。OMGありえん、、けれどなんとかストラップで固定できました。

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それでは、いってきます。うう、、道路は排気ガスが充満している。交通渋滞しているから黒煙をもうもうとあげるバスの後ろから離れられない!少し渋滞から抜けても野焼きのヘイズと排気ガスで喉が痛い、、これってインドネシア人の寿命を縮めるよ?どこからどこまで、インドネシアの交通行政は良くないなあ。

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赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 2 スマトラはKLから近い。マレーシアの我が町より近い。

Sumatra is nearer than my town Kuantan from KL.

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赤い矢印が私が住む町クアンタンで、KLからの道路は赤い線で書き込み、青い矢印がKLからフェリーで定期船がでてるインドネシアの港町タンジュンバライ。海路は青い線。見ると一目瞭然だけど、マレーシアの首都からクアンタンの赤い線のほうが、タンジュンバライの青い線より長いのだ。

悔しいけど、インドネシアのほうが、、、マレーシアの我が町より近い、、、なんか、負けた、、、という感じ。で、このタンジュンバライのあるのが、スマトラ島。インドネシアです。

これまでにこのタンジュンバライ行きのフェリーのバイクを乗せてスマトラ島に渡ろうとした経緯は、記事カテゴリー「インドネシアツーリング」にあるとおり、6月頃から画策して、あれやこれや試して、8月にホテルの予約までしたけど急きょキャンセル。本当に手間暇がかかりました。

スマトラ島に行って何をするのか、、、もちろん。魂を揺さぶる(笑)「赤道越え」に他なりません。バイクで赤道を越えるとは、まさしくバイク乗りの永遠のロマン!!と言ってもいいかもしれません(当社比)

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赤道はこちら。赤道が陸地を通過する国は14か国。おもったより少ない。インドネシアはいろんな島で赤道越えができます。これまで陸路での国境越えは経験があるけれど、陸路赤道越えははじめて。心が揺さぶられるなあ、、、

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赤道越え Crossing Equator @ Sumatra 1 赤道を越えるのは、魂を揺さぶる何かがある

"You are corssing the Equator" @ Zero degree Equator Bon Jol, West Sumatra.

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陸路で赤道を越えるというのは、ロマンの魂を揺さぶる(笑)何かがあります。
ここは、インドネシアのスマトラ島。西スマトラ州のボンジョル村。昔すごく流行った歌手の名前でも、フランス語のおはようでもありません。ボンジョルです。

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赤道ってどこにあるの?と訊く人には正確に伝えたい。赤道はバイクで2日かかる、標高2000m級の空気が刺すような冷たい山奥のそのまた山奥の地震の断層を通って、ずーっと10時間も時速は25km/hぐらいの超低速で四駆の車ですらタイヤが空回りする道なき道を越え、、頭がクラクラさせた先

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、、モンスーンの雨に降られながらデコボコでシートから跳ね上げられ股が腫れ上がり(ニーグリップしてるのに)、たどり着いた先、、

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、、疲労困憊で、目を皿にして、もうそろそろ赤道が見えてくるころだ、、と妄想が頭の中でグリングリンしながら、それでも何時間たっても見えてこないし、道を間違えたんじゃないかと千回ぐらい思った先。

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ずぶ濡れの中、たどり着いた喜びにセルフィーに浸ってる。雨の中、赤道直下で子供たちが遊んでた。ここは、標高が1000m超の山脈から降りてきたところで、まだまだ涼しい上に濡れて寒くて震えてしまう。赤道直下なのに、、

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赤道は赤い、、やっぱり。そんな気がしてたんだ。片道が二日がかりだもん、北半球からきて、

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南半球に抜けていく、、、

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ここで、正式な赤道越えの証書をもらいました。5千人を超える人達がここで証書をもらいましたが、、私はこのボンジョル赤道越えの

はじめての日本人ライダー


、、ということで、こちら。名前は「漢字で書いて欲しい」と頼まれて何故か漢字。彼らにとっても、この漢字入りの証書は「日本人初」の記念になるらしくみんな写真をとりまくり。

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、、ということで、強烈に大変だった北西スマトラ騎行。カテゴリー「インドネシアツアー」に関連も含めてすべての行程をいれています。

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2017年07月19日

Go to Indonesia Need CARNET カルネが必要!!!!

