the Gn. Muria telepraph

2019年08月20日

Indonesia Merdeka Day 3 敗戦後のインドネシアに対する日本政府の公的な立場は、「連合国の敵は日本の敵」、、です。

Japanese left in Indonesia

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これまで、ポツダム宣言と降伏文書を見てきました。もっといえばカイロ宣言もあるのですが、よく読んでもあんまり影響がないのでここでは割愛するのだけど、ともかく日本が負けたということ。それも、「ポツダム宣言を受諾して」「降伏文書に署名した」ことで敗戦。このことは自明の理なんですが、日本の戦後の出発点にも関わらず、きちんと認識していない人の多さ。戦後レジュームの脱却とうたっている現首相だって、ポツダム宣言読んでないというぐらいだし。

さてさて、このシリーズは、不思議なことに広く出回っている 「日本はインドネシアと協力してオランダから独立を勝ち取ったので、インドネシアは親日なのだ」という話を検証してみたいと思ったので書き始めました。この話を素朴に信じている人には、上の絵でショックを受けてもらいましょう。これは、日本の敗戦後、スマランで起きた「5日戦争(日本ではスマラン事件)」を題材とした絵で、戦場となった場所に展示されていました。インドネシア独立派と日本軍の武器引き渡しをめぐる衝突でインドネシア側が300-2000人の戦死者、日本側は200人の被害がありました。インドネシア独立宣言後の最初の大がかりな武力衝突。もう一度言うけど、連合国配下の日本軍が練度で劣るインドネシア独立を掲げる若者を殺しまくっているのです。流れる血、吹き飛ばされて骨が見えている腕。この浮彫は5日戦争の戦場だったところにある記念碑です。

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、、、この5日戦争に至るまでの道、、、それは、ポツダム宣言と降伏文書の履行によります。もちろん、それは日本政府の正式な立場なのですが、前回までに繰り返したように、日本は敗戦によって連合国の麾下に入ります。外地においては連合国の出先の指揮下に入り、連合国の命令をきかなければなりません。敗戦によって日本軍は連合国軍の一部になったようなものです。これを破ればポツダム宣言受諾違反ですから、敗戦によって終わった戦闘が、、終わらずに再開する可能性を意味しています。あと何個原爆が落とされてもしかたない、、という感じ。だから、官僚組織である軍隊は、もともと命令至上主義なので頑なにポツダム宣言と降伏文書(と、そのあとの指令第一号)に忠実に守ろうとします。

まず、武装放棄です。武器弾薬は封印して員数確認して連合国に引き渡さなければなりません。インドネシア独立派が日本軍に「オランダとの戦争が控えているから、日本軍がもう武器つかわないなら俺たちに引き渡せ」と言ってきても、

1 武器を連合国に引き渡す以外は、ポツダム宣言違反ですから引き渡せません。
2 しかも、その武器を連合国の一員であるオランダへの戦争に使うというのであれば、論外な連合国への敵対行為

だから従えません。これが日本の公式な立場で、もちろん現在でもこの時の立場を崩していません。この上の2つを破ればそもそも降伏文書という契約というものを、無視してもよいということになります。そんなことありえないですね、無条件降伏ですから。
でも、実際の現地では押し入った人々に倉庫を破られた、、武装放棄だから、インドネシア独立派にも武力で対抗できないし、、という判断だったところもあるし、スマランのように連合国から現地の治安維持(警察行為)を任されているのだからオランダに代わって胡乱な連中は取り締まるべしというのもあります。

、、、まあ、それだけじゃあないんだけど。日本軍によるインドネシア占領下で400万人が抗日闘争、強制労働、飢餓、栄養失調など日本が起因となって亡くなっています。とうぜん、日本憎しは蔓延していて、敗戦前からインドネシア人による抗日闘争がいろいろ起こっている。武器を引き渡してくれないから日本軍を襲った、、だけじゃなくて、もう日本憎し、の、一念です。

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まあ、それは次以降の主題になるのだけど、

日本は降伏によって主権をはく奪され、独立国から連合国統治下日本という国になってしまいました。インドネシアどころじゃない、日本が独立してないんだよ。


ともかく日本政府も現地もインドネシア独立に協力する気は、まーーーったくありません。今やオランダ様に敵対するのは、自分の敵でもあるわけです。降伏文書締結後、日本政府がインドネシア独立に協力するのは、どのコンテキストからもありえないです。

まあ、ともかく、そんなことより9月2日の降伏文書締結により、日本政府は外交権もはく奪されてます。下のデザインは商船での「代用国旗」。日の丸掲揚だって禁止されたぐらいだし、日の丸をあげた人が重労働6か月の刑になったりしてます。よその国の独立なんて、どうでもいい状態。みんなつくづく見てください、いっときは、これが「日本国旗代用」だったんだよ。知らない人、おおすぎ。

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2019年08月17日

Indonesia Merdeka Day 2 日本の降伏文書と指令第一号。日本兵は絶対に武装解除して、武器は封印しろ。脱走するな。

Japanese instrument of surrender

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ポツダム宣言が受諾されて半年後。9月2日に米戦艦ミズーリ艦上で日本の降伏文書調印が行われました。この降伏文書は、ポツダム宣言よりさらに短い、、A4サイズ、センチュリーフォント、10.5ポイントで本文はほぼ1枚(実際は1枚とすこし)。こんなに短かったのか、、、
実際の調印文書はこんなかんじ。サインのページを外すと、1枚だけ。

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Wikiによる抄訳で関係するところだけ引用すると以下のとおり。大本営の梅津がサインをして確認して、のちにちゃんと軍指令をだしている。

<戦いはやめ、武器は絶対流出させない>
・日本軍と国民へ敵対行為中止を命じ、船舶・航空機、軍用非軍用を問わず財産の毀損を防ぎ、連合国軍最高司令官及びその指示に基づき日本政府が下す要求・命令に従わせる

<降伏しろ>
・その所在地に関わらず、日本の支配下にある全ての国の軍隊に無条件降伏させる

<これからのお上は連合国。絶対従え>
・公務員と陸海軍の職員は、日本降伏のために連合国軍最高司令官が実施・発する命令・布告・その他指示に従う 非戦闘任務には引き続き服する

<ポツダム宣言を破るな>
・ポツダム宣言の履行及びそのために必要な命令を発しまた措置を取る

とっても短いので、ほとんど一部引用でも抄訳でもなくても構わないのだけど、、、。要するに。

なにがなんでも戦いはご法度。武器弾薬その他一切、手をつけるな。そしてこれからは連合国がお前のご主人だから、連合国のいうことは全部従え、もはや旧軍は連合国軍の一部になった。




そして、ポツダム宣言、降伏文書のほかに、もう一つある。これが、降伏文書と同じ日にだされた「指令第一号」です。
降伏文書が短いのは、9ページにわたる詳細な連合国から日本にだされた指令第一号があるからです。中身は降伏文書の各項をさらに詳細にしたもので、外務省外交史料館のホームページからみることができます。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000097066.pdf

ここまでしても、もう連合国に戦いを挑むやつもいないだろうし、脱走したり、武器を横流しする奴もいないだろう、、と、は、誰も思わなかった。当時の日本軍は、こういう契約関係の文書なんて気にしない人が多かった。もちろん、いまだって、契約に弱い日本人といわれているけど、文書化じゃなくて誠意をもって話し合いだろう?という人は多い。

だから、ポツダム宣言で言ってるけど、条約を破れば火の雨降らせるからな、、っていう脅し。



Indonesia Merdeka day 1 日本の終戦記念日とインドネシアの独立記念日に思うこと <ポツダム宣言>

Japanease surrender and Indonesian independence

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今日、8月17日はインドネシア独立記念日です。ここ、ジュパラでもセレモニーがありました。ネット上でも、インドネシア独立に関する話題がいくつもあったけど、よくある「日本がインドネシアの独立に貢献した」論。間違いありません、<日本の敗北>がインドネシアの独立に貢献しました。

まずは、そもそものおこり、ポツダム宣言から。この記事を書くため英文を読みなおしたし、どれぐらいの分量かA4サイズ紙に本文のみを転載してみたところ、センチュリーフォントの10.5ポイントで、ほぼ1枚半です。ちなみに当時の和訳を転載すると、A4サイズ用紙で、MSPフォント10.5ポイントだと、おなじく1枚半。つまり、簡単に読めます。1枚半でしかないですし、内容については多くの解釈があって、ほぼ定本化されているので、こちらもまた迷う必要ありません。今の首相は、こんなものも読んでないのか、、と、あきれるしかありません。

あまりに短いので、どこがインドネシア独立と日本に関係するところか抜き出すのが大変。全文のほうが楽なのですが、改めて現代語訳で抜き出しました(現代語訳はWikiから引用)。抄訳になっています。<>内は私のつけた宣言全体からみた概略です。


