The Redang Telegraph

2019年12月19日

Sunan Muria on 7th April 2019 (3) スナンムリアのお廟はこちら。長蛇の列で倒れた人がいた、、、なんてとこ

Makam Sunan Muria,, a heavy queue

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どこまでも、階段を登る、、スナンムリア廟。
これじゃあ、足が悪い人とか体の弱い人とか来れないよ、、と、いうことはない。なんと、麓からお廟まで、バイク便か馬便で来れる道があるのだ。個人のバイクじゃこれない、、というのがミソ。ちゃんと、そういう業者がいる、、なにごともお金がかかる。

まあ、いいや、ともかく登るべし、

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登るべし、、

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こうして登りきったところが、、、参拝客でぎゅうぎゅうの長蛇の列。ありえんなあ、、、

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しかも、全然前にすすまない。暑いし、列だから座り込むわけにもいかず、、といううちに、私の後ろ4人目ぐらいの女性が気を失って倒れてしまった。あたり騒然、、社務所の人もきて、列から連れ出して手当している、、スナンムリア、、この渋滞なんとかしろよ、、聖者なんだろう?、、と思うものも、なんともならない。

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列を進むたびに、参拝客は横木に触る、、なぜだろう?

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たまたまとかじゃなくて、みんな意図的に触っている、、

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どうも、触るとなんかいいことがあるみたい、、

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この後、あと8人のスナン廟に行ったわけだけど、横木に触るのは、スナンムリアとスナンクドゥスだけだった。
なんか謂れがあるのか、その後、いろんな人に訊いてみたけど、答えられた人はいなかった。

そして、ようやく、スナンムリア廟。

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もはや、お疲れさまでした、、としか言いようがない。しかも、まだ帰路が残ってるんだよ。
ちゃんと帰れますようにというお願いをしました。

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2019年12月18日

Sunan Muria on 7th April 2019 (2) 門前市は、参道グッズだけじゃなくて、生活の市も兼ねてるから巨大な市場と化してた

Pasar Makam Sunan Muria

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スナンムリアの参道は山道。これだけでも、十分にチーム唯一なんだけど、それ以外に言うと、まず、門前市がお墓の前にあること。は?どうして?そう、日本の門前市はだいたい参道の入り口から山門までの間、そしてそれ以降は寺域となってお土産屋さんはない(代わりにお寺直営のおみくじとか、お守りとかの店になる)。山門までということで、門前市という名になったわけだけど、インドネシアの門前市は、まず、山門(ヒンズー式の門)、お廟、モスクの三点セット。場所によってはミニ博物館もある。そうしたお参りが済んでリラックスしたところに、帰路に門前市があって、お土産屋さんや軽食・ジュース屋さんがあったりして、最後に駐車場に戻るという一方通行形式になっています。

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ところが、スナンムリアは山頂がお廟ということもあって、通路は往復同じ参道。そして、門前市があって、それからお参りという順序になる。もちろん、往復だから、行きはお店を見向きもしなくて、帰りにリラックスしてお土産屋をみてもいいんだけど。。。

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それから、これもスナンムリアだけ!ですが、門前市が普通に地元民の生活の市場になってる。だから、普通に野菜とかある。

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こっちは、染料にも使える山ぶどうだね、、

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ふつうに市場にあるものは、なんでもある。

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そういえば、日本の成田空港でも、成田の地産野菜を売ってたりしてた。おいおい、空港で白菜とか大根かよ、、、とか思ったけど、空港職員とかが家に帰る前に夕ご飯の買い物をするのに便利なのかもしれない、、ああいう感じ。

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他のスナンと同じような、お土産お菓子は、、ある。

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、、、しかし、石臼はないだろう?臼というか石のすり鉢なんだけど、同じく石のすりこ木も売ってる。きっと馳名に違いない。が、こんな山道を登るのときに買うのはありえん。

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普通に山登りするのでも大変なのに、こんなに重たい石のすり鉢を持って登るとか、ウエイトトレーニングか?罰ゲームか?帰りだって、そうとうに大変だぞ。これがまた、一つの店にある、、じゃなくて、ほぼ全てに石の生活用品がある。

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駐車場の近くに石のお土産屋さんがあると売れると思うけど、こんな参道の真ん中じゃ、苦しいだけだと思う。まあ、いいけど。

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そういえば、おなじみの顔出しTシャツは?あれ、無いの?今となっては、本当に無かったのか?写真にとってないだけなのか、わからん。

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ここの門前町はすごく整備されていて、いろんなお土産も買えます。これも、チーム随一じゃないかなあ。普通にお土産もある。

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Sunan Muria on 7th April 2019 (1) スナンムリア、、おそらく10人が10人とも、ワリソンゴの廟で一番記憶に残るところだというはず

Visited Makam Sunan Muria 8 months ago.

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最初に行ったスナンムリアの廟。記事にしてなかったので、写真を探したのだけど見つからない?あ、あった。4月7日、、なんと8ヶ月前のこと。そして、このときは、ワリソンゴ全員の廟を周るなんて全然思ってなかった。

このスナンムリアの廟は、おそらくワリソンゴのグランドスラム達成者なら10人が10人、全員が口を揃えて「一番すごかったスナンの廟」というはず、なんせ、ムリア山という標高2000m近い山のほぼ1000m地点。。。しかも、最後の8合目ぐらいからは徒歩でしか上がれないという、なんてとこ!な場所です。スナンムリアの廟が一番最初だったのは、良かったのか悪かったのか、ともかくその後8人の廟を周る際にいちいち記憶に影響を与えています。

クドゥスから山道になって、

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バイクを駐車場に置く。そこらへんの路駐すると、坂道でバイクがひっくり返ってしまう。ともかく、平坦なところが全然ない道路。だから、駐車場も、山肌を削って平たくしたところが、あちこちにある。

そして、スナンムリア廟の入り口、、すごそうでしょう、、すごいんだよ。

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驚くことに、参拝客の多いこと。ほんとうに9人の中でもトップクラスの参拝客の多さ。ちなみに、一番少なかったのはスナンカリジャガ。
なんで、こんなに多いのかわからないけど、わかるのは、

お参りがハードなほど、ご利益が多そう

という感覚。こんなに大変な山登りしたんだもん、何かご利益があっても不思議じゃないよね、、みたいな感じかな。ともかく、登るべし。

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これがまた、坂道じゃなくて、延々とコンクリートの階段。しかも、高さも幅も一定してなくて、人間工学に全く基づいてない。

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もちろん、お店には杖を売っている。

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本当に疲れる、もう、何回休息所に入ったかわからない、、

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頂上からみたところ。

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登っている最中から、足はパンパンに腫れ、本当にこの足で家まで帰れるのか?いや、その前に、そもそも、スナンムリアのお墓まで登れるのか?わからん、、こんなにきつい参道な山道は、ワリソンゴチーム唯一。ありえん、息もすっかりあがってしまってしまった。

ともかく、スナンムリアの墓にたどり着くまでは頑張らないと、、、暑いしね、、ほんと、汗だく。

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しかも、この参道は他の8人とは大違い、本当に全く違っていた。山道だ、というだけでも唯一なのに、そんなもんじゃない

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2019年12月17日

Wali Songo as new category 新カテゴリーとしてWali Songo ワリソンゴを作って、9人分を集めた。が、最初のスナンムリアの記事がないぞ?