Carnet is requested for crossing border to Indonesia.

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マレーシアからシンガポールに行く人は、もう通勤の人が多くて国境の待ちでエンジンがオーバーヒートしました。見渡す限り、5百台まではざっと目測できるけど、まだまだ、、という、マレーシアからシンガポールに向かうバイクの波。マレーシアからタイに行くにも、汗だらだらで列を作って待つ、、、国境。いずれも、よく知っているし、私自身頻繁にシンガポールもタイも国境を越えています。

ラオスも問題なし、カンボジアも問題ないのは、すでに調べ済。中国は安全書類の手続きが多くて大変だけど、グループで予約すれば問題ない。これまでバイクで行くのに評判が良くないのは、、ベトナム。
バイク仲間から、「ベトナムは行くなよ、、あそこはバイクでの国境越え相当に大変だから」。大変で定評のベトナムというのが私の理解でした。ミャンマーはビザをあらかじめ取る必要があるし、何かと大変そうだけど、行った人の話では、特に問題はなさそう、、少なくとも身の周りに行った人はいる。

しかし!しかし!全然、、こんなことになろうとは思ってみなかったインドネシア。マレーシアとインドネシアの間にはマラッカ海峡どころではない広大な問題が山積していた。周囲にインドネシアにバイクで行った人は皆無だった。

知らない人は、マレーシアとインドネシアの区別がつかないぐらいなものだと思う。しかし、実態はアセアン仲良しトイレ友達4カ国(タイ、マレーシア、シンガポール、ブルネイ)以外は、ほとんど他人同然。友達でもない、、特にベトナム、、、、という理解だったけど、もっとマズいのは、インドネシアだった、、のが判明したというところか。

バイクで行った人がいないのも当然。あそこに行くのはカルネが必要だった。簡単に言うと、日本から韓国にバイクで行くには、簡単な手続きだけでカルネは不要。言ってみれば、マレーシアのトイレ友達と同じ簡単さ。でも日本からロシアにバイクで行くにはカルネが必要。これまで、トイレ友達しか付き合いの無かった私が、赤の他人と付き合わなければならない不安。

マレーシアでカルネを発行しているのはAutomobile Association of Malaysia (AAM)という団体で電話番号とかは調べればわかる。ただし、ホームページとかはない。知り合いのつてを頼って電話しても、誰も出ない。ウエブで探した電話番号にも誰もでない、、ちなみにウエブにはAAMの悪口が一杯散乱していた、、どうもなんかダメダメな組織らしい。。。ああ、カルネがないとインドネシアに行けないのに、カルネが手に入らない、、

Go Go Indonesia 4 インドネシアのビザ取得!の問題?

I understood it was very difficult to go to Indonesia with motorcycle. But, try find another solution.

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マレーシアからインドネシアにバイクで行った、、という人は本当に少ないです。情報を取るため、フェリー乗り場を再訪。今回はちゃんと出航前に行って、窓口の人ともきちんと話ができたし、待合にいる人達、イミグレーションの雰囲気、カスタムの雰囲気とかもバッチリ、、、こちらは、イミグレーションの入り口。

綺麗な新しい建物だし、イミグレーションもピカピカ。

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しかし、情報を集めるうちに、情報の渦。みんな、ひとによって言うことが違う、、情報を集めれば集めるほど、わからなくなってくる、、、それも、悪気があるのでなく時系列によって許認可関係が変わるので、その時点では正確な情報でも、今ではもう古くて間違っている情報にランクダウン。本当に、「その情報は、いったい何時の時点での情報?」というのが最も重要な点です。日付がわからない情報は、、残念ながら意味ないです。