<日本を徹底的に破壊する用意がある>
2 3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。

<ポツダム宣言を受け入れるなら、完璧に受け入れること>
5.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。

<武装の継続や、脱走は許されない>
9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。

<戦争犯罪人は処罰される>
10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化し、また日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。(後略)

なんでこんなこと書くかというと、日本軍というのは国直属の組織で、官僚組織そのままであり、トップは内閣の大臣という行政府なので、こういう法令類の順守というのは、ほとんど官僚が血肉的に従うものだからです。特に軍というのは命令が絶対だから外れることは許されない。

でもって、上のポツダム宣言の4項をまとめると、
2 日本を完全に叩き潰す用意があるが、
5 我々のいうことを完全に受け入れるなら、叩き潰されないかもしれない。
9 軍隊は武装解除して、兵員は全部日本(あるいはそれぞれの国)に戻せ。
10 それでもって、戦争犯罪人を探し出して処罰する。


もちろん、日本がポツダム宣言を受け入れた以上、軍の司令官は、それを守るしかない。でなければ、終わったと思ってた戦争が再開され、空爆が日本は本当の灰燼に帰すし、原爆もあと何個落とされるものやらわからない。ほとんど、恐怖した、、、。

特に、前線の司令官は、「軍隊は武装解除して、兵員は全部日本に戻せ」で、脱走兵などいようものなら、ポツダム宣言受諾違反を問われて、戦争が再開されるかもしれない。ここで拾った命を、こんなことで失わせてはならない。


だから、脱走兵を厳しく取り締まったのはもちろん、武装解除だから脱走兵が武器を持って出るなんて二重に重い問題になる。政府の命令に軍人が背くことは許されない、、ということ。

2019年08月16日

Carnival @ Jepara Independence day ( 1 ) カリニャマット女王とシーマ女王の見分け方。カーニバルというのは日本でいうパレードのこと。

Elementary school carnival @ Jepara

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小学生による、独立記念日のパレード。延々と2時間ぐらいつづくもので、昼下がりからはじまって日没までつづきました。
付き添いの学校の先生は給水ステーション。つきっきりで水をみんなに配ってます。

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カーニバルの出し物は、もう、ジュパラのすべて。これだけみれば、ジュパラのすべてをみたも同然。地元輩出の歴史的偉人、伝説、農産物、漁業、交通、環境問題、スポーツ、文化、衣装、ありとあらゆるジュパラがあります。それで、項目別にクローズアップ。まずは、ジュパラの三大聖女。三女神といってもいいぐらいだけど、すべて地元の誇る、実在の歴史的偉人です。

やっぱり、序列があるんだよ。だから、序列を崩すわけにはいかないので、とりあえずセオリーどおりで、まずはカルティニさん。

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どこでも誰でも見分けることができる。服装コードは、黒の上っ張りで白の民族服、額を完全に上げて、後ろ頭で髷、、というのが基本。これを変えるのはあり得ません。だから、どの小学校でもカルティニ役はこういう感じ。カルティニさんは過去2度映画化されて、これは2017年版。伝記を映画化しました、、、って感じで、本読んでれば内容はすぐわかる。でも、生き生きしてるんだよ。

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ともあれ、三聖女の筆頭だから、すぐわかる、、しかーし、そのあとのカリニャマット女王とシーマ女王の区別を瞬間でつける人はそういない。

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まずは次席のカリニャマット女王。

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騎乗のことも多いです、、ジュパラには馬がいっぱいいるから、騎乗には不自由しない。

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こちらが、演劇の中での女王。こんな感じ、、肩が服でおおわれて、のど輪のような装身具(これはマレーシアでもあったけど権威を表す)。髪は上に結い上げます。

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長かったヒンズー系マジャパヒト王国のジャワ島支配も終盤、マジャパヒト王の息子の一人がドゥマで自立し、ジャワ島最初の正式なイスラム王国のはじまりとなります。開祖ラーデンパタハ王の孫娘のケンチャナ姫は、ドゥマから自立したジュパラ公国のスルタンハドリリンに嫁ぎます。これが日本では室町時代のこと。ほら、ポルトガル商館とかが東南アジアを席巻して、日本にも種子島銃をもたらしたころ。彼女は死後カリニャマット女王と呼ばれます。

だから、カリニャマット女王はムスリムだから派手な恰好はしても、肌はだしません。たぶん。ちなみにこの女王がまだ姫だった時代、実家のドゥマ王国は最盛期を迎え、武将のファタフッラーは、西ジャワを制圧。ジャカルタを建設しました。それにちなんで、ジャカルタの中央には、ファタフッラーの名がついた博物館もあります。えーと、ファタヒラとかへんな名前に代わってるけど。

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でもって、シーマ女王。三番目なのは可哀想、、生きてるうちはおそらく3人のなかで一番の権力者だったはず。そして一番お金持ちだったはず。他の2人とは格が違うんだよ、、いまじゃ三番目だけど。

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北岸中央ジャワに最初にできたカリンガ王国で、最盛期を迎えたときの女王です。無明の地にヒンズー教をもたらし、ヒンズー教の規範で人々を導き、たいそう規律がとれていたということです。時代的には日本の飛鳥時代。つまり聖徳太子と同時代ぐらいの人で、シーマ女王とカリニャマット女王の間はざっくり千年ぐらいの差があります。見た目が似てても、時代の信仰も大違い。

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パレードでの特徴は、、、肩がでてること。

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ちょっと寒そうだけど、しかたない。ヒンズー系はそこそこ露出のある彫刻しか残ってないんだよ、、

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高々と結った髪も特徴、、だけど、パレードの途中でほつれるとこうなる。

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そして、肩を隠されると、もうどっちがどっちの女王かわからない、、

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こうして、次から次に、、延々と三聖女はつづくのでした。

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2019年08月12日

Motor parking next to next バイクはめちゃくっつけて停めるのがインドネシア流。空間があるんだから、そこまでしなくてもいいのに

Why you parked just next to me ?

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Jalan Jalan cari makan
朝ごはんを食べにいきます、、ちょっと遠出。
ホテルのカフェで、ちょっと値段は張りそうだけど、気持ちの良いところを見つけたのでさっそく、バイクを止めて

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ゆーっくりたべます。お店にはほかにお客さんはいないし、駐車場もほかに止まっているものないし、、
ごはんを食べたあとも、しばらくゆっくりして、たちあがり、さて、駐車場にむかうと

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他のお客さんがバイクとめてる、しかも私のバイクにぶつかるぐらいびったり隣に、でもって、私のバイクにまたがっても起こせない、、ぶつかるから、、なんて止め方なんだ、こんなに広いのだから適当に他所にとめてほしいです。

、、、が、インドネシアではバイクはびっちり隣にとめるのがデフォルト。

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でもね、、、それはわかるけど、なんで、こんなところまで来て、それをやるんだよ。
、、と思うけど、土地には土地の風習があり、ここではこれが風習。本当だよ。離れて停めると嫌がられるもん、、


Eid Al Adha day today イードの当日。もうヤギ売り場は空だった、が?牛がいた。イードムバーラク

Eid Al Adha day,,

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犠牲祭の前夜。ここ、ジュパラでは、けっこうな盛り上がりです。そもそも、犠牲祭はメッカ巡礼の到達点。
ハッジ月の8日から巡礼がはじまり10日に犠牲祭。巡礼の諸行事は13日まで続くから、巡礼の中日なのかな。
ちなみに私は2010年にハッジを行いました、、詳しくはこのブログのこちらのカテゴリー、、

カテゴリー:イスラーム
http://inlinedive.seesaa.net/category/9053282-1.html

まあ、私は犠牲祭の日にひどい風邪にかかり(通称ハッジ風邪と呼ばれて毎年蔓延する)、ほとんど寝てました。あんがいハッジってすることなくて、退屈なものです。まあいいや、ともかくジェパラでの犠牲祭、、なんでジュパラ、ジュパラってしつこく書くかというと、ジュパラは他と風習が違うことが多くて、一般化できないからです。

ジェパラでは、巡礼がはじまったハッジ月8日にお祭りがあります。だいたいどこの村でも総出でワヤンやガムランやごはんで盛り上がり、そのまま3日後の犠牲祭に突入。犠牲祭の前夜は徹夜でモスクで念唱があってうるさい、、、寝れない、、、そういえば、この声がうるさくて哀れなヤギの慟哭がまったく聞こえなかった、、、が、

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当日の夜明けにヤギがいるところを見たら、もうカラだった。というか、柵は取り壊しが始まってたぐらい、、ということは、前夜はすでに売り切れたのか、、夕方までは確かにヤギは居たのだけど、、夜のうちに完売。

朝、6時からイードの礼拝がはじまり、

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ものすごい人でモスクに入れない、、

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自分の絨毯を用意しておいてよかった。こうして、つつがなくお祈りもおわり、ふと外をみると、、

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犠牲用の牛がいる。

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いつのまにか、牛が集められていたんだ。知らなかった、、、まあ、牛は大きいから買ってそこらへんに置いておくわけにはいかないから、当日購入ということになるのでしょうね。

もしかしたら、このモスクはナフダトルウラマー会派系のモスクだから牛なのか?とか思ってしまった。そういえば、ヤギのほうはムハンマディア会派の犠牲って垂れ幕に書いてあった。ムハンマディヤは原則に忠実派だから、預言者イブラヒムがヤギだか羊だかを犠牲にした秘蹟にしたがうのかもしれない。じゃあ、牛は?あ、それは食べておいしいから、、だと思う。

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ともあれ、イードムバーラク。

Triple cropping ? 二期作目を あっという間に刈り入れまで終わったところは、そのまま放置?三期作の田植えをするところと しないところの差。

After 2nd cropping of padding field, turned to vegitable.