Created New Category as Wali Songo

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ワリソンゴ全員のお墓をまわってグランドスラム達成。達成記念でブログに新カテゴリーとして「ワリソンゴ」を作りました。これで、チームメンバー全員のことが一目瞭然。さらに、関係者、例えばラーデンパタハのお墓とかも一緒にいて、実感を味わおう。。

、、、、としたけど、最初の3人。つまり、スナンムリア、クドゥス、カリジャガ、、の記事が曖昧じゃないか。とくに、最初のスナンムリアの記事は無い!ショック、、、というか、最初のスナンムリアのお廟に登ったときには、まさか、自分が最終的に9人全員のジヤーラをするなんて思ってなかったから、記事を書かなかったのだ!なんと、、、、

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まあ、写真だけはいっぱい撮ってるから、写真がどこにあるか探して、改めて記事を書いてもいいけど。。。。とりあえず、スナンムリアだけだね。後の二人はちょびっとだけど、記事に触れている。ふーむ、、最初から9人全員訪問するぞ!とか気合があれば、記事も書いたのに、その気がないと書かないよね。

本当に、やったこと、行ったことはいっぱいあるけど、このブログで取り上げてるのは10分の1ぐらい。大旅行!世界遺産のジョグジャカルタ&スラカルタ紀行なんて、全く触れてないしね、、、。まったく、世界遺産旅行についてなんにも書かずに、そこらへんの山登りとかは書いている、、というのがこのブログの特徴なのかもしれない。何が基準なのか、私にもわかりません。

おそらく、行ってすぐ、まだ興奮しているうちに書いたのと、忙しかったりして時間があいたものは書くチャンスを逸するとか、、だと思う。

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Completed Wali Songo Visit (7) トゥバン市内の中心地にあるスナンボナン廟。ここまで中心地にあるのは初めて見た。

Makam Sunan Bonang is located just the center of Tuban city.

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ジャワの都市、つまり一般的にKOTAコタって呼ばれている街の中心地は、どこもわりと似通っています。まず、町の中心地にはAlun Alunと呼ばれている広場があって、そこに面してMasjid Agung xxxx なになに(町の名前)大モスクというのがあります。そして、そこが県庁所在地であれば、県庁があって、都市であれば市庁舎があって、と、なっています。警察署の本庁がある場合もあるし、郵便局の本庁があることもあります。だいたい、これが一般的なコタの中心地の布陣。

コタ・トゥバンは、トゥバン県の中心で、なかなかトゥバン県というのは大きいのです。東ジャワ州の西北の端。中央ジャワ州と接しています。このトゥバン市のAlun Alunに面しているのが、Masjid Agung Sunan Bonang スナンボナン大モスク。おお、、、

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スナンボナン廟は、このモスクの真裏。

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しばらく歩くと、ものすごい人混み。

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スナンアンペル廟が混んでたのはインドネシア第二の都市スラバヤにあるからね、、という理解だったけど、スナンボナン廟は、ともかく町の真ん中過ぎる。これほど道に迷わなかったお墓はありません。

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ずんずん進んでいきます。

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そして、お墓はクローズ式で家になって、参拝用の屋根もある、スナンの廟ではわりとありがちな二重屋根。

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それを考えると、彼のおじいさんのスナンアンペルの天井をわざと切り欠いて、お墓むきだし、、というのがどれほど珍しいのかよくわかる。
まあいいや、ずんずん近づいて、、

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もっと近づいて

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もっともっと、、

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ここがだいたい一番近く。どちらにしろクローズ式の廟ですが、中に入れます。ただし入り口が狭い上に、既に中には人がいっぱい。

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ひとしきり見て回ったら、次は門前町、、

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えーっと、顔出しTシャツはないの?

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おやおや、ここでは顔出しNGみたいです。これで3人目か、、

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全体的にさっぱりした、まあ、町の中心地にある!ということ以外は、スナンの廟の一番平均的なお墓といえるでしょう。

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全体的に白を基調としたお廟で、みてて安心できるかんじ。

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2019年12月14日

Completed Wali Songo Visit (6) スナンアンペルのお墓が一番質素だった。しかも屋根なし、雨ざらし。キャプテンなのにすごい!

Makam Sunan Ampel does not roof or any of building, open to sky.

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門前市をまわってから、お墓に到着。。。あいかわらず、すごい人です。日曜日ということもあったのかもしれないけれど、他のお墓は日曜でもこんなに混んでなかった。たぶん、インドネシア第二の大都市スラバヤ、350万人都市、、の市街地にあるということが一番の理由だと思う。これほど多いと乞食の入る余地なし。いや、参詣の人だってすごい混雑なんだもん。

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隣接するスナンアンペルモスク、、これは大きい。マリクイブラヒムとどっちが大きいのだろう。

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水飲み場。沐浴ウドゥの場所じゃなくて、純然たる飲料用。カメがなんか、おしゃれ。

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そして、墓所。墓所には建物がない、、ほとんどのスナンのお墓は家の中に鎮座している。場所によってはわざわざ参詣者が見ないようにがっしり壁で覆っているところもあるのに、ここは遠くからでも見晴らしのよいスカスカな建物なし、、

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あれ!ちょっとまって!屋根もないじゃないか。手前の参詣者が祈祷する場所にはちゃんとトタンのドームがあるのに、スナンアンペルのお墓の上だけ、わざわざドームを切り欠きして、雨ざらしにしている。たまたまじゃないよ、、なんかの明確な意思があるんだけど、、

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なんだろう?その明確な意思は?

明確な意思があるのはわかったけど、その意思がなんだったのかはわからない。屋根を作ってはいけないという遺言があったとか、そういうスンナがあるとか?でもマディーナの預言者モスクだって屋根があるしなあ、、、わからん。

とっても、興味深い、スナンアンペルのお墓でした。

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2019年12月12日

Completed Wali Songo Visit (5) スナンアンペルには、男性の精力増大をお願いすればいいのかな?9人のご利益の守備分野。

Visited Makam Sunan Ampel @ Surabaya

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ワリソンゴのメンバーで一番都会にお墓があって、しかも有名な観光スポットになっている。。。スナンアンペル廟。本当にワリソンゴのお墓で、ふつうに観光客がいたのは初めて。

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さすが、ワリソンゴのキャプテンは違うなあ、、と関心しきり。

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お墓のほうに行く前に間違って、門前市のほうに行ってしまった。こういところは、さきにお参りを済ませて門前市に行くように矢印で誘導されるのだけど、どうしてだろう。ま、いっか。しかし、すごい人波。スラバヤの中心地にあるという地の利を生かして、門前市も大きいです。