ともあれ、ビザ。インドネシアは2015年に大幅に入管法が変わり、88の海港で入国時ビザが入手できるようになりました。それまで、マレーシアからスマトラに直接入る場合(もちろんフェリーだよ)、あらかじめビザを取ってなければいけなかったのですが、ドゥマイもタンジュンバライもこの新規OKの海港88に入っているバンザーイ。と思っていたのに、、、、

タンジュンバライという港はインドネシアに2か所あって、海港88に含まれているのはシンガポールに近い小島にある、、、タンジュンバライで、スマトラのタンジュンバライではなかった。

この2つのタンジュンバライは良く間違われる(規模も同じぐらい)ということで、スマトラのほうは、タンジュンバライ・アサハンと県名もつけて混同を回避していました、、が、私は回避できず突っ込んでしまったようです、、しかたない、作戦練り直し。インドネシアのビザを取ろう。

多くの人が、「ああ、インドネシアのビザ?日本人ならビザ要らないよ、空港でとれるから」と言ってくれますが、、そもそも、空港じゃないし、海港だって2年前に大幅に開港されたとはいえ88か所。それ以外の港に入ろうとすれば、、あらかじめビザを大使館で取るしかないのだ、、、

まあ、、、いい。こんなことは、よくあること。あらかじめビザを取ればいいだけの話。

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、、、と、気を取り直した。だが、その後、もーーーーっと深い溝に落ちてしまった、、

2017年07月10日

Go Go to Indonesia 3 ナンバープレート交換?

I changed my motorcycle number plate becuase of ,,,, wrong number!!

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インドネシアに行くにあたって、ナンバープレート交換。え!なんで!別にマレーシアのプレートからインドネシアのプレートにする訳ではありません、マレーシアのまま。

なーんと、車体についているナンバープレートが偽造だったのだ!!じゃなくて、、悪気が無くて「間違ってしまった」としか言いようがない。というか、本当に悪気はなかったのか?わからん。

必要な書類を確認して、毎年登録し直している登録証も確認、、、

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で、ふと?自分のブログのバイクのナンバープレートを見ると、、、違うじゃないか!"4"はどこに行った!

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これが駐車場の壁に貼ってある正しいもの、専用スペースの表示。ここは俺様のバイクの専用駐車場だ、他の奴はとめるなよ!というやつです。オーナーの好意で無料でこのスペースにバイクを置かせてもらってます(安全上、セキュリティカメラの真ん前)。

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どうみても、4というのがありません。1年ぐらい前にプレートが割れて、スチール板のプレートに作り直したことがありますが、その時に偽造、、もとい、間違ったのでしょう。フロントのプレート(フェンダーに直接貼ってるの)は確かに4があります。

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これまでに、シンガポールにも、タイにも何度も行ってるけど、国境で誰も気が付かなかった。いや、すみません、乗っている本人も全然気が付かずに1年乗ってた、、、ということで、ナンバープレート屋さんに行ってきました。この場所は前にも来たことがあるので知ってる。その時は、バイクに貼るステッカーが欲しかったから来たのでした。入口で、一杯飾っているサンプルからフォントを選んで、作ってもらいます。
プレートはアクリル板は嫌なんだけど、スチールはある?って聞いたら、無い。。。って。まあ、いいか。

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こうして、偽造プレート、、から正しいナンバーに変更。
気が付いてよかった、、これまで何にも問題が無かったからといって、これからも問題が無い訳じゃないし、問題化する前に気が付いて、本当によかった。しかも、なんで町にはナンバープレート屋さんが一杯あるのか?という理由もわかった(泣)

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マレーシアで車やバイクに乗る人、、!あなたのナンバープレートは本物ですか?ご注意!

Go Go to Indonesia 2 スマトラに行こう、まずは整備

Motorcycle maintenance for the trip to Kota Bharu and Sumatra.