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二期作目の田植えが遅れて、早いところとの差が1か月ほどついたところでも二期作目の刈り取りのシーズン。

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、、ということは、二期作目の早かったところはとっくに三期作目の田植えが終わって、もう草刈りとかしているころかなあ?と思って、一番早く2期作目の収穫が終わったところにいってみると、、、驚いた、、刈り終わったあと、そのまんまだった。

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1期作目と2期作目の間は1週間とか2週間で田植えしたのに、、なんで稲刈りが終わって1か月以上たつのに、放置しているのか?




、、、、たぶん、水がないんだと思う。いまは乾季で、水量が圧倒的に不足しているシーズン。だから、水田をまかなう余裕がないのでしょう。
そのかわり、田んぼが畑になってた。

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なんだか、イモ系の畑も多い。そういえば、今はサツマイモの収穫の最盛期だし、、

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こうして三期作に突入せず、畑づくりになったところ、、放置しているところ、水があるのか三期作目に突入して田植えが終わったところ、、いまは、さまざま。二期作目のとりかかりが遅かったところも、ここで足並みがそろうみたい。

なるほど、

そういうことか、、、




2019年08月10日

Eid Al Adha tomorrow 明日は犠牲祭。いや、尋常じゃないほどの盛り上がりでびっくり。断食明けのお祭りより、よーーーーっぽど盛り上がっているのは、珍しいと思う。いや、これが本来なんだけど。

Eid Al Adha is the biggest festival amongst Muslim,, more than Eid Al Fitr.

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明日はイスラームのお祭り、犠牲祭。イスラームで2つあるお祭りのうち、「大祭」と呼ばれて、最大のお祭りなんだけど、、だいたいのところで、小祭である断食明けのお祭りに規模で負けてたりします。

それというのも、断食はみんなが参加して、しかも1か月もあるから、終わったとたんにはじけるお祭りとなるのです、、、が、犠牲祭は基本、巡礼、、ハッジに行った人がやるもの?という他人任せな発想があって、巡礼に参加してない人は、乗り気の無さがある。もちろん、そんなことない。巡礼に行こうが、行くまいが、みんなで心して預言者イブラヒムのひそみにならう!

しかし、我が町ジュパラのイスラームのお祭りの習慣はすこし他の場所と違います。たとえば、サウジとかほかの国でも、お祭りの休暇はお祭り当日の前後数日とかが普通なのに、ジュパラでは、お祭りの前日まで普通に仕事をして、お祭りの当日をふくめて10日休みです。お祭りの休日はお祭りの後のみ。これは地元の人が地元で暮らしているので、帰省というのがないからだと思う。休みの最終日はビーチで大謝恩会です。そのため、ビーチに行く道が超混雑する。

そして、犠牲祭。盛り上がる、、不思議に断食明けより盛り上がる。まず、巡礼の初日に大謝恩会があります。犠牲祭の数日前になりますが、この日は町の広場でガムランとかワヤンとか屋台とか大変な賑わい。そして、巡礼の間中、ずっと休み、、そして犠牲祭の当日となって、祭りの後はまた10日の休み。だから、休みの日数でいうと、断食明けの祭りより長くなる。



まあいい、、それぞれの村にはそれぞれのしきたりがあるというもの、、

で、、、
、、、可哀想なのは犠牲になる、動物たち。お祭りの犠牲となるのです。うーむ、もちろん私もお肉を食べてるから、どこで屠られるかの違いではありますが、目の前に犠牲用のヤギ売り場ができるとなると、、心があんまり穏やかではないです。

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この売り場ができて、夜になるとヤギの慟哭でまんじりもせず過ごしたのですが、明日は犠牲祭。ここにいるヤギで明日も命があるものはほぼいないはずです。ヤギを買いに来る人も急に増えて(自分ちにヤギを置いとくスペースがないから直前購入ということになる)、ヤギも興奮していつもよりも慟哭しています。ふーーー、、、

ところで、このヤギ、、、すごく変な顔をしています。ふつうヤギというと、こういうの?ちょっと耳が長すぎるけど、、

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しかし、大きなヤギ、、ポニーぐらいある。このヤギの顔は正面から見ると細いが、横から見ると丸くてでかい。海のマンボウを思い浮かべてください。でかすぎて、とてもヤギとは思えない顔。悪魔がヤギの顔しているタロットカードとかあるけど、あれよりも怖い、悪魔もびっくりというぐらい変な顔。調べると、ダマスカスヤギ、あるいはシャーミーというらしいです。なるほど中東系なんですね。

ダマスカスヤギはジュパラの普通のヤギではありません。ふつう、そこらへんにいるヤギは、アルプスの少女のユキちゃん的な、ありがちなヤギなので、このダマスカスヤギはいったい誰が飼っているのか?ふつうには見かけない?しかもでかいから(ポニーぐらいある)危なくないか?顔は怖くないか?わからん、、、ただ、ユキちゃんだと犠牲にするには忍びないが、悪魔だとまだいいのか?顔がわるいと損なのか?、、、いろいろと、考えてしまいました。

ともあれ、今晩も哭くんだろうなあ、、、辛いなあ。
ちなみに、看板の絵と実物は全然無関係です。しかも、牛はいないし。

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Merdeka Indonesia インドネシア独立記念日まであと一週間。ともあれ犠牲祭が明日なんで、この一週間はお祭りムード一色になる。

Indonesian Independence day next Saturday

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紅白の垂れ幕に、紅白の飾り、、、インドネシアの独立記念日はちょうど一週間後。
町も家も、どこもかしこも記念日の飾りで埋め尽くされ、独立記念日ビジネスは大流行り中。

うちの事務所も、中も外も隙間なく飾られ、、

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これなら、日本の紅白の幕とか、紅白の提灯とかもそのまま、転用できるよ。よかったね、日本とインドネシアの国旗は配色が一緒で。

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えーっと、あしたがイスラームのお祭り、犠牲祭なんだけど、、、ぜんぜん独立記念日優先だよね、、まあ、しかたない。インドネシアには五原則というのがあって、イスラームばかりが宗教ではないということなのでみんなで祝う日が優先なんでしょう。

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ともあれ、74周年記念、おめでとうございます。独立戦争で流した血も多く、この日に力を入れる理由もよくわかります。

2019年08月08日

Fort Jepara Benteng VOC 我が町ジェパラは、それは古い港町。ポルトガルの城もあれば、オランダの城もある。

Benteng VOC Jepara XVI

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Bentengというのは城というインドネシア語。VOCはその名もたかき、オランダ東インド会社のこと。そして、XVIは素直に16だよね。だから、「オランダ東インド会社第16ジュパラ城」となるのかな?標高85メートルの海岸近くにあるお城です。

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役割としては、商船の停泊地が一望できる小高い丘の上で(たぶん昔は海岸線がもっと近かったと思う)、

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荷物をつんだはしけや小型の商船が横付けする掘割を真下に見下ろすところ、

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もちろん、荷下ろしした荷物を捌くマーケットも隣接してある、、

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港の管理と防衛と、市街地の守りですね。ほんとうに、昔たぶん砲台があったところは東屋がたってる。

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現存しているのは石垣ぐらいなのかなあ、

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その石垣も往時のものなのか、修復したものがボロボロになっているのか、はっきりしません。ここのものは、新しくてもボロボロだったりするので、ほんとうに遺跡だか新築だかはっきりしないものが多いです。あー、貧乏っていやだなあ

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このタレットは、昔のものか?修復後のものなのか?全然わかりません。ものすごい修復技術というべきか、昔から全然進歩のない技法というのか?その差は大きい。

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この城は17世紀にはもうあったそうです。たぶん日本の平戸にオランダ商館ができたのと、だいたい同じ時期にジェパラに商館とお城ができたと思っていいと思います。東南アジアのオランダ勢力は後発のイギリスに駆逐されたところが多いのですが、戦いに疲れた両者の条約によってインドネシア一帯はオランダ領として残りました。ほんとうに、インドネシアと日本がオランダの拠点だったのです。オランダ人と中国人のお墓もお城の一部に残っています。オランダ人てお墓が好きだよね、世界中オランダ人の通った後って、きれいなお墓がいっぱいある。

