人の話をきかないとわかっている人に、わざわざ常識的なことを言ってもどうにもならない。
石原は、たんなる「太陽の季節」であてた一発芸人にすぎず、その本質を見失ってはならない。
つまり、彼の急所は「太陽の季節」にある。
この急所を徹底的に攻め立てないことには、まったく無意味です。もちろん、勝利を勝ち取る気が無ければどうでもいい話ですけど。やるからには、勝つのがセオリーです。
「太陽の季節」の映画化で映倫ができました。
映倫の創設には以下のWikipediaの説明です。
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引用はじめ)当初は業界内部のみで構成されていた映画倫理規程管理委員会という機関であった。1956年に若者の享楽的な風俗を描いた映画『太陽の季節』(石原慎太郎原作)が公開された際、各地で未成年者の観覧が禁止される社会問題となり、批判をもとに、外部の有識者による第三者委員会を設置したことで現在の組織に改組された。(引用おわり)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%80%AB%E7%90%86%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9Aつまり、石原は自分の作品が、性風俗を乱すとして社会問題になり、その映画化は厳しい規制があり、最終的に「映倫」が創設されるまでのものとなった。…、一発芸人としては、芸風批判は非常につらいものであり、ましてやそれが社会問題になり、石原のトラウマになったことは想像に難くない。一発芸人として、「太陽の季節」以降のめぼしい作品はなく、映画もなく、政界入りも「太陽の季節」の作者としての知名度頼りです。
何度も言うように、「太陽の季節」だけの一発芸人は、当時、社会批判をあびた時代の寵児で、以降も過激な発言をくりかえし、つねに、「社会に注目されたい」「時代の先端にいたい」という執念にとりつかれています、が、時代は彼よりも早く、彼を追い抜いて、彼が時代遅れになってしまいました。
つまり今ですが、彼は自分が時代の先端にいないことに気づき、そして、「あらたな映倫」、つまり話題の都条例をひっさげて、「先端を法規制にかけて追い散らすことによって、自分が先端になる」そしてこのことで「社会に注目してほしい」という策動をおこなっているわけです。
現在のネット社会では、参加者がつねに「私だけを注目して欲しい」という感情をもっているといわれます。私もみるところ、石原とネット社会はその精神構造において非常に親和性があるのですが、逆に近親憎悪「なぜ、私が注目されないのか」というトラップに陥ったとみるべきでしょう。
1950年代の時代の寵児、性風俗の寵児が、ここにきて、激しい嫉妬から「あらたな映倫」づくりにいそしむことを厳しく認識しないと、今の都条例反対のきれいごとは意味ないものになるでしょう。
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