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日曜日と重なったからかもしれない。お約束のTシャツも見つけた。それに、ここには他にはないいろんなものがある。
それは、アラブ土産風なもの。

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このスナンアンペル廟はアラブ人街の真ん中にあって、一見してアラブ人風の人も多い。アラビア語かなあ?と思ってそっと寄ってみたら、ごついジャワ語だった、、みかけはアラブ人でも中身は普通にジャワ人ですね。

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もちろん、お約束のナツメヤシは、、てんこ盛り。本当に盛ってる、、

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そればっかりじゃなくて、夜のお菓子?男の元気をもり立てる怪しげなものも多い。本当に多いんだよ。例えば、、精力コーヒー、黒にんにく、、

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元気つけの香水、、たぶん。

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元気つけのチョコ、、たぶん

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たとえば、七福神だとチームメンバーでご利益の守備範囲ははっきりしている。だいたい、神様がチームを組むときはご利益中心に欠けたものを補い合うものと相場が決まっているのだけど、チームワリソンゴの各メンバーの守備位置は知らなかった。どこにも効能は書いてないし、、でもね、スナンアンペルは「夫婦仲良く、男の元気(夜方面)を助ける聖人」として地位は固まっているものだと思う。それ以外考えようのない、門前町の充実ぶり。

門前町で黒にんにくを買って、それからお参りにいきます。

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Completed Wali Songo Visit (4) マリクイブラヒムのお墓は道路から見える。庶民に一番近いお墓だった

A grave yard of Maulana Malik Ibrahim is located adjacent to road, can see from road.

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なんかマリクイブラヒムのこと書いてたら、長々と本人がどうたら、こうたら、、という話になってしまった。でも、それは本意じゃなくて、ほんとうは、単に行ってみて面白かった、とか、乞食が多かったとか、お土産屋さんがにぎやかだった、、とか書くつもりだったのだけど。本当にシンプルでなんにもなかった。

そもそも、バイク置き場もなかった。ふつう、他のスナンだと入り口近くにバイク駐車場があって、<駐車場おじさん>が大げさに手をふって、こっちに駐車しろとか、誘導で大変なのに(もちろん、有料だからね)、、ここは、なんにもなかった。そこらへんにバイク停めたけど。

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ここは記念公園として整備されているのでどっかにバス駐車場も兼ねたおおきな駐車場があって、廟堂まで歩いてくるんだろうけど、どこに駐車場があるかわからなかった、、、まあ、いいか。それに、お墓は、道路から見えるんだよ、、これはチーム唯一。ステンレス色のフェンスの外は道路、内側は廟堂。で、オレンジの屋根の下がマリクイブラヒムの墓。

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ちっと離れたところからの風景だと、こうなる。

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となりがマリクイブラヒムモスクで、モスク入り口と廟堂入り口が兼用となっていて(スナンクドゥスもそうだけど)、モスクに入って右に折れたら、白い門があって、その先が墓所。なんとあっさりしたものか。道路からも丸見え。

Wikiのマリクイブラヒムの項目に廟堂に入るのには入場料が必要とあったけど、そんなもんはありません。というか、道路からだって見えるのに、モスクに入るたびにお金をとったりはしないよ。たぶん、他のところと間違えている?でも、9ヶ所のうち、入場料が必要だったところは一箇所もありませんでした(お布施箱や乞食がいたりはするけど)。まあ、Wikiはこれだからなあ、、あんまり頼るのはやめよう。

ちなみに、マリクイブラヒムの墓所には、乞食は一人もいませんでした。これも、チーム唯一のものです。


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Completed Wali Songo Visit (3) マリク・イブラヒムは、チームの長老。顧問?と言ってもいいかな。

Visit Makam Maulana Malik Ibrahim

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他の8人はスナンなになに(聖なになに)と呼ばれているのに、Maulanaなになに(なになに猊下)と呼ばれている、Malik Ibrahimさん。マウナラはアラビア語(でも語源はペルシャ語かもしれない)で、翻訳するときは猊下です。ローマ法王猊下とかと同じ。ただし、猊下はマウライで、<語尾のナは=私達の意味>なので、「我らが猊下」と訳するといいのなもしれないけど、インド亜大陸(ウルドゥ語とか)ではすでにマウラナで猊下と一体化済み。おそらくジャワのマウラナはインド亜大陸と同じ使い方だと思う。

マリクイブラヒムのお墓は、グレシックにあり、マウラナ某と言わない場合、スナングレシックとも呼ばれています。このお墓の場所は、彼が布教に努めた場所に起因しているみたい。

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ところで、ワリソンゴ9人、、チームメンバーの序列があります。3位以下はともかく、、、

1位 スナン・アンペル (だいたい、、チームのキャプテン)
2位 マウラナ・マリク・イブラヒム(だいたい、、チームの長老、相談役、顧問)

、、ほぼ固定だけど1位と2位が入れ替わることも多し。どうして、スナンアンペルが1位なのかというと、彼がドゥマ王国のラーデン・パタハの師となってジャワ島初のイスラーム国家が誕生した、、という故事によります。だから間違いやすいけど、ワリソンゴ以前からイスラームはジャワ島に伝わってた、、ということ。ワリソンゴの要点は、、一部民衆のあやしい宗教だったイスラームを、国家護持レベルまで高めて権威と正当性を与えたところにあります。、、ふむふむ、じゃあ、2位のマリクイブラヒム猊下は?スナンアンペルのお父さんです。

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ワリソンゴ9人のうち、マリク・イブラヒムの血縁が6人。
キャプテンのスナンアンペルは長男。でもって、スナナンペルの息子2人は、スナンボナンとスナンドラジャト。つまり孫2人もチーム入り。
スナンギリは兄(マウラナ・イスハク)の子供だから甥。スナンムリアは、スナンギリの娘がお母さん(だから、マリクイブラヒムの甥の孫)。でもって、マリクイブラヒムはペルシャ生まれというのが定説なので、この6人は純然たるジャワ人とは言い難く、外来者だからこそ因習にとらわれず活躍できたともいえます。

こういうことで、マリクイブラヒムは大変尊敬されている、、かというと、19世紀までお墓が見つからず伝説上の人物としてワリソンゴ入りしていなかった!そういう意味では、兄弟のイスハクがチーム入りを未だ持って果たして無いのが気になるところ。まあいいや、ワリソンゴって伝説や創作の賜物と思ってたけど、わりと実存主義だったんだね。

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さて、マリクイブラヒム猊下のお廟。でかい、、おそらくワリソンゴ最大の敷地面積で、一体が、マウラナマリクイブラヒム記念公園として整備されていて、本人のお墓(と、想定されるもの)の他に、でかい堂宇がいくつか。マリクイブラヒムは寄宿制イスラム学校(プサントレン)の創始者という伝承もあります。だから、こういった堂宇はお弟子さんたちのものかな?