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この、ジュパラ城は、いまでは公園として整備され(たぶん整備されているようにみえる)、若い女子うけする白壁の洒落た東屋や、インスタ映えする展望台、、、そして、デートのメッカとなっています。末永く平和であるといいですね。

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Eid Al Adha 犠牲のヤギが一晩中泣いてるんだよ、、せつなすぎる。犠牲祭まであと数日

3 days to Eid Al Adha

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イスラームの大祭、犠牲祭まであと数日というところで、突如、家の前の空き地に犠牲祭用のヤギ販売所ができました。しかも、2か所。ほんとうに私の部屋の真下といってもいいぐらいなところ。

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昼の内にテントができて、夜にはもうヤギが入ってた。買いに来る人も多くて、売る人は24時間体制で詰めてます。どうやら、この場所は毎年、ヤギ売りの場所として機能しているらしくて、なんか普通に売ってる。私にとっては突然だけど。

まあ、それはともかく、このヤギ売りテントが立ってた場所は、レジ袋にゴミが入ったものが散乱してたり、ジュースカップがゴロゴロしてたりしてた空き地の端っこのほうで汚かった。が、それがきれいに片づけられたし、草も刈られてたから、ほう、良かった、、、不法ゴミがないだけでも気持ちが穏やか、、、だった、、、夜になるまではね。

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夜も更けて、、外で、まるでお葬式のように慟哭の声がする。何事か?交通事故か?とか思ったら、、ヤギが泣いてるんだよ、、それも一晩中、ずっと、メーメーとかべーべーとかじゃなくて、うおおおおおお、とか、げえええええ、とか、ともかく、野太い男の人が夜うなされて叫んでいる、、というか、慟哭しているという声。とても、知ってるヤギとか羊の鳴き声じゃないです。もう、周囲の雰囲気が尋常じゃないし、どうもわが身に降りかかったことがどういうことか理解しているとしかいいようのない、慟哭。。それも、一晩中、、ひいいいい、とか、おおおおおお、とか、ぎゃあああ とか、そんなのが続いてい寝られない。

自分の不用意な死を自覚したものの慟哭というのがあれば、きっとあれなんだと思う。

そして、次の夜も、夜通し、窓の下で、慟哭が。。もう、犠牲祭なんて祝う気が薄れてしまった。インドネシア人の友達にそのことを話すと、、ヤギは屠られる前に涙をボロボロ流して泣くんだよ、、とか言うし、もう、、、なんとかならんのかなあ、、とか思いました。


2019年08月06日

writting Blog ブログを書く、先月は書けなかったけど、もう書くときだよね

Mom passed away last month

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先月はじめに身内の不幸があって、ちょっとブログを書く気力もなかったけれど、もう一月たったし、そろそろ書かないと、もうずっと書かないかもしれない。

ジャワの生活も落ち着いてきて、身近なことがとっても愛おしいです。たとえば、田んぼの4期作を目指すところではもう田植えが始まっているとか、そうでないところは二期作目の刈り入れがシーズンを迎えているとか。

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田んぼに水が入らなくて立ち枯れしたところでは、涙を呑んで穂のついてない枯れた稲を刈ってるとか、、、トウモロコシの収穫シーズンで、干している実がオレンジ色で、たまらない黄金色に見えるとか。

それに、犠牲祭のシーズンを迎えて、Desa単位の村祭りが盛ん。たぶん、収穫祭ともいえると思うけど。

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お祭りにいくので、花電車がでてるんだよ。正確には花バスだけど、、

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そして、頭飾りもきれいな女の子、、

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いいよね、、

2019年07月03日

日本人の精神て何なの?もう失われたかもしれないし、日本が!とか叫ぶ人が一番忘れてそうなもの。

Japan

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ドイツの言葉、ドイツの法、ドイツの精神、、をもとめてハーナウのグリム家の二人がたどり着いたのは、民話でした。
延々と途切れることのない民話にこそ、ドイツ人が何を善と認め、何を悪と認め、どういう人が理想の人物であるか、どういう人が不適切とされるのか、、という根源があると認めたからです。人に受け入れられない話は伝わることはないでしょう、親から子へのお話の中にどれぐらい教訓が含まれているのか、いうまでもありません。
これら民話から精神を求めようというのは、グリム兄弟の卓見です。広範囲に民話を採取し、ドイツのドイツであることを求めた功績は世界中が今なお称賛を惜しみません。


でもって、日本民話の類型から日本人が何を尊んだかというと、一目瞭然。

いじめられていた亀を助けた話、困っていた鶴を助けた話。鶴と亀というとってもありがたい生き物をいじめるほうもどうかしているけど、「困っているものは助けなければならない」というのは多くの民話に言えるはなし。鶴と亀だけじゃなくて、石仏に笠をかぶせたり、雪の日に訪れた女性に親切にしたり、悪い鬼や化け物に困っている人を助けたり、人身御供の人を助けたり、もはや助け(人だけじゃなくて、生き物一般、、それどころか無生物にさえ)なくして日本の民話は成り立たない。生けるものへの畏敬の念があります。


善い行い、特に困っているものにたいして親切にすれば、かならず報われる



のが、日本人としてあるべき姿だと民話は教えてくれています。グリム兄弟を受け入れる度量のある国民ではないにしろ、これら語り継がれたことを公にないがしろにする日本人はいないはずでした。

、、、、が、最近は、全く顧みられない。
民話よりは、ゲームを!語り継ぐより、偽装や破棄で断ち切ってしまう。
欺瞞の多い世の中になってきているのですが、、、、

困っている人を罵倒し、自己責任と揶揄し、環境破壊で生き物を無為に死なせたり、別に食べもしない生き物の命を奪ってゴミとして捨てるとか(捕鯨もそう)、弱いものをいじめる世の中があって、それが当たり前になっているのが、なんだか、信じられないなあ、、本当に日本なんだろうか?

ものへの畏敬がないと、めぐりめぐって、自分が粗末に扱われるということなんだけど。



2019年07月02日

Padding field in dry season 乾季の三期作。まさかの干上がり!どうするんだろう、ドキドキ

No water in padding field

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私はこれまで、砂漠も、温帯モンスーンも、熱帯モンスーンも、熱帯雨林も、地中海性気候も、体験してきましたが、ここジャワ中央部にくるまで、サバンナというのには全く縁がなかったです。ここはケッペルの気候区分における、島嶼性サバナ(サバンナ)と呼ばれるところ。

サバンナの特徴は、はっきりとした雨季と乾季があること。。。。ということは知識上では知ってたけど、まさかここまで雨が降らないとは!まさか、まさか、の驚きです。いまは乾季ですが、雨一滴降りません。熱帯雨林だったら、ここらへんでスコールが降るんだよね、、とかいう時間になってもまったく降らない。この1か月ぐらい、まったく降ってないです。ちょっと、ありえんでしょう。

そういうことで、家の前の田んぼに目をやると、、、雑草が生い茂っている、、

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農家の主な仕事は、草むしりです。むしるべし!むしるべし!とくに勤勉なこの辺の農家がおろそかにするわけがない、なにかきっと理由があるのだと、、、思ってみると、、

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まさか、、の水なし、、、

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これは如何ともしがたい、、、
でもって、ほかの田んぼをみると、水があったりするのでうちの前の田んぼぐらいなもの。とはいえ、この乾季では川の水量も全然足りてないので、うちの前の田んぼ同様に水がないたんぼも少なくないでしょう。

水がある田んぼでは、三期作も穂がでてきて、案山子が置かれ始めています。
四期作はもう、収穫真っ最中。そうか、乾季の前に収穫が終われば楽勝だもんね、、、年中お米がとれるとはいえ、乾季を雨季を上手につかいわけないといけないってことか。

それにしても、三期作の稲穂がでるのが早すぎる。
まだ田植えから2か月ぐらいだよ?ということで考えてみると、、そういえば、苗代の苗がでかかった。



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日本だと田植え機でやる関係上、苗の一本が小さいけれど、こちらは手仕事でやるので苗が大きかった。そうか、苗代ですでにある程度大きく育てているから、田植え以降の収穫まで時期が短いということか。納得。

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こちらは苗代の苗を田植え用に収穫しているところ。苗といっても手からあふれ出てる。日本の田植えだと本当に手のひらサイズでこんなに大きくないしね。



UNESCO Heritage in Java 1 ジャワの世界遺産は4つ。そのうち3つは私が住む中部ジャワにあって、比較的楽にいけます。

UNESCO world heritage in Java

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海外旅行の目的地として、超人気なのがユネスコの世界遺産。
ちゃんと「ユネスコの」ってつけないと世界遺産なんていっぱいあるから、どれがどれだかわからなくなってしまう。今やユネスコに認定してもらえるかどうかが、地元観光業界にとっても大変な関心事で、認定があるかないかだけで、観光収入が全然違うそうです。

