この教材はよく使われているので、日本語学習に携わるものなら、、、ああ、あの話ね、、というぐらいなもんです。

でもって、みんなで話しあうというところで、「もし、電話がなかったら、どうしますか?」という質問があります。
私も、主にベトナム人からなるクラスでこの単元があたったので、聞いてみました。すると、、
「もし、電話がなかったら、探している場所にたどりつけません」、、というのが半分ぐらい、、、「音楽が聴けません」とか「動画が見れません」とか、、、
え?ちょっとまった。おいおいおい、、、すみません、ここは電話を発明したグラハム・ベルの話なんですが、、なんで!
、、と絶叫しそうになりましたが、もはや今の二十歳ぐらいの子は、家電の存在すら無視してる。というか、音声通話はどこいった?それって、スマホの話だろう?というか、インターネットの話だろう!!!!
、、、もはや、電話=スマホという理解になりすぎて、せっかくベルの発明した電話とか昔の電話の写真が何枚も載ってるのに、もう眼中にない。骨董品、、いや、博物館モノで、自分とは関係ないという立場。
もっとも、このクラスは学習に遅れがみられるクラスで、うてば響くような答えはもともと期待薄なのですが、、、
それでも、一様に「電話がない生活は苦しく、貧しく、耐えがたい」というようなものだったので、わたしが、、いやいや、わたしの若いときは電話はあったけど、家電しかないし、九州から東京にでてきた貧乏学生には、「電話」の権利の8万円ぐらいが払えないから、家に電話をひくなんて夢のような話。3年ぐらいは、電話なしだったし(どうでもいいけど風呂もない)、、、実家の親には公衆電話に10円玉積み上げて電話してましたが、、という話をしたけど、理解できてたようにはなかった。まあ、いいか。
いっちゃあなんだけど、自分をだからといって「生活が苦しい、貧しい、耐えがたい」とか夢にも思ったことはなかった。みんな周囲も似たり寄ったりだったし、電話のない生活が普通だから、人との出会いが大切だったし、手紙や電報なんて使ってたし、ふーむ、、、、、
今のテクノロジーに囲まれた生活だって、あと20年もすれば、、、「ありえんぐらい不便なくらし」と思われるんだけど。そんなもん、歴史が証明しているし、そのときどきに楽しいのさ。
わたしは、いまでも電話のない生活に戻れる気がするけど、さあ、実際やるとどうなんだろう。個人は変わらなくても、社会が変わるからね。
○