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ちなみに大きな会館もあるし、マリクイブラヒム祭りというのも彼の誕生日に合わせてあるらしい。お墓はシンプル。たぶん、これがお墓なんだろうという推定であるらしい、、

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ジャワ文字の乱舞する、墓苑で、歩くだけで気持ちいい。とっても整備されています。

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そして、ここでは、、マリクイブラヒムの顔出しTシャツがありません。なんと。それが楽しみなのに、、近くのスナンギリのTシャツが売られてた。

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たぶん、彼のプサントレン派閥から、「顔出しは辞めようや」という意見がでたんだと思います。ワリソンゴとっても一枚岩じゃなくて、各スナンには、それぞれのプサントレンがあって、その派閥ごとにカラーがあって、例えばTシャツ顔出しOKかNGか?とかもそれぞれなんだと思う。

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2019年12月11日

Completed Wali Songo Visit (2) スナン・ギリはTシャツ上では3つの顔を持つ男。お廟は、チームの中で、いちばんお金がかかっているんじゃないかな。

Visited Makam Sunan Giri @ Gresik

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スナン・ギリ、、グレシックにある彼の墓所はヒンドゥー文化が濃厚です。入り口のヒンドゥー式の門も、

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とっても有名。この門だけで、スナンギリだってわかるぐらい。

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その門のたもとの、ナーガ像も、、ほんとうにここはイスラームの聖者なの?って思えるぐらい。

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スナンギリは、マラッカに住んでいたマウラナイシャクの息子で、このマウラナイシャクというのは、ワリソンゴチームの長老マウラナマリクイブラヒムの兄弟で、チーム主将のスナンアンペルとは従兄弟にあたります。かわいそうにお父さんのほうはチームに入っていません。お母さんは伝説だとヒンズー教徒のお姫様でマウラナイシャクと恋仲になり駆け落ちしたそうです。ふーむ、ロマンチック?で、生まれたのがこのスナンギリです。だから、ヒンズー色の強いお廟はお母さん系の伝説によるものなんでしょうね。

スナンギリという名はギリというのが丘という意味らしいです。たしかに、、丘だ、、「丘の聖者」ということか。

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そして、妙にお金がかかっている建造物、、どれも趣味は良いです(ヒンズー様式で)。私はチーム最高のお金持ちと認定しました。

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ちなみに、スナンギリはここグレシックで宗教学校を開き、その学派は、その後のオランダ占領にも頑強に抵抗した僧兵軍として知られているようです(Giri Kedaton School)。

墓所はこちら、、

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ネコもくつろぐ気安さ、、私も9人のチームメンバー中、いちばん落ち着くところでした。

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お約束の、顔出しTシャツ。おお、なんと何種類もの顔がある。ふつう、「ワリソンゴ標準顔」というのがあって、その顔でなければ誰も区別がつかないというものなんですが、、、

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門前のお土産屋さん街は小さめ。売ってるものもそんなに多くはなかったです。ただ、妙な人気はあるみたい。なんでだろう、、わからん。

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Completed Wali Songo visit (1) 残りのワリソンゴ5人のお墓参り、、完遂。称号が欲しいところだけど、無い。

Visited balance 5 sunans in Eastern Java parts. Then, I completed all 9 makams.

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ジャワにイスラームを広めたとされる9人の聖人、、ワリソンゴ。彼らのお墓参りをするのは、ジャワに住むムスリムの多くの楽しみの一つ。うーむ、楽しみか?信仰心か?その動機は微妙ですが、なにはともあれジャワの観光といえば9聖人のワリソンゴ廟参り。もっとも、いくら土地の人に親しまれた観光とはいえ、日本人でワリソンゴ廟参りをする人はたぶん居ないんじゃないかな。私は?好奇心の塊だから、ジャワ人が「なぜワリソンゴ廟参りを行うのか」という気持ちを知りたいから、、というのが動機です。

これまでに4人のお墓参りをしてきました。いずれも私の住むジュパラから西の方角です。
最初が、ムリア山のてっぺん近くにある、スナンムリア廟。そして、2箇所目が我が家からバイクで1時間ぐらいのスナンクドゥス廟。一番近いところが2番めなのが自分でも不思議。そして、ドゥマ市のスナンカリジャガ廟、4人目が先月チルボンにて済ませた、スナングヌジャティ廟。

上のTシャツの、、私は「9人の爺様付きの嫌がらせお土産Tシャツ」と呼んでいるものの、右上から縦二人。左下から縦二人ですね。これじゃあ、縦も横も斜めも3つ取れてません?あ、ゲームじゃないですね。ともあれ、これから東方の5人の廟を参りましょう。

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地図で行くと、トゥバンのスナンボナン廟、ラモンガン県の北の果てのスナンドラジャト廟。そしてスラバヤの隣グレシック市には2人、スナンギリ廟とマウラナマリクイブラヒム廟があって、スラバヤ市内にはスナンアンペル廟。
面白いのが、9人全員がジャワ島北岸にお墓があることです。中部ジャワ州なんかジャワ島南岸のほうが栄えてるのに、、、。まあ、ジャワ島にイスラームが広がった頃は、ジャワ島北岸が政治の中心地で、群雄割拠したのも北岸中心なんですね。今は寂れているところも多し。ところで、祀られている聖人本人と墓所の関係ですが、ほとんどありません。聖人のお弟子さんたちの権力闘争みたいなもので、力があるお弟子さんが、自分の地元に先生の遺体を引っ張ってきたかんじ。中には遺体を分断して別々に祀った、、というのもあったみたい、、ひえーー!
それに、チルボンのスナングヌジャティのところでも書いたけど、この名前は諡号です。生きていたときはこんな名前ではありません。

まあいいや。ともあれ、
実際は1回の旅行で5人全員を回ったわけでなく、2回に分けてトゥバン地方の2人、スラバヤ地方の3人と2ヶ月ぐらいの間隔で回りました。

イスラームの大巡礼を行った人には慣習で「ハッジ」と称されるのですが、ジャワのワリソンゴ9人の廟を完遂した人はなんと称されるのか?いろいろ聞きましたが、、称号は無い、、、まあいいや。Ziarah ジヤーラというのが聖人廟参りを表す言葉(元はアラビア語)なので、名詞変化させると、「アル=ザーイル」「ムザイイル」「ムザイイラーティー」「ムスタズィール」とかが良さそう、、勝手に名乗ろうかなあ。


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2019年11月19日

Bandung trip 1050km (9) グヌンジャティ師、、、の参道は? 顔の大きなTシャツって買ってる人見たこと無い。

still in Makam Sunan Gunung Jati.