、、でも、観光業界の都合でユネスコが認定しているわけじゃなくて、ユネスコは憲章第一条に

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization U.N.E.S.C.O.)は、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関です。

(c) 次のようにして知識を維持し、増進し、且つ、普及すること。
 世界の遺産である図書、芸術作品並びに歴史及び科学の記念物の保存及び保護を確保し、且つ、関係諸国民に対して必要な国際条約を勧告すること。
 教育、科学及び文化の分野で活動している人々の国際的交換並びに出版物、芸術的及び科学的に意義のある者その他の参考資料の交換を含む知的活動のすべての部門における諸国民の間の協力を奨励すること。
 いずれの国で作成された印刷物及び刊行物でもすべての国の人民が利用できるようにする国際協力の方法を発案すること。


とあるとおり、非常に教育的なもので、べつに観光業界のためにあるものではありません。
とはいえ、そういうところが認定した世界遺産ならぜひとも行ってみたいもの。

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インドネシア全体で8か所が世界遺産に認定されています。そのうち、4か所がジャワ島。さらに中部ジャワに3か所。つまり中部ジャワの3つの世界遺産が示すのは、我が中部ジャワが非常に歴史的文化的にインドネシア全体でも特異なところで、魅力がいっぱいあるということですね。

1) ボロブドゥール寺院複合遺跡(仏教遺跡)
2) プランバナン寺院複合遺跡(ヒンズー教遺跡)
3) サンガリアン初期人類遺跡(ジャワ原人遺跡)

そして、この3か所を訪れてみました。家から近いというのは、うれしいところ。

2019年05月04日

Mee Ayam 鶏肉ヌードル。。ジャワ人の心の友。日本では一つ覚えのようにナシゴレン、ミーゴレンが有名ですが、そんなもん毎日食べてる人はいるの?ジャワでは、ミーアヤムを毎日食べてる人なら、、普通にいます。

Mee Ayam

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ジャワの魂の食べ物、、バクソ。でもって、バクソーだけでは食べることはほぼないです、何かに入れるのが普通。たまに、「焼きバクソ」というのもあるけど、主力はミーアヤム(鶏肉麺)に入れて食べる、、ミーアヤムバクソです。

バクソ無しの、ミーアヤムは極めて普通のごはんです。屋台、レストラン研究家(笑)の私としてはのれんに書いてある文字を見て、どの食べ物が一番分布が多いか調べてます(?)が、一番多いのれんはミーアヤム

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ちなみに、日本で有名なミーゴレン、ナシゴレンの、「のれん」はほとんど見かけません。きっと観光地で「何故だかしらんが、日本人はナシゴレン、ミーゴレンを食べたがる?」という口コミで日本人が集まりそうなところにナシゴレン屋、ミーゴレン屋が集まる、、という現象を引き起こしたのかもしれません(想像)。ふむ、、私の住んでいる町では普通にナシゴレンとか売っている屋台は少数派、、と思います。

だから「インドネシアといえば、ナシゴレンだよね」とか言っている人を見ても私はにわかには信じられません、、が、、(ごめん、単なる好き好きな問題なんだよ、、、)

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「インドネシアといえば、ミーアヤムだよね」という人を見たらきっと「おお、友よ!」とかいうと思います。

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注意すべきは、量が少なめなこと。少なくともマレーシアと比べると器そのものが小さい。量は少ない。まあ、日本並みというのかな。
マレーシアから来た人はきっと「げげげ、量、、少ない、、とっても足りん」とか思うと思う。

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2019年04月28日

MRT station Maluri マレーシアのマルリ駅に行ってきた。すんごい近代的。もちろん初めてこの駅に来た。

Malaysian MRT station AEON-Maluri. so beautiful

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今回のマレーシア行は用があったので行ったので、遊びで行ったわけではありません。しかし、忙中に閑アリ。いや、お前はいつも閑だろうといわれると返す言葉もないけど、とりあえずそんなものです。

KLのアンパン線とカジャン線の両方の駅舎がつながって、アンパン線はLRTだから小さいし、、古い。しかしカジャン線の駅舎は超近代的。

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日本語のWikiにもマルリ駅について記事があるけれど、それはカジャン線ができる前の記事で、今とは全然違う。第一、乗り入れている路線の記事が違うのだから話にならないレベル。しかし、Wiki信者ってそういうものでも信じるのだろう、、英語だとちゃんと書いてあるのに。

まあいい、マルリ駅は昔、タマン・マルリと呼ばれていたそうですが、新線が接続して名称変更。住民はまだタマン・マルリって言ってる、、、ここにある、ガーミンのお店に行ったのだけど電話で最寄りの駅はどこ?って聞いたら、タマン・マルリって言われた、、いや正確にはイオン・マルリ駅です。駅前のイオンと繋がるのだろうけど、現在イオン側が改装中。イオンが撤退したら、またタマンて、つけるのかなあ。

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なにもかもが新品で、私の使うマスジドジャメ駅には無いものが多い、、たとえば、発券機。こんなの初めて見た、、どうやって使えばよいのかわからないぐらい。

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電車の接続も動線がきちんと取られて機能的だし、わかりやすいし(超近代的でわからないところもあったけど)、まあ、びっくり。

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目的地のガーミンは以前に行ったことがあるのですぐにわかった。以前はバイクで行ったから駅なんて気にもしなかった。まあ、マレーシアを離れて、、住んでなくなってからは車もバイクもないので電車移動ばかり。おかげで、いろいろと勉強になることもありました。

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そのあとは、スリプタリン線をつかってプトラハイツ駅まで。これも新しい路線だし、使うのは初めて、、って、昔は車で移動してたもんね、、

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おかげで、勉強になりました。

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2019年04月25日

Malaysia short stay again マレーシアに数日滞在中。しかも、ホテルは懐かしの定宿。場所はダタランムルディカなのだ。

Staying in M'sia city center

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用があって、インドネシアからマレーシアに旅行中。直行便はあるが、いろいろ苦い思いも多いエアアジアというのが玉に瑕。でもね、直行便はエアアジアしかないんだよ、、他の選択肢はない。フライトは2時間ぐらいで楽。ただし時差は1時間。

今回のミッションの一つが、マレーシアにある銀行口座をきちんとメンテナンスすること。半年間使ってなかったりすると、勝手に停止されてたりするし、ATMカードが使えなかったりする(ATMは使えてた)ので、書類一式もちこんで銀行窓口でいろいろ相談して、不具合があると直してもらう。しかも、電話番号も変わったし、、新しくマレーシア専用のスマホも買ったし、やるき満々。手続きは多かったけど、今回は完全にミッション成功。

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インドネシアの携帯が2つ、マレーシアの携帯が1つ、、、、けっこう重い、、、が、まあいいでしょう。アプリの整備は、これから。
そして、もう一つのミッション、、、それは、GPS購入。

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インドネシアには無いのか?と聞かれたら、ジャカルタまで行けばあるかも、、というレベルの、オートバイ用のナビです。日本でもオートバイ用使っていて手放せないし、マレーシアで使っていた車用のナビをインドネシアでも使っている。去年スマトラに行ったときのインドネシア地図が入っているから、全然問題ない、、、のだが、、

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道が悪すぎて、、ガタガタのショックで、首は傾くし、穴があれば飛び跳ねた勢いでカーナビも吹っ飛んでしまう、、、というありさま。

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これは、本当にいかんともしがたい、、、でも、ナビがないと道に迷う。時々見る、、じゃなくて、割と頻繁に見てるから大問題。

ということで、ちゃんとしたナビが欲しい。。しかし、高い。しかも、マレーシアの地図しかなくて、インドネシアの地図はなんだか別にオーダーしなければならないそうだ。。。困った。さらに、昨今は携帯をナビ替わりに使うのが9割で昔ながらの独立ナビ使っている人なんて滅多にいないのだ。だから、時代の波に乗るべきなのか、、よくわからないので一晩寝て考えることにしました。

とりあえず、久しぶりのKLエリア。

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やっぱりPJとは違います。懐かしのマスジドジャメ駅

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町の中で飛行機を見つけて、ちょっとびっくり。やっぱり変わったところもあるんだね。

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2019年03月10日

Jepara wood art (上)ジュパラは木彫りや木製家具で有名な街。だから、モスクの室内装飾はモスクの規模不相応なゴージャスな木彫りで埋め尽くされている。本当に、ちいさなモスクでも、外国の巨大モスクにあるようなゴージャスな説教壇があったりする。

Wood art in Mosques @ Jepara

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わたしの家の2軒先にある、モスク。たしかにこのあたりでは大き目なモスクだけど、最も大きいというわけではない。

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そして、、内装は、、、いやあ、もうさすがに木彫りで世界的に名が知られている町だけあって、モスクの内装はちょっと規模に見合わないぐらいゴージャスで、おかねのかかった作りになっている。まあ、木彫り職人がモスクに自慢の逸品を寄進したんだと思う。ジュパラのモスクは、ほんとうに小さなモスクでも、内装はあきれるほど立派です。

