「いまから家に帰るんだよ。喜色満面、足取りも軽く、華やかに弾いてみようよ。あなたのは疲れてる」
有名なドボルザーク「新世界」第二楽章です。歌詞を付けてGoin' Homeという題名でバイオリンの教本にでています。「今、弾いてみてどう思う?」とジャスティン先生から聞かれました。えーっと、音符の長さが正確でない??出だしは四分音符が全然なくて、音感の無い私にはちょっと難しい。
「そうじゃない、曲の理解が違っているんだ、暗いんだよ」といって、さっきの言葉になりました。暗いとか疲れてるとか言われても、こっちは音階を追うのに精いっぱいで、曲の理解もなんも、そんなこと考えたことすらなかった。
、、、でも、ちょっと待って。
家路って、疲れててどうして悪いの?
ここから、随分考えさせられました。
元歌(英語)を直訳したものは、こちらです。(青字引用)
http://www.worldfolksong.com/classical/dvorak/goin_home.html
帰ろう 帰ろう 家路へと 静かなる日々 家路へと
遠からず 近きにあり いつでも迎えてくれる 仕事も終わり 優しき心溢れ もう恐れる心配などない
私を待ってる父母がいて 沢山の人々が集まる 心ゆるせる友人達 家路へ 家路へ
見てのとおり、仕事が終わった後、さあこれから帰るぞ、、という歌。日本語の歌詞で一番ポピュラーなのが「遠き山に日は落ちて」
遠き山に日は落ちて 星は空を 散りばめぬ
今日のわざを なし終えて 心かろく やすらえば
風はすずし この夕べ いざや 楽しき まどいせん
闇に燃えし かがり火は 炎 今は 静まりて
眠れやすく 憩えよと 誘うごとく 消えゆけば
やすきみ手に 守られて いざや 楽しき 夢を見ん
いずれも、仕事が終わって、楽しき我が家に帰ろうという歌詞です。家に帰れば家族や友人が待ってたり、かがり火が待ってたりするけど、ともかく、くつろげる家に帰ろう、、、って、確かにジャスティン先生の言う通り。
でも、今、よく工場とかの終業時間で家路のメロディが流れたりするけど、結構みんな疲れてない?仕事から終わって家に帰る駅に向かう人たちのどれぐらいが、「仕事が終わった!ばんざい!早く帰って家族に会いたい、家で寛ぎたい」と喜色に溢れている人がいるのだろうか。
日本は残業が普通で、定時に帰ると白い眼で見られるという異常なこと(あるいは定時に帰ると罪悪感がある)が常識とされてます。もちろん、そうでないところもあるだろうけど、これが一般的なことだと思う。残業で遅くなり、家には寝るために帰る、家族はもうとっくに寝ている。持ち帰り残業がある。これで帰路を喜色満面とはいかなくなるよね。
でも、これは狭い範囲の一般や常識であって、世界的にみると日本のような働き方は異常です。普通はジャスティン先生の言うように、「これから帰るんだから、もっと喜々としなくちゃ」です。
仕事があれば、家族との時間は二の次。これを疑ったら、日本で暮らすのは辛いはずです。日本で暮らす外国人の多くがここを指摘していますが、ほとんど誰も気に留めません。「家族と一緒にいる」のは常識で、サウジでは単身赴任は労働法違反です。必ず家族帯同となります。
家路は、まだまだいろんなことを教えてくれます。あ、考えさせてくれますですね。
多くの人も、いろいろ考えているのだろうけど、実行に移す人はまだまだ稀です。
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