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ほかの聖者廟では、撮影は良しとされてなかったけど、ここではガイドさんが付いて、むしろ「ここで写真」「あっちから写真」とむしろ写真をとるように言われたけど、、まあ、いいや。おかげでおおっぴらに撮ることができました。

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参道では他と同じく、聖者の顔Tシャツもある。いったい、誰が、どんな状況で着るのだろう?売ってるのを見たことはあっても、着てる人を見たことがない。お土産で買っても、喜ばれそうにない。不思議なワリソゴTシャツ。

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チルボンは何故かトラが有名らしいです。だから、トラの図案も多いし、NU(ナフダトルウラマ)のTシャツも多い。こんなトラのTシャツなんて、他の聖者廟ではないですよね。

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あとは、聖水を汲むための容器売り。聖水はどこの聖者廟でもあります。ほとんどの場合、自分で汲んで無料か、お布施程度。安上がりだし、聖者の顔がドーンとあるTシャツよりかは喜ばれそう。

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Oleh Olehというとお土産のこと(たぶん)。お菓子が主流。どんなお菓子が、どんな風に有名なのかはさっぱりわからないけど、これは予め宿舎のおばちゃんにリサーチが必要だね。もちろん、おばちゃんたちはものすごく詳しい。

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聖者廟の周囲は墓地です。聖者が墓地に埋葬されたのか、聖者を慕ってお墓が作られるようになってきたのか?どちらが先かわからないけど、ともかく、お墓がいっぱい。足の踏み場もない、、というか、みんなお墓を踏んで歩いている。お墓の上に座ってる人も多し。

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その周囲もお墓だらけ

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こうして、聖者廟をお参りして、4人目のワリソンゴ巡礼も終了。残りは5人。先は長い。

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Bandung trip 1050km (8) Makam Sunan Gn. Jati グヌンジャティ師の墓詣ではこの旅の目的のひとつ

Visiting Makam Sunan Gunung Jati

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前にもちょっと書き始めて挫折した、、、またいずれ書くチャンスもあるだろう、ワリソンゴ。9人のジャワにイスラームを広めたとされる聖人。この9人のお墓参りはズィヤーラを呼ばれ、ジャワでは有名な観光ツアーコースでもある。まあ、いってみれば四国八十八ヶ所めぐりを、「ジャワ島九ヶ所巡礼」と言い換えたようなものです。

ちなみに、ズィヤーラはアラビア語では単に「訪問」。首相の外遊なんかもズィヤーラですが、インドネシア語だと「イスラーム聖人の墓所参り」。サウジのマディーナにある預言者ムハンマドの墓に参るのも、ズィヤーラといいます。看板では、よく「ハッジ&ズィヤーラ(メッカとマディーナ詣で)」とか書いてあります。

ちなみにワリソンゴのワリはアラビア語です。いろんな意味がありますが、守護なのかな?皇太子のことをアラビア語でワリーユルアハドといいますが、同じワリです。ソンゴはジャワ語で9のことらしいですし、サンガとも発音されるそうです。ジャワ語は、、皆目見当がつきません。

で、チーム「ワリソンゴ」。9人の聖人。ただし、顔はひとつの記号みたいなもので本人の肖像?とはいえません。

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スナン(聖人)カリジャガだけが、ジャワ風の帽子をかぶっているのですぐわかる。カリジャガ師だけが生粋のジャワ人で、残りの8人はペルシャ人とも中国人とも、いろいろ説はあるけれど、ともかく生粋のジャワ人ではないことはたしか。しかも、顔が似てるのは9人のうち6人は血縁関係があるからです。違いは、「ひげ」「ターバンの色」「若さ具合」ぐらいなもの?で、9人チームで、ターバンを取り替えたり、ひげをたまたま生やしてたりすると、もはや誰が誰かわからない。だから、9人の顔は記号、これに手を加えたら、大混乱。

しかも、たまたま9に数をあわせただけで、9人の内訳が現在のようになったのはわりと新しいことで、それまでいろんな人が9人(まあ一軍?)に入ったり、でたり(二軍落ち?)してます。どっちにころんでも、何百年も前の伝説の人たちのこと。

9人のほとんどが生きてるうちは、ラーデン(王族、貴族の称号)と呼ばれた人たちばかりで、ご庶民じゃないのですが、このチルボーンにお墓のある、グヌンジャティ師は9人の中で唯一の継承権のある「王」です。チルボーン王国の初代国王(バンテン王国も?)。生まれは諸説ありすぎて全然わからん。マムルーク朝エジプト生まれのペルシャ人で預言者ムハンマドの子孫というのが、わりと知られている話ですが、それでは収まらない逸話とかあって、、、まあどうでもいいです。

グヌジャティを見抜くのは、黄色いターバン、短く刈り込んだ口ひげと顎髭。顔はどうでもいい、、というか、そもそも適当。生年は1448年、没は1568年。何故かここだけは、疑問の余地はないらしい。

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さっそく墓所に。ここは、出発前から「チルボーンの聖者廟は乞食が多いからね、小銭をいっぱい持っていくこと」を宿舎のおばちゃんに釘をさされていたところ。そして!本当に乞食が多かった。これまでに3人の聖者廟を詣でて、ここで4人目なんだけど、過去最多の乞食数。しかも、アグレッシブに求めてきて、けっこうびっくり。まあいい、バイクを置いて、適当に小銭をくばって、早速中へ。

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参道、、大型バスでくるグループが多い、、

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廟の入り口から、飾りの皿が目に付きます。

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クドゥス師のところには明代の皿があったりするけど、ここでは割れたりすると、速攻であたらしい皿が寄進されるので、いまでは中国製や日本製が多いとのことです、、こんなところに、、

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そして墓所、、

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この壁の中にお墓がある。覗く?覗けるのかどうかわからないけれど、まあ、そこまでして覗かなくてもいいです。ほかのメンバーはわりとむき出しのお墓で見やすかったのだけど、、

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2019年09月29日

N.U office in Jepara ナフダトルウラマという団体の頭文字。ムハンマディヤとならぶイスラム組織。両方とも大きな会館がジェパラにある。

N.U. office and Muhammadiya office are both in Jepara

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インドネシアのムスリムの団体といえば、ナフダトルウラマとムハンマデイャ。両方とも歴史は古い。宗派じゃなくて、宗教団体。親睦団体というべきか、教団というべきか、、よくわからないです。まあ、そういうのに詳しい人はそこそこいるので、ウエブ上探せば違いとか、いろいろでてきます。Wikiもあるしね。

私レベルだと、まあ、どっちがどっちでもあんまり関係ありません。ただ、ムハンマディヤは「きつい」イメージ。NUのほうは、「わりと寛大」なイメージ。

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たぶん、ジュパラでは、NUのほうが断然人気なんだと思う。ムハンマディヤの故郷というべき、ジョグジャやミナンカバウだとまた違うんだろうけど、まあ、ほどほどでいいです。中庸がイスラームの教えだもん。

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2019年05月25日

Old Qiblah was wrong direction これはほんの7年前の出来事。古いモスクのキブラがGPSで間違っていると分かった時、どうなったか

Re direction of qiblah after using GPS

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ドゥマにある大モスクは、ワリソゴの一人、スナンカリジャガが建設したというインドネシア指折りの古刹です。建設は1479年と伝えられています。なるほど、、で、聖人カリジャガはワリソゴ9人のうち、一番目立つひと。ほかは、ほとんどコピーとしかいいようもないけど、カリジャガさんだけは、黒い帽子で目立つ、、、