まずは、外壁、、、

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下半分を覆っているのを拡大すると、こんなかんじ、、

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きれいに磨いた年輪をデコレーションしてるのです、、、

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でもって、入口はちょっと深い色になってるけど、、、いえいえ、、同じものです。

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ほら、近寄るとこんな感じ、、

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でも、高低差を作っているのでおのずと陰影ができて、それで、他より色が暗く見えるという芸の細かさなのです。

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扉のうえの細工も、、、細かいんだよ、、写真じゃあんまりわからないと思うけど。

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入口の前には、鏡があったりします。家具屋さんで、とっても高く売られているやつね、、

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ただ、太鼓はあんまりパッとしない。きっと、古くから伝わっているもので、伝統や伝説があるやつなんだよ、、

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モスクの中に入る前に打ちのめされそうです、、、で、入ると、、

2018年10月26日

Fake news in 1867(1) 八戸事件、、という「フェイクニュース」が長きにわたって日本外交を揺るがせた重要な、しかし、知名度はいまひとつな事件があった。最終的に、フェイクニュースが成就されてしまい、フェイクではなくなったのがミソ。

Fake News issued from occupied Hong Kong in 1862. It made a lot of trouble for 3 countries, China, Korea and Japan.

八戸事件、、という幕末から明治の日本外交、特に中国、朝鮮、日本という3か国の外交関係をゆさぶる事件がありました。
一般的にはフェイクニュースで政府を揺るがせた案件として知られているけど、、知らない人は全く知らないと思う。しかも、フェイクというだけあって、事件の呼び名すら「はちのへじけん」なのか「やとじけん」あるいは「やべじけん」なのか正式な呼び名すら確定していないというありさまです。

ざっくり説明はWikiに任せます。Wikiこそがフェイクニュースの発信源とまでいわれるほど信ぴょう性には疑問を持つべきなのでしょうが、まあ、いいや、、めんどくさいし。(以下カッコ内がコピペです)。

「(引用はじめ)同治5年12月12日(グレゴリオ暦では1867年1月17日)、清国の広州(広東省)で発行されていた『中外新聞』という華字新聞に、イギリス領香港に在住する八戸順叔という日本人が「征韓論」めいた記事を寄稿した。日本(江戸幕府)は軍備を西洋化し、朝鮮を征討しようとしているとする記事である。清国の外交を担当する総理各国事務衙門(以下、総理衙門)は、外国人が開港場で発行する新聞の内容を上海の南洋通商大臣、天津の北洋通商大臣および各税務司に毎月報告させて情報源としており、この記事もただちに弁理五口通商事務大臣に届けられ、総理衙門へも報告された。総税務司ロバート・ハートからも詳細が報告されている。

これらの情報を受け、翌同治6年2月15日(1867年3月20日)、総理衙門主宰の恭親王が同治帝に、記事の内容とともに、礼部を通じて朝鮮に密咨を送り、実情を調査させるべき旨を密奏として上呈した。この上奏は直ちに裁可され、当時たまたま来清中だった朝鮮の冬至使に、さっそく礼部からの咨文が託された。この冬至使は翌月に朝鮮に帰国し、「征韓論」を伝える密咨が、朝鮮政府に届けられたのである。

該当記事の内容は、
日本は軍制を改革して、新型兵器・軍艦を購入・製造し、現在すでに火輪兵船(蒸気軍艦)80隻を所有している。また12歳から22歳までの優秀な若者14名を選抜してロンドンに派遣した。留学生らは西洋風の髪型にそろえてヨーロッパ式の軍服を着用し、英語にも精通している。また、江戸政府は督理船務将軍の中浜万次郎を上海に派遣して火輪兵船を建造し、すでに帰国している。幕府は、国中の260名の諸侯を江戸に結集して、朝鮮を征討しようとしている。日本が朝鮮を征討しようとするのは、朝鮮が5年に1度実施していた朝貢をやめ、久しく廃止しているからだ。
というものであったという。次節で述べるように、この記事の内容のほとんどは誤情報から成り立っており、いたずらに外交摩擦を生じさせかねない文章となっている。田保橋潔が『近代日鮮関係の研究』で「朝鮮に関する部分は全然無根で、何故に彼がかかる流言を放ったか、理解するに苦しむものがある」と述べている通り、「八戸順叔」という人物がなぜこのような妄説を新聞に寄稿したのか、目的は全く不明である。(引用おわり)」

この八戸が寄稿した記事は、いまのところ1次資料としてはみつかっていません。一番最初の情報にさかのぼっても、弁理五口通商事務大臣(五口通商大臣)から総理各国事務衙門(清王朝の外務省)に届けられた報告が一番古い確実なものだそうです。ちなみに、五口通商大臣とは、南京条約で開港された5港(広州・福州・アモイ・寧波・上海)での対外通商と外交事務を担当する外務省の下部組織です。つまり、八戸寄稿は、清朝政府の公式なルートで採取され、上奏されたということで、てきとうにねつ造されたものでなくて、実際になんらかの記事として存在していたのは間違いありません。ゆうずうが利かない清朝末期の役人が公式政府トップまで報告する文書を偽造する理由なんてなにもないからです。

2018年10月14日

HD Petaling Jaya ハーレーのお店に久々に行ってきました。懐かしい友達とも出会えたし(というか待ち合わせしてたんだけど)、とてもハッピー

Visited HD Petaling Jaya Gasket Alley.

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久し振りにHDのお店に行ってきました。まだ今年オープンしたばかりだから、ちょこちょこ改装が入って、前にはなかった部分とかが新しくできてました。2階には、タトー屋さん、

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それにCD屋さんとか(ステージもあるCD屋さん)、いい感じの雰囲気です。それぞれのお店に至る通路は狭いので、Gasket Alleyの名にふさわしい。ここに引っ越してくる前も知ってるけど、あっちも、こんな感じだった。

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おしゃれな赤レンガ造りなので、いろんなイベント、つまりバイクに関係なく、、ということだけど、活用されてます。モデルさんのスタジオとかにもなってるし、コンサートもあるし、なんかのオープニングセレモニーにも使われたり、、してます。

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ハーレーのお店は、まだ2019年モデルが入ってきてなくて、このあいだ東京で試乗したときの話とかでもりあがります。本当に待ち合わせした友達にも一杯会えたし、楽しいひと時。

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さあ、食事?コーヒー?Gasket Alleyの中のカフェで駄弁りかと思えば、、?なんとお店をでて、道路を横切ったオールドタウンで飲み食い、、え?あれほど、入り浸ってたカフェはどうした?と訊くと、「飽きた」

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、、あ、いや、そんなもんだと思う。というか、メニューが少ないのに、いままで良く飽きなかったよ、そっちのほうが凄いと思う。
ま、いっか。

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こうして、延々と話し続け、話のネタ切れになったら、次の再会を期して、お別れです。FBでつながっているせいか、なんか毎日会ってる感じがする。ぜんぜん、久しぶり感がないし、お互いの近況もとっくにご存知という感じだし、、まあ、FBも良し悪しです。

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Prepaid SIM RM10 in MY マレーシアの携帯電話SIMカードが270円ぐらい。日本は、、?その10倍ぐらい。ふー、、ありえんというか、日本のが高い理由が知りたい。まあ、どうせしょーもないことなんだろうけど。

I bought new SIM card coz my previous one was expired.

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もう5年も使っているマレーシアの携帯電話番号。最初はプリペイドだったけど、それをポストペイドにするときに番号持ち越しして、そして前回マレーシアを去るときにまたプリペイドにして、大切に使ってたけど、今回、マレーシアに着いてすぐ使ったけど、、使えなかった。

チャージしているお金が空になってしまったのかと思ってトップアップしてみたけれど、ダメ。なんとなくSIMが使えない気がしたのでMaxisに行って、、、「プリペイド携帯が使えないんだけど、、」。

マレーシアのMaxisショップ(ドコモショップのマレーシア版)は、いつでもどこでも有能なスタッフが多いです。そうでない人もいるけど、だいたい、ほとんどの、女性スタッフは有能です(男が有能な可能性は女性の半分ぐらい)。毎日毎日、わけのわからんことを言ってくる客をテキパキ捌けば自然とそうなるのか?もともと優秀な人がスタッフに選ばれるのか?よくわからないけれど、お手軽に有能なマレーシア人が見たければ、Maxisショップに行くといいです。

そして、私の携帯電話は、「プリペイドの場合、3か月使ってないとチャージされてても、されてなくても期限切れになるんだよ。新しいSIMを買ってね」というのを柔らかい言葉で言われてしまった。そして、購入。金額は10リンギなり。約270円ぐらい。