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長距離ツーリングに欠かせないのは、バイクの整備。マイレージ点検にはちょっと距離が足りてないので、フルメンテはツーリングから帰ってからにしましょう。長いイードの休暇があって、整備士さんたちも休み。ショップのオーナーだけが店にいるけど、開店休業状態。

やっと、休暇から帰ってきたのでオイル交換はいらないのでその他のところをお願いしました。で、すぐに呼び出され、、、エアフィルターがこの世のものとは思えないほど真っ黒な排気ガスを付けて油にまみれてドロドロです。マレーシアでは排気ガス規制なんてないし、バイクは2スト天国。もう、道路の排気ガスは大変なものがあるし、バイクがエアフィルターで空気を取り込んでいる時間=私がバイクに乗っている時間なので、エアフィルターがこんなに汚れているなら、私の肺もタダでは済まないはず。うーん、困ったものだ。

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マレーシアでは、排気ガスだけでは満足できず、バイクに乗りながらタバコを吸っている人が多数。もはや、あんた、清浄な空気を吸うと死ぬんかい?というレベル。モクモクと黒煙をあげるトラックの後ろでタバコを吸う人、、、ありえんなあ、、、そりゃ平均寿命が短いわけだ。

それだけじゃなくて、誰かのいたずらでエアインテイクに大きなレジ袋が突っ込まれていたらしい。
道路脇にエアフィルターカバーの隣にあるレジ袋がそう。ありえん、なんでこんないたずらするんだ、、、

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いっときは、バンダナで口と鼻を覆ってバイクに乗ってたけど、汗でびちゃびちゃ引っ付くし、暑いから最近はしてません。でも、あのエアフィルター見ると、、排気ガス対策やらないと命を縮める。事故で命を縮めるより、確実ですね。

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エアフィルターは在庫が無いので、洗って使いまわし、、ついでにブレーキオイルを追加して、ちょこちょこ調整しました。あとは、旅にでるだけ。

2017年07月03日

Go Go to Indonesia ! スマトラに行こう!

Prepared a lot for going to Indonesia.

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マレーシアとタイとシンガポール、、アセアンの仲良し3人組。あとはこれにブルネイが加わるとトイレ友達4人組。国同士はまあ政治とかあるしいろいろとあるけど、国民同士は仲がいいです。独りぼっちの日本が哀れに思えるぐらい。

、、、で、インドネシアは?残念ながらトイレに一緒に行こうと誘われないみたいです。
すぐ隣だし、ひとの交流も多いのに、微妙にインドネシアとミャンマーは「会ったら挨拶はするよ」みたいな感じ。だから、タイにバイクで行くマレーシア人は珍しくないというか、バイク乗りなら必ずタイには一度は行く、、というノリなのに、マレーシア人でインドネシアにバイクで行くというのは聞かないです。

私の周りにも、、ひとりもいない。それどころか行き方も知らないみたい。

ウエブで検索しても、オーストラリアとかヨーロッパのバイク乗りの話は見かけたけど、マレーシア人については(英語で書かないからという理由もあるのだろうけど)話題を見ないです。おかしいなあ、、不思議です。まいっか、、

ガーミンでインドネシアの地図購入。うーん、これには入り組んだストーリーがあって大変な目にあったのだけど、まあいい。

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そして、両替して、、もんのすごい桁。何百万ルピー、、って?すごい、丸の数数えるのが大変。慣れるだろうか?そして、バイクを固縛するためのベルトを何本か購入。普通のみんなが考えるようなフェリーじゃなくて、バイクはどうやって乗せるのかわからん、、というレベルの船なので、バイクを人力で船に吊り上げることも想定して強度のあるベルトです。ウエブで読むとフェリーには荷造りヒモみたいな貧乏くさいちゃちなヒモしかないらしい、、ベルトやロープじゃなくて、ヒモ!

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まあ、マレーシア人バイカーはタイ行を「観光」「レジャー」と考えているのに、インドネシア行きを「サバイバル」と考えているのはよくわかった。日本から見たらマレーシアもインドネシアも大差無いように見えるかもしれないけど、両国を隔てているマラッカ海峡は思ったより深くて暗いなにかがあるのかもしれない。

ま、いいや。どうでも。楽しみたいな。