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えーっと、カリジャガ聖人についてはともかく、この大モスク。建設当時、、つまり15世紀にはGPSはありません。コンパスがあっても、地図がないから、、、モスクの一番重要な、、、キブラ(メッカの方向)は、「カリジャガさんの決めた通り」。

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この方法で、問題ありません。キブラがはっきりしないときは、任意にキブラを定めてよし、、というスンナがあるからです。そりゃそうだ、イスラームの起こった当時、、つまり、日本だと聖徳太子がいたような時代に遠く離れた場所の位置関係なんでわかるほうが無理。

、、、ということで、カリジャガさんがきめたキブラのある、ドゥマの大モスク。。。の一件が本に書いてありました、、

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そりゃもう、今や普通にスマホのアプリでキブラの方向が簡単にわかる。600年前に、えいや!できめたキブラの方向が、、GPSでわかるキブラの方向とかなりずれていることがわかりました。こんなときどうするか、、ということで2010年に、、「昔、てきとうに決めたキブラの方向は、GPSでわかったキブラの方向に改めなさい」というフトゥワがでました。

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、、ということで、このモスクのキブラも現代技術で判明したキブラにあわせて、絨毯を引き直すことにしました。まあ、これについては、「キブラは任意で良い」というスンナを盾にとる一派と、フトゥワもでたことだし「メッカがキブラなんだ」というあたりまえのことをいう一派に分かれて論戦となり、えんえんと決まらず、、ある日、メッカがキブラ派が絨毯を正しいメッカの方向にあわせて引き直しました。

これにたいして、守旧派は、「昔、こちらがキブラと決めたのだから、それでよいのだ」と大不満。その根底には、聖者信仰、、つまり、このモスクはカリジャガ聖人が建てたことで名を馳せているうえ、キブラは聖人が決めたのだから、それを変えるとは不届きだ。聖人に対して、どう申し開きをするのだ!、、

そして、守旧派は、キブラを変えた8か月後のある日、、一斉に乗り込んで絨毯をもとの場所に引き直した(つまりキブラをもとに戻した)、、という事件を起こします。これは、2012年でいまから7年前。まだまだ、耳目に新しいし、いろいろと研究もあります。

ISTI’DAL; Jurnal Studi Hukum Islam, Vol. 1, No. 1, Januari-Juni 2014, ISSN: 2356-0150 41
KONTROVERSI FIQH KIBLAT; STUDI KOMPARATIF ATAS FIQH-MITOLOGIS DAN FIQH-FALAK DI MASJID AGUNG DEMAK
Ahmad Munif UIN Walisongo Semarang Email: munif060386@gmail.com

This article intends to explain the controversy of the direction of qibla that occurred in the Great Mosque of Demak. Through this library research it is found that there are two groups concerning about this qibla. This difference of opinion is based on the difference of thought; one emphasizes the science-astronomy, and the other consider sociomythological more. Although all of them state both fiqhiyyah and astronomy arguments, but because they use different accentuation then there is different results. The first group wants qibla direction of the mosque changed based on scientific and academic calculations. The second group determines that the qibla of the mosque remains as before on the basis that the existing qibla direction was also scientifically calculated hundreds of years ago. In addition, the person who did it also has the esoteric-metaphysical dimension. Finally, based on this consideration, the qibla direction remains same like before.

大変興味深いし、ほかの古いモスクは、いったいどうしたのだろう。

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2019年05月24日

NU Mosque うちの隣のモスクはナフダトルウラマーという組織のモスク。大きいモスクはけっこう組織系が多い。だからって、違いは?よくわかりません。

Mosque next to my wisma

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うちの隣のモスクは、近隣では並外れた大きなモスクです。でもって、スピーカーも並外れてうるさい、、、まあ、いいけど。

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こういった、新しめの大型モスクは組織系、、つまり、ナフダトルウラマー会派かムハンマディア会派に属していることがけっこうあって、大きなモスクを見るたびに銘板を確認してます。

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我が家のあるとおりの一方の端にムハンマディア会派のモスク、そして反対の端にナフダトルウラマー会派のモスク。うちは、わりと端っこにあるので隣のナフダトルウラマー会派モスクに行ってますが、そもそも、この団体はなんなのかさっぱり知りませんでした。

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いや、正直にいうと今でもわかってないんだけど、、、客筋?お祈りに来る人の見た目で判断すると、ムハンマディア系はきつめ。だって、お祈りの終わった後、ふつう隣同士握手したりするもんだけど、ムハンマディア系のはしないもん。うちの隣のは、ふつうにする。

うちの町には圧倒的にナフダトルウラマー会派系が多い。ふーん、そんなもん?あ、ちなみに私よりもっと知らない人のために言うと、ムハンマディア会派とかナフダトルウラマー会派とかは、いわゆる宗派じゃないです。むしろ、社会団体、、もっというと政治団体化もしている。

よくわかってないので、てきとうに仲良くやってくれれば、それでいいです。

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2019年05月04日

Three Heroins of Jepara (6) Queen Kalinyamat おっと忘れてた、、カリニャマット女王って言っているけど、本名じゃないからね、贈名と思ってくれればいいけど、このあたりの歴史に出てくる人のほとんどが贈名。

Retna Kencana is the original name of Queen Kalinyamat

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カリニャマット女王って呼んでますが、これは現代的な呼び方。もちろん本名じゃありません。もともとは、ドゥマ王国のケンチャナ姫、、と呼ぶのかな?
でもって、嫁ぎ先のハドリリン公がカリニャマットの領主。ハドリリン公はもともとドゥマ王国内の領主の一人だったのですが、ケンチャナ姫をお嫁さんにしたあと、自立してカリニャマット公国を名乗ります。ジュパラはカリニャマット公国の首都というか港町にあたるところ。

そういうことで初代の夫君の後をついで、二代目カリニャマット公国の君主となったことで、カリニャマット女王と呼ばれました。もっとも、この公国は、この二代で終わってしまいましたけど、、、ま、しかたない。

Sunan Kudus however, declined her request since previously Prawata兄 has committed the crime by assassinate Penangsang別の兄's father, Raden Kikin (Sekar Seda ing Lepen), thus rendered Penangsang's revenge justified. Disappointed, Ratna Kencana went home with her husband, Sultan Hadlirin, from Kudus to Kalinyamat only to be attacked by Penangsang's men on their way. Hadlirin was killed in this attack while Ratu Kalinyamat barely survived.

ちなみに、仲裁を頼みに行ったスナン・クドゥスのクドゥスは町の名前、、だから本名は別にあるのですが、カリニャマット女王と同じく、ワリソゴの聖者たちもみな地名で呼ばれます。



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Three Heroins of Jepara (5) カリニャマット女王のことを書き始めると奥が深くなる、、なんといってもジャワの神髄、、聖者崇拝に行き当たるからです。

Story of Queen comes to Sunan story in Jawa.