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実のところ、マレーシアに行く前に成田空港で見かけた日本のプリペイドSIMの自動販売機はこちら。まあ、以前はこういうのが無かったことを考えると便利になったものだと思うけど、それにしても、なにこれ?この値段?バカにしてるとしか思えん。安い奴で日本の10倍か、やるなあ。日数分の通話料も入ってるんだろうけど、、いい商売やってるなあ。

2018年10月13日

Guru & a group インド系の多いところだから?、、にしても、ちょっと見ないグループ。ニューエイジ系のように見えるけど、ふーむ、マレーシアでもあるんだね。

I found a group of people led by Guru in Kelana Jaya

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ケラナジャヤはプタリンジャヤ市にあります。ついでに言うと、プタリンジャヤはスランゴール州にあって、大変大きな都市です。KLとくっついてるので、観光客とかはプタリンジャヤはKLの一部と勘違いしてますが、連邦直轄市じゃなくて、スランゴールのほう。

でもって、ケラナジャヤは、街の大きさはプタリンジャヤの中では並みなのに、良く知られているのは、MRTに「ケラナ線」という路線があるから。これは首都圏の大体北西から南西までを一気に走る大動脈となってるので、まさにケラナジャヤに行ったことが無い人だって、首都圏に住んでれば名前は良く知ってる、、というレベル。

ケラナジャヤの特徴?うーん、これまで頻繁に来てるのに、ここに宿泊するのは初めて、、朝から晩までケラナジャヤ。だから、特徴で分かったこともある。それは、、インド系住民の多さ。

マレーシアを構成している代表的な民族は、マレー系、華人系、そしてインド系。もっとも、それぞれがさらに細分化できるけど、話始めれば長くなるから置いといて、インド系は代表的3民族の中では一番割合が小さいです。だから、普段の生活も、割合として見かけることが少ない、、けれど、ここは違う!街中がインド系といってもいいぐらい。ふーむ。

そして、見かけたベジタリアンレストランで、、はて?上から下まで白づくめのグループがいる。男性はグル(先生)が一人で、あとは女性ばっかり。見た目は、、ヒンズー系のサドゥー風。でも、清潔で小ざっぱりしてるし、サドゥーではない。何に似てるかといえば、スピリチュアルだねえ、、ニューエイジがこんな感じだと思う。女性の中にはあきらかなコケイジャンもいるし。でも、周囲がインド系なので、違和感は全然ない。よくみると、グルも、なんかマレーシア人的な雰囲気じゃなくて、もしかしたら外国人かもしれない。

むむむ、、まあいいけど。なんか、へー?というような一団でした。。。

、、が、翌日、ばったりとその一団と同じ食堂。今日はベジタリアン食堂じゃないの?まあ、ここらへんの食堂なら、どこでも、ベジタリアン食はあると思うから、まあいいや。私は好物のナマズでした。

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同じ食堂の近くの席なので、10人ばかりの白装束グループをまじまじ見てしまう。見た目に「ヒンズー系なんとか教団」。日本でもサリンで世を騒がせたところがあるけど、服装はあんな感じ。。つまり、女性はサリーじゃなくて、ヒンズー系道服?男性と同じもので、あたまはきつく巻いたターバン。シークのターバンじゃなくて、どっちかというとアラブの男性がきつめに太くならないように巻くタイプ。でもって、上から下まで、みーんな純白。清教徒化したヒッピーといってもいいような感じ。全体にお洒落な感じ(というか、サドゥが汚いんじゃない)。

うーむ。ニューエイジか?ヒッピーか?スピリチュアルか?よくわからないけど、ケラナジャヤには、すっごい馴染んでる。連日、このあたりで見かけたということは、修行場もこのへんなのかもしれない。

何十年も昔、まだ私が10代だったころ、ヒッピームーブメントの残り香があった。なんだか知らないけどラーマクリシュナの思想という分厚い本を友達から貸してもらったことを急に思い出してしまった。あの友達の一団がやっぱり、こんな感じだったような気がして、なんだか、すっごい昔をいろいろと思い出してしまったよ。(でも、ラーマクリシュナは何をした人で、何を言った人なのかさっぱり思い出せないけど)。

2018年10月11日

Nasi Lemak マレーシアに着いて2日目。今回は4日しかいないからナシレマは数回食べるだけ(たぶん)

Arriving at MY, then eating Nasi Lemak

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今回はほんの数日のマレーシア滞在。
しかも、心の故郷、、クアンタンに行く用はない。
ま、いっか。

到着して、まず食べるのは、もちろん国民食のナシレマ。どんだけポピュラーかというと、最初っからテーブルのうえに、おにぎりのように乗っかっているということ。お客さんは、ナシレマを食べるなら注文しないで、勝手にテーブルの上のナシレマを食べる。ナシレマ以外の料理の場合は、お店のひとに、「ロティチャナイが食べたい」というふうに注文しなければならない。もっとも、テーブルのうえにナシレマがおいてない場合は、なんだって頼まないといけないのだけど。。

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ただーし、ものすごくカロリーが高い。レマというのは油ということで、油脂分たっぷり。えーっと、同じようにナシミニャというのがあって、こっちのほうも、油ということで、じゃあ、食べ比べるとどう違うのかというと、、、、そんなの、私にわかるはずがない。
なにを食べても、、「おいしい、おいしい」としか言わない私に、レマとミニャの区別なんて、全くつきません。が、食べ物というのは、食べておいしか、そうでないか、というのがともかく基準なんで、わかったところであんまり関係ないです。

よく、ブログには食べ物の話があると見る人が増えるとも聞きますが、
まあ、私の舌にかかれば、どれもおんなじというぐらいですから、いくら食べ物の話を書いても盛り上がりに書けること間違いなし!(さいごのビックリマークが盛り上げるところ、たぶん)

ともかく、マレーシアに来たら、ナシレマです。当然です。出国審査のとき、マレーシアで何回ナシレマを食べたか訊かれるかもしれませんので、食べた回数は覚えておきましょう、、、たぶん。

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2018年07月31日

Little Donation 日本に持って帰るものは限られる。あれこれ持って帰っても、全部が収まるほどの大きな家に住んでいる訳じゃない。だから、いるものだけ抜き取ったら、あとは、みんな寄付。捨てちゃあだめだよ。寄付だよ。

I did little donation for the local people in need. Thanks God to have this oppotunity.

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引っ越し荷造り、、、じゃない。日本の家というものは、とてつもなく小さいもので、外国で使っていた必要なものがすべて入るほどの容量は絶対にありません。これはサウジアラビアから帰ってくるときに体験済。サウジから帰ってきて、日本に荷物が届いて驚いた。開梱しないで段ボールのまま積んでも、家の半分の床面積を占めたしね。もう、なんのため運賃払ったかわからないけど、家に入りきれないものは捨ててしまった経験があります。

だから、マレーシアから帰るときは、引っ越し荷物をつくるんじゃなくて、身の周りのものだけまとめて、後は全部処分。
えー!といってもしかたない、サウジの二の舞は防がねば。。。。ということで、シュガーバッグ(とマレーシアで言っているけど、他の国ではライスバッグという)の袋にいろんなものを詰め込む。

ともかく、家のものをダウンサイズするので1回。そして最終的なもので2回目という2段階の整理で、その行く先は、、寄付です。
今回は、バイク仲間に声をかけて、ボランティア団体と連絡がつき、寄付です。トレンガヌは毎年洪水がすごくて、避難してる人は多い。それはそれで、毎年水害に合うとわかっているところになんで行政は手を打たないのか腹がたつけど、しかたない。

まずは、知り合いのホテルのマネージャーに事情を話して、ホテルのクロークルームを一時保管場所として、、入れて、入れて、入れて、入れて、、ホテルは24時間やってるから、ボランティアの人がいつ取りに来ても対応できます。手助けありがとう!

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結局、このシュガーバッグは累計20個以上に上りました。ものすごいかず、、というか、なんで私のアパートにこんなにあったのだろう?
後日、、ボランティア団体から、寄付が必要とされている人達の手にわたったという連絡が写真付きでありました。

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うーん、役に立ててうれしいけど、、こうやってみると、古着とかじゃなくて、なんで新品のパリッとしたものを上げなかったのかとも、思います。もちろん、引っ越しするから不用品を出す、、というのが一義的にはあるのだけど、受け取る側からみると、、、どうなんだろう、、

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うひー、見覚えのある服ばかり、、そらそうだけど、、ちょっと恥ずかしい。えーっと、サンタさんの帽子が、、、よろこんでもらえてよかった。ちょっと恥ずかし、、じゃなくて、ずいぶん恥ずかしい、、

せめて、あんまり使い込んでないものが喜ばれるのを祈るだけです。トレンガヌの人達に何か一個でもよろこんでもらえると嬉しいです。それに、あまりの量の多さに、何往復もしてくれたボランティアの兄弟にも頭が下がります。ありがとう。こうやって、いろんな不用品と、それを必要としている人達の間の橋渡しは、大変な作業だと思います。

それにしても、知れば知るほど、マレーシアの洪水対策の遅れは腹立たしい。毎年、そこで洪水が起こるとわかってるんだったら、なんとかしてあげれば、、、なんだけど、、、

、、、なんとかしろ、、じゃなくて、まわりが何とかしないといけないのか、、ひとまかせ、政府まかせじゃなくて、まず、個人でできるところから何とかする。何とかしろ!という口はいらない、、何ができます、、という口と手が必要なのかもしれない。

2018年07月16日

Melaka visit in June (3) Be Human not Selfieman ジーンズ小物の売り上げでインドネシアのへき地の小学校建設の役に立てるのだ!小さい積み重ねでできること、そんなのタカが知れているという人は、やってみたことが無い人。やろうよ。

Making Jeans cloth bags for dream. your dream and my dream and our dream.