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カリニャマット女王が即位したのが1549年。その翌年にはポルトガル討伐のためジュパラから現マレーシアのマラッカに遠征に行きます。
おそらく、この頃がジュパラの最も栄光ある時代だったのでしょうが、、、それから30年ののち女王は亡くなります。その後は自然にマタラム王朝と合流(というか、たぶんもともと親マタラム派だったのだと思うけど)。

お墓はこちら、、

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廟堂のある風景

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うーん、女王のお話はとりあえず、この辺でいったんお開き。これ以上進むと、ジャワの聖者崇拝にかかわらずにはいられません。女王のおじい様は、ラーデン・パタハ王、、ドゥマ王国の開祖で、ジャワ島における最初のイスラーム王朝です。ジャワのイスラームはここから始まり、

パタハ王の教師は、スナン・アンペル。ジャワのイスラーム化に特筆した足跡を残した人物。そうして、ジャワのイスラーム布教の9人の聖人「ワリソゴ」の一人。ちなみに、この9人のうち半数以上はアンペル師の子孫です。

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さらに、女王が実家ドゥマ王国の兄弟争いの仲裁を夫君と一緒にお願いに行った先がスナン・クドゥス。アンペル師の子孫にして、女王の同時代の聖者。もちろん、ワリソゴの一人、、クドゥス師のお墓はクドゥスのアルアクサーモスクにあります。

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もんのすごい参詣者、、

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イスラームにはもともと聖者崇拝はありませんが、ジャワは違う、、、

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女王は結果としてクドゥス師の仲裁を得られず、しかもクドゥスから領地に戻る途中夫君は暗殺されるという悲劇に出会います。。兄が別の兄に殺され、それを非難した妹姫の夫まで暗殺、、、かわいそう。

、、、ここからは、ジャワの聖者崇拝に章を映します。農村を知らないとインドネシアのバックボーンがわからないのと同様、聖者崇拝に突き進んでいかないと、ジャワの魂がわからないと思います。、、ので、話はジュパラの三聖女たちの一人、カルティニさん。

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Three Heroins of Jepara (4) Queen Kalinyamat ジュパラにおいてカリニャマット女王の存在というのは、想像以上に大きいです。ジュパラ市政の最初のページはカリニャマット女王からはじまります。

she became Kanjeng Ratu Kalinyamat the queen of Kalinyamat that reign in Jepara. The coronation is marked by Surya Sengkala (chronogram): "Terus Karya Tataning Bumi" or approximately 1549 AD to the alleged date of 12 Rabi'ulAwal.

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今年はジュパラ市政470年という大きなお祭りがありました。470年だよ、、大変長い歴史。

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お祭りの会場となったAlun Alun 1広場、町の中心部。

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ジョガーでにぎわいます。

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この広場にかかっている垂れ幕によると、建国、、というか創市は1549年、、でもって、今年は2019年。では、1549年には何があったかというと、カリニャマット女王の夫君が暗殺されて、子供のいない夫婦だったので奥方であったカリニャマット妃が女王に即位した年です。もともと血統的にいえば栄光のドゥマ王国の王女ですから、誰も異を唱えないでしょうね。没落した実家のドゥマ王国を併合する(たぶん)ぐらいの気概があったので彼女の即位をもってジュパラ市の始まりとするのに、なんの問題もありません。

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470年祭りを祝う実行委員の市の主だったメンバーと、騎乗したカリニャマット女王の写真。うーん、美人、、ってモデルさんだろうけど、、

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2019年04月14日

Three Heroins in Jepara (3) Queen Kalinyamat ところでこの女王はどういう人なんでしょうか?というのは知りたいところ。この女王が資料のあらわれるのは、なんとポルトガルの書物です。そして彼女の最後の戦いが、現在のジョグジャカルタのスルタン家創設の遠因となっている。

Who is Ratu Kalinyamat ?

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カリニャマット女王は、ドゥマ王国の開祖 ラーデン・パタハのお孫さんにあたります。このパタハ国王については資料がいっぱいある。マジャパヒト帝国の治める領土の一部、、、ジャワ中部北岸の豪族だったのが勢力を伸ばして1475年に自立しスルタンを名乗ります。ドゥマ王国の誕生。ただ、いちおうはマジャパヒト帝国と対立せず、名目上の宗主とする、、という感じの関係を結びました。。。。首都はドゥマにあって場所はジュパラの隣です。

この女王のお爺さんは1455年生まれ、だから、室町時代の後半、、戦国時代の初めにあたります。このパタハ国王が有名なのは、ジャワ島にイスラームを導入した9人の伝道師と深くかかわりあいがあって、9聖人の中心であるスナンアンペルはパタハ国王の教師。こうして、ジャワ島のイスラーム化にはドゥマ王国とパタハ王が欠かせません。

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で、ドゥマ王国は後継者が息子さんのトレンガナ王。女王の父です。このお父さんはお爺さんほどパッとはしてませんが、まあ2代目。そしてカリニャマットお姫様は、ドゥマ王国の隣の、ジュパラ公国のスルタン・ハドリリンに嫁ぎます。。うーん、ここでやっとジュパラがでてきた。でも、夫婦の間に子はなく、養子を迎えるけれど、夫が死後(あとででるけど政敵に暗殺されたんだよ)、女王に即位します。こうしてカリニャマット女王が誕生。

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カリニャマット女王は生年不詳で、没年もだいたい1575年といわれてます。織田信長とかと同時代の人。1575年といえば日本では長篠の戦いがあった年。カリニャマット女王はなぜ有名なのかというと、ポルトガルの資料に名前が残っているからです。その割に肖像画は一切なし。織田信長だってあるのに、、(、、祖父も父も肖像がある)。

Portuguese historical record "Da Asia" written by De Couto praised Queen Kalinyamat as "Senhora Rainha de Jepara ponderosa e rica"; which means 'the Queen of Jepara', a rich woman and has great power. Her reign marked by her overseas campaigns in the year 1550 and 1574, against Portuguese in Malacca.

ジェパラの女王は大変な金持ちで、実力もあり、1550年と1574年の2度にわたりポルトガル支配下のマラッカに遠征をおこなった。



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遠征前にもポルトガルと争ってますので、なかなか鼻息の荒い女王様だったようです。えーっと遠征ですが、敗退したそうです。

こうして、歴史に名が残るカリニャマット女王ですが、ドゥマ王国はまだ彼女が存命のうちに滅びてます。衰退の原因であるカリニャマット女王の兄のペナンサン王子がドゥマ王国の主権を握った後、弟のスナン・プラワタを暗殺。末妹のカリニャマットはワリソンゴの一人クドゥスに住むスナン・クドゥスに兄弟暗殺の裁判を願いますが聞き入れられず、夫のスルタンハドリリンとともに領地に帰る途中、返り討ちにあってスルタンハドリリンは殺害され、カリニャマット女王はかろうじて生き残ります。ふーー、どっこも王家とか金持ちとか大変だよ、、

兄が暗殺され、夫も暗殺され、、、復讐に燃えたカリニャマット女王は親戚一同に打倒ペナンサン王子を呼びかけ、結果追い詰められたペナンサン王子は殺害された。こうしてドゥマ王国は名実ともに滅びます。世代にして3世代しかつづかなかったわけか。歴史上には、ジャワにイスラームを定着させた王国として名前が残りました。その後のポルトガルへの襲撃を考えると、ジュパラ公国がドゥマ王国を吸収した??