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「ミシンで学校を作る」というのは、伊達や酔狂じゃないです。本当にわずかながらでも前にすすむスマトラでの小学校建設。いろんな人が少しづつ自分のできることでお金を稼いで、そのお金を持ち寄って、小学校をつくる。一人の力では微力だけど、微力が幾重にも重なれば、もはや微力とは言えない力が生まれます。

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作っては売り、作っては売り、あちらにバザーがあると聞けば、ミシンを担いでバザーに参加。もちろん、オーキッドはそのホームです。

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作っているのは英国人のリーさん、、、この日はカシミール屋さんで素材選び。中古絨毯を切ってバッグに仕立て直したりもします。

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私が欲しいのは新しくかったアイパッドを入れる袋。ねえ、そんな袋ある?
ううん、無い。でも、作るからサイズを測らせて、、

、、ということで、私のために特注品。リーさんは小回りが利くのでお客さんは出来合いのものを買うのではなく、欲しいものを作って買ったりもできます。

できたもの、、

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アイパッドがすっぽり、、というか、これに合わせてサイズを作ったし、内側も柔らかい布で仕上げられてアイパッドが傷つかない、さすが、芸が細かい、、、

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手提げのところにはベルトのループがついてる。なんと、これは便利かも。

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いいよね、、

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マラッカ土産は、、できあいのものじゃなくて、欲しいものを作ってもらおう!

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2018年07月10日

Erhu ニ胡 送別パーティで二胡を弾いてもらった。うーむ、二胡は見るからに難しいが、弾くともっと難しい。これは楽器が人を選ぶやつだと思う。

Erhu is so beautiful and so difficult to play.

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めじろ押しにあった、送別会。いよいよマレーシアを去るという情緒も盛り上がります。
ヨガのクラスはそれでなくても、なにかと言えば口実をつけてみんなで食事をするクラス、、、まあ、いいや、ありがとう。おかげで、クアンタンの食事ライフが豊かになったのはヨガクラスのみなさんのおかげです。

ベジタリアンのお二人と一緒に食事をして、最後に友達が二胡を弾いてくれました。私はこれはてっきり胡弓なんだとおもって、Wikiの胡弓の中国語版に行ったら、、、なんと「胡弓とは日本の弦楽器」と書いてあるではないか。「胡弓」のどこにも中国のなんたらで、、といった説明がありません。あれは日本の楽器、日本で作られたもの、中国の楽器ではありません。。。そっか?それは知らなかった。

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じゃあ、友達の持っているこれはなに?
「ああ、これ?これは、「ふー」だ」
ふー?あ、胡のことね、ふー、、と読むのか、、
ちなみにベトナム建国の父の、ホーチミンは漢字で書くと胡志明。

、、ということで、日本の胡弓と中国の二胡は全く似たところのない別もんらしいです。Wikiによると、日本の胡弓はもっと東南アジアに起源をもつ可能性が高い、、らしいです。ちなみにベトナムのホーチミンとは関係ありません。

ちょっと持たせてもらいました。まず、弾いても音がしない。弾いたら音がするバイオリンとは大違い。超絶難しい。

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まず、弓の毛が2本の弦の間に入ってる?は!ありえんだろう、

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どうやって、こんなことになるのか、、って聞いてみたら、、ほら、ここで毛を外すんだよ、、

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これも、ありえん!バイオリンではありえないです。それに弓の毛を引っ張るのは?なんと毛と弓の間に指を入れて毛を持ち上げてテンションをかけるらしい、、うーむ、弦楽器の奥は深い。

バイオリンを弾いてると、なんでもバイオリンを基準に考えるけど、そうではないのだ、、ということ。
それに左手だって、指板がなくて、直接弦を押さえるだけ。全音ハーモニクスといってもいいかも。

ありがとう、私の送別会に相応しく、勉強会ムードになりました。

2018年07月03日

Pizza Hut@Kuantan そらあもう弱小な我が町とはいえ、ファーストフードのお店はいっぱいある。ケンタッキーなんて数え切れないぐらい。私がいくのはピザハット。時々、もうれつに炭水化物がとりたくなる。

Pizza Hut is one of popular fast food shop in my town Kuantan.

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ピザハットなんてどこにでもあるじゃないか、、何か特別なことでもあるのか?と思う人!
そのとおりです。ピザハットもドミノピザも、我が町にはいくつもあります。

マレーシアは外食が盛んなところ。これは伝統的に外食が盛んなのか?外食文化のある中国人の影響なのか?よくわりませんが、外食文化は盛大に花開いていて、そこら辺のひとでも、「ちょっと通りにテント張ってお弁当でも売れば現金収入になるよね」とか思うぐらいです。

それに比べて、サウジアラビアも日本も伝統的には外食文化がぱっとしなかったところで、最近では、、ともかく、昔は、、の話になると食堂といったものがそれほど華やかじゃなかったです。お弁当文化ですね。マレーシアでは小学校にもレストランが入ってます。

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ピザハットは、、何故取り上げたのか、、というと、単に好きだから。マックは悪くない。KFCはいま一つ(鶏のから揚げはマレーシアの国民食の一つでけっこう美味しいので、KFCが見劣りする)、ほかもまあまあ、、で、私はピザ好き。

すんごい洒落たイタリアーンのお店もいいけど、こういう肩肘はってないお気楽なお店は好き。味だってコンビニで売ってる世も末レベルのピザに比べたら10倍おいしい。くつろいでるのは、、私だけじゃない、、、むこうの女性、、、サンダルが床に転がってるけど、足はどこ?

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足は、、椅子の上。床生活のマレーシア伝統マレー人の間では、あぐらをかく習慣がある。勉強は座卓、食事は床、家ではいつも胡坐をかく。
でもって、こういうお気楽なお店では、つい、アットホーム At home 「家にいるよう」だから、気づかずに椅子の上であぐらをかく。
事務所でも熱中すると、女性はいつのまにか事務椅子のうえであぐらをかいてることがあるけど、こっちのほうが、気が散らない?のかもしれない。

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そういう私もサンダル人生をまっしぐらに進んでいて、、靴がはけない。履いてもいつのまにか脱いでる。。

2018年07月02日

The best color in Malaysia マレーシアで、一番綺麗な色は何かというと?もちろん、この果物の甘酢漬物。果物のデザート、、というのか。味は置いといて、、色はいちばんマレーシアらしいビビットな華やかなもの。

Sweet & Sour Fruits,, the best color in Malaysia.

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私が選ぶ、マレーシアで、いちばんきれいな色。
それは、この果物の甘酢漬物。まあ、味はとりあえず置いといて、、というのは、色の美しさには惹かれるけど。味的には?ラッキョウ味。そう、ラッキョウも甘酢だもんね、果物というのが違うけど、ラッキョウらしい味はします。

、、、いや、味は置いといて。この色。なんと派手で華やかな色。
そのまま食べるとラッキョウだから、こまかくして、アイスクリームのトッピングとかにすると全体の甘さをピリッと引き立てるのだと思う。
、、、いや、だから味は置いといて、、、

色彩の氾濫のようなマレーシアでも、
これだけの色は、他にないと思う。

2018年06月30日

Rainy day クアンタンは毎日雨雲で真っ黒な空が広がる。この真っ黒さは、日本の空にはちょっとないと思う。

Rainy day continues

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クアンタンはこのところ、雨雲がひろがる日が続きます。激しい雨になる時もあるし、そうでもないときもある。真っ黒な空になっても雨が降らない?うんにゃ、そんなことはなくて、自分がいるところに雨が降らないだけで、ちょっと離れたところでは豪雨だったりします。

だって、雨雲が頭の上にあるからといって、風があるので真下に降るとは限らない。やっぱり低気圧の通過時にはものすごい風を伴う。空気という物質をかき分けて水分が移動するから、海を行く船が舳先でたてる波のような風。雲の移動についていけない雨は、空気の抵抗に負けて少し後ろに降ることになります。

アパートの近くにはグラスビルがあって、暗雲がみごとに鏡に映し出されてとっても綺麗なんだけど、目で見るほど写真ではきれいに写せないなあ、、

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