このときペナンサン王子を殺害したのは、カリニャマット女王の親戚の養子のスタウィジャヤ。この人物はその後、新マタラム王国の開祖となります。なんと、、、この新マタラム王国は現代まで続き、インドネシア独立を助け、功績によってジョグジャカルタ自治州として領土を持ち、当主のハメンクブウォノ10世は現在も、ジョグジャカルタ自治州の知事であり、スルタンです。

なんと、女王の復讐戦から、現在のジョグジャカルタのスルタンが生まれたということか、、、なんと、、、なんと、興味深い。

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Three Heroins in Jepara (2) Queen Kalinyamat カリニャマト女王、、とお呼びすればよろしいのでしょうか。ジュパラ公国の血気盛んな女王。まずは、参詣したので、お墓から。。。

Visited Makam Ratu Kalinyamat

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ジュパラの三聖女のトップは、カリニャマト女王(という読み方でいいのかな?)。
お墓詣りは、ジィヤーラと呼ばれ、当地ではハッジに次ぐ地位の巡礼地となっています。

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ジュパラの市内から2キロほど南にお墓があって、バスでお詣りに来ている人たちもいる。

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こちらが、その一団だと思うけど、写真好き。。

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じつは、この女王の墓の場所がわからなくて、苦労していたらモスクであった親切な方が案内してくれて、ようやくわかりました。というか、わからないほうが頭おかしいというほど、わかりやすい場所にあって、いったい私は何を見ていたのだろう、、、まあいいや、この方とお墓に歩いていくと、この一団が記念撮影中。撮影が終わったので通りすぎようとしたら、案内してくれたかたが「こちらの人は日本人ムスリムで、わざわざお墓参りにきたのだ!(たぶんそういう意味だと思う)」と紹介したので、みんながプチパニック。どっと、私に挨拶に来て!一緒にセルフィー、、ということで、この全員と握手して、この全員と、、個別に一人づつセルフィーされて、アイドルもかくや?

まあ、みんながそれで幸せになってくれれば、私も幸せです。こちらの白い服の方が、親切な方です。ありがとう。

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ずんずん、参道を歩いていきます。もう墓域に入っているのでサンダルは脱いで、、

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ヒンズー様式の入り口。精霊崇拝の影響ともいわれている門。門がとっても大切なのです。

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ヒンズー様式とはいえ、彼女はムスリムで、イスラームをジャワに布教した9聖人(ワリソンゴ)たちと同世代。ワリソンゴとの交流もあります。ちなみに弟はスナン(イスラーム聖人)の称号がついているぐらいですので、彼女も熱心なイスラム教徒だったのかもしれませんが、いかんせん資料が少ない、、、時代は、日本では室町時代の人なので古代というよりは中世の人なのですが、それでも資料がない、、、

まあいい、、お墓、、、

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ずんずん進んでいくと突き当りにお墓があります。廟は現代ジャワ様式なので新しいのでしょう。

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中に入り切れないほどの善男善女がいて、

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けっこう、中に入るのが大変なのですが、ひんやりとした(というか外が暑すぎ)、廟堂です。

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門の外には狛犬というかスフィンクスのように守護しているのは、ナーガじゃないか!、、ヒンズー仏教文化圏でよく見かける聖獣ですが、まさかここにいるとは思わなかった。

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このあたりは、墓地が多く、女王の墓もその一区画、、ちょうど多磨霊園の中にお墓がある、、というような感じ。もちろん、門があって、そのなかでも特別扱いだけど、、、

で、この女王は、、誰なの?

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2019年03月24日

Menara Kudus クドゥス市の超有名観光スポットは、ミナレット。メナラ・クドゥスと呼ばれているインドネシアでも指折りに古いモスク。日本でいうと室町時代の建立で、ヒンドゥ建築様式を残しています。

Menara Kudus located in Kota Kudus, Central Jawa. One of the oldest Mosque in Indonesia built in 1549.

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インドネシアにはアラビア語由来の語彙が少ないのですが、このクドゥス市は数少ない(というかほとんど唯一?)のアラビア語ダイレクトで県の名です。アラビア語の意味は、クドゥス=聖なる、、ということで英語でいうパレスチナの首都エルサレムも地元アラビア語ではQudusクドゥスと呼ばれます。とーってもイスラーム色の強い町、、とガイドブックにでてました。まあ、そういうことですか。

場所は我がジュパラからそう遠くはないのですが、ムリア山を挟んだ真反対側。なので、クドゥスに行くにはムリア山を半周しなければならない、、とほほ。

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延々とムリア山を横手に見ながら走る、、ちなみに、モンスーンの影響か?ムリア山に雲がかからない日は滅多にないです。いつも、どんよりしている、、

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クドゥスに到着してからが長い。クドゥスは大きな都市(バイオリン教室があるぐらい)で、観光地のメナラに行くのが大変、、なうえに、近くに行くと、ものすごい観光客。メナラじゃなくて、膨大な観光客や観光バスに驚く。車を止めるところがないどころか、観光地に近づくこともできない、、メナラからかなり外れたところで車を止めることになりました。

とぼとぼ歩くけど、参道になっているので両側はお土産屋さん、、、

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近づくと、さらに人波。まあいい、あんまり人波のないところで写真をとって、

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メナラの前は、写真の順番待ち、、、メナラには明朝の陶器が装飾ではめ込まれている、、

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ここは、正式にはアルアクサーモスクと言います。なんと!クドゥスにふさわしい名前のモスク。

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モスクそのものは何度か建て直しされて、現在は銀色のムガール式モスクとなっています。が、外周やゲート、それにこのメナラは日本でいう室町時代の建立のまま、、1549年に建てられました。日本でいうとこの年、ザビエルが日本に上陸。日本にキリスト教伝来の年です。

マジャパヒト様式の赤レンガ。ジャワヒンズー様式どころか、それ以前のジャワ精霊崇拝時代の様式も残しているという、ジャワの歴史のような建物です。モスクコンプレックスになっていて、いろいろな建物が敷地内にあります。

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モスクの中、、、、観光客の善男善女がここでお祈り。インドネシア全体でも指折りの古刹です。

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でもって、モスクの中に扉がある、、

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たぶん、昔はここが扉だったのだろうけど、改築でモスクが大きくなったので、扉がモスクの内側に取り込まれてしまったものと思います。それに、ジャワの精霊崇拝では、扉というのが重要視されていたということですから、改築があっても扉が取り壊せない心情的なものがあったのかもしれません。

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ともかく、(ジュパラの田舎暮らしに慣れたので)すごい人波に圧倒されてあんまり見て回る気力が起きませんでした、、
今度、もういちど行って、端から端まで見て回りたいものです。

| クアラルンプール ☁ | Comment(0) | Wali Songo ワリソンゴ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする