the MY Pantai Timur telepraph

2017年08月25日

Indonesian flag in SEA game book 逆さに印刷されたインドネシアの旗

It was a topic issue "Indonesian Flag" on SEA game.

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インドネシアの旗というのは知らない人はそもそも知らないでしょうが、、上半分が赤。下半分が白の旗です。私はシンガポールの旗と配色が一緒で月星があるのがシンガポール、何もないのがインドネシアと覚えています。

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しかし、あろうことか、開催中のSEA Gameのパンフレットの中では上下が逆。しかも、1箇所じゃなくてあちこち間違っているから、本当にうっかりというより、無知。これに対してインドネシアの住民が怒りのデモ。

http://www.freemalaysiatoday.com/category/nation/2017/08/21/jakarta-protesters-say-flag-wilfully-printed-upside-down/
Hundreds of followers of various Indonesian organisations gathered to protest outside the Malaysian embassy’s premises in Jakarta today.

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日本の国旗は上下左右間違っても、ほとんど大勢に影響がないというか気がつかないんじゃないかと思いますが、インドネシアの国旗は上下を間違うとポーランドの国旗になってしまい、全然違う意味になります。シンプルな国旗ほど、気をつけないといけないですね。私も大昔、UAEの国旗をアブダビ日本人学校が上下逆にしてしまい注意されたことを知ってます、、が、誰も怒らなかったです。まあ、ありがちなミスだし(?)今後気をつけましょう、、という程度だった。

でも、今回のパンフは1箇所じゃなくて、いーっぱい間違っている。シンガポールは正しいのに。上下、左右がはっきりしている国は間違えるとはっきりわかるから大変。

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しかも、上下が正しいと思ったら、国旗そのものを間違えている、、

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えーっと、なんというかインドネシアの人は「意図的に間違えている!許せん!」と怒っている人は怒っています。もちろん、隣国の旗なのに、レイアウトも校正もチェックもみーんな潜り抜けて間違ったのですから、怒られてもしかたないけど。でも、このいい加減なレベルがマレーシアの実力なんだから、、全部正しいとかマレーシアに求めるほうが間違っている。

それより、斜め線は黒と白なのに、、黒と白に赤を加えて勝手に変えられてしまったブルネイの国旗のほうがかわいそう。これは怒っても良いと思う。わざわざ、手間をかけて赤を入れるか?

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もりあがっているSEA Game.
細かいことは気にせず、頑張ってください。

しかし、マレーシアはシンガポールとタイには、連れトイレ友達のように仲がいいのに、マレーシアとインドネシアの間には、何故か?ぴゅーーっと吹き抜ける寒風を感じます。せっかく言葉も一緒なんだし、もっと仲良くなればいいのに。つーか、近すぎるとよくない、、という例なのかもしれない。

posted by NAOKI at 16:39| クアラルンプール ☁| Comment(0) | Life overseas マレーシア生活とアラビア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

Vivaldi バイオリンといえばビバルディ。特に四季の「春」

Practice for "La Premavera" of Vivaldi (for beginner!)

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バイオリンといえばビバルディ。肖像画も切手も、みーんなビバルディとセットになってバイオリン。
バイオリン界の巨匠。私も尊敬しています。彼の曲はみんな好き(たぶん)。弦楽曲ばかりなのも好感度高し。

で、たまたまジャスティン先生から夏休みの宿題として練習しなさいといわれたのが、初心者向けビバルディの四季の「春」。好きな曲だけど、自分で弾くと難しい。ジャスティンは「焼き飯は誰でも作れるが、三つ星ホテルのシェフの作る焼き飯とあなたのつくる焼き飯は同じじゃない。同じ食材、同じ調理器具でも、シンプルな料理ほどシェフの腕の違いが歴然となる。もちろん、楽器演奏もそのとおり」と言われて、、、。いや、先生!誰でも作れるはずですが、私は焼き飯も作れないです、腕の違い以前の問題です、、と言いたかったけど、やめた。ともかく、練習。試しに上手い人の演奏を検索。

YouTubeにあった素晴らしい演奏。おお、みんなバロック弓を使っているではないか。



プロの技の動画を見た後だと、練習意欲が減衰。なんでこんなに差があるのか、笑ってしまうほど違いがありすぎる。なんであんな音だせるんだろう?本当にあれはバイオリンか?

わからん。わからん世界です。

posted by NAOKI at 22:26| クアラルンプール ☁| Comment(0) | Music バイオリンと音楽と映画とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ サウジ記事とマレーシア記事

このブログはサウジアラビアにいるに書き始めて、それで「紅海だより」となっています。
その後、マレーシアに引っ越してからは「紅海だより(マレーシア編)」です。なんとも、その場しのぎ的なタイトルですが、結局15年ぐらい住んでいたサウジからはなかなか離れがたいということですね。

もちろん、ここ4年弱はマレーシアの記事ばかりです。もう滅多にアラブにも行かなくなったので、アラビア語も忘れてきたし、、、ま、しかたない。でも、マレーシアはものすごく楽しいところ。マレーシアの記事は興味のおもむくまま、いろんなトピックの詰め合わせです。

さっき、ページの閲覧というのを1年ぶりぐらいに見たのですが、いまのサウジ記事とマレーシア記事の訪問者数は半分半分ぐらい。まだまだサウジ記事は健闘しています。マレーシアについて書く人はものすごくいるけど、サウジについて書いている人は少ない、、、ということなのでしょう。

なんか、妙に納得してしまいました。でも、私の書くマレーシアは、、他の人の書くマレーシアとはちょっと違っているはずです。なんといっても、食べ物のおいしいお店とかないし、ショッピングの穴場とかもないし、ゴルフはしないし、お酒も飲まないし、サッカーの話題もないし、一般的にウケる話題というのはほぼ皆無です!それが特徴といえば特徴でしょう。べつにそういうのを書くまいと決めてるのじゃなくて、本当に知らないし。そういう話題を書くとブログを見に来てくれる人が増えるよ、、という話もききますが、、知らないものはいかんともしがたい。

その代わり、、、タイとマレーシアのどの国境が楽に通過できるかとか得意!変なもの(トビトカゲとか?)に興味があるし、自然や生き物、文化や宗教も大好き。バイオリンもマレーシアで始めたし、このブログはそういうの(へんなの)が一杯!

posted by NAOKI at 21:53| クアラルンプール ☁| Comment(0) | Life overseas マレーシア生活とアラビア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

SEA Game 2017 東南アジア大会

South East Asia Game is now exciting.

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クアラルンプールを中心に行われている、第29回東南アジア大会は真っ最中。ラジオからも、どの競技でマレーシアはメダルを取ったとか、そういうニュースだらけ。ま、それはそれで明るい話題でとても良いです。

で、私はウルトラマラソンの後遺症?体力も免疫力も低下しているときに、またもや風邪をひいて大変。1週間前やっと長引いたインフルエンザが治ったと思ったら、またもや。ふーー、インフルエンザが流行しているので、治ったと思ったころにまたうつされる。これは堂々めぐりだね。

体調が悪い時は体力も気力も出ない。何か頑張ろうという気も起こらないし、ついダラダラしてしまう。おかげで体重が増えてしまった。

posted by NAOKI at 20:59| クアラルンプール ☁| Comment(0) | Life overseas マレーシア生活とアラビア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Jalan Malayu マレー横丁

Jalan Malayu is located just next to Masjid India @ Masjid Jamek.

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KLで夜を過ごすときはいつもマスジドジャメです。交通の便が良いというのもあるけど、独立広場とか開放的な空間が目の前にあるのが好き。しかし、マスジドジャメ駅と独立広場の間にあるのは、人が通るだけでもそんなに余裕がないのに、車まで割り込んでくる、、マレー横丁 Jalan Malayuです。

しかも、土曜日の夜は、夜市で道路が夜店でいっぱい。人が通るのだって大変なのに、そこを車だって通るのでえらい騒ぎです。賑やかな場所を見たければ、土曜の夜、ここにくれば賑やかさ(+ちょびっとご庶民的華やかさ)は保証。マレー横丁というぐらいで、昔はマレー人の店が多かったのかな?わからないですが、いまは完全に「ムスリムインド系横丁」と化しています。

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マレーシアのインド系の人は、ヒンズー教徒、ムスリム、クリスチャンといろいろいます。エアアジアの社長さんは、クリスチャンインド系ですよね、たしか。で、ここマレー横丁はムスリムインド系ばかり、なんといってもマレー横丁の中心にはマスジドインディア、、インドモスクがあるぐらいですし。

とっても楽しい場所。なのに、なぜか観光客は少ないです。土曜の夜は観光客はもっと華やかなところに行くのかなあ?このマレー横丁に立つと、35年前のドバイです。まだまだその名が知られてなくて、みすぼらしくて、観光客なんていなくて、でも活気にあふれていた頃のドバイのスークがまさしくこんな感じ。(今の華やかで観光客の多いドバイなんて、私の知っているドバイじゃない!全然別物)

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マレーシアもどんどん開発されていってます。マレー横丁には今のうちに行ってないと!あと10年後には再開発されて今の面影なんてまるでないのは間違いないです。

posted by NAOKI at 20:45| クアラルンプール ☁| Comment(0) | Life overseas マレーシア生活とアラビア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

三浦瑠麗の大嘘 3

三浦氏の東京新聞の記事について多くの人が反論していますが、その反面、氏の発言を支持している人も少なからずいます。私がこの記事について反論を書こうか迷ったのですが、最近の明らかに真実でない発言を厚顔無恥で巻き散らかしている政治家が多い中、よりによって研究者がこれほど(つまり小学生レベル)の間違いを堂々と行い、平然としているのは看過できませんでした。。。史学を学んだものとしての義務さえ感じました。

「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」

このたった2行の中で「それ以前は経済的に比較的恵まれ」というのがどれほど間違いであるかと述べました。反論する中で気が付くのですが、ともかく、三浦氏の発言は曖昧すぎます。

1)せいぜい2年ほど:明確さに欠ける。
2)それ以前:それ以前とは具体的にいつの時期か?私はそれ以前の20年間と常識的に仮定していますが、それ以前とは縄文時代のことであると言われても文脈上成り立ちます。

3)比較的恵まれ:何と比較するのか?この時期の50年ほどと比較するのが常識的かもしれませんが、三浦氏が「いや、1943〜1945年と比較して」とあらば論外です。空襲により国土が焦土と化し、日本人310万人が亡くなった大戦とその後の飢餓に比べたら、比較的恵まれているかもしれませんが比較する意味がありません。自然災害や恐慌は人を苦しめるために発生するのではありませんが、戦争は明確に人を殺し苦しめるために発生しますので、比較にならないでしょう。さらに恵まれているの基準はなんでしょうか?「恵まれている」とは感覚的な言葉で、本人がそう思えばどんな状況でも「恵まれている」です。

4)いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる:実名も上げず不明確。誰のことだか想像もつきません。この時代世界的な視野をもった高橋是清などは国賊呼ばわりされ凶弾に倒れています。もし世界的な広い視野を持った人がいたとしたら、そもそも敗戦の惨禍をみることがなかったはずです。
それに「いまより」とありますが、今がそんなに視野の狭いものばかりなのでしょうか?三浦氏の周辺はそうなのでしょうが、ネット時代ですし一般的に今の人の世界的視野は1943年以上に広いと思います。ただし、政治家については何とも言えません。この一文は全く意味不明です。

5)ある種の豊かな国家:なにが「ある種」なのか曖昧で見当がつきません。国体護持の精神的豊かさなことでしょうか?でも、この文は「経済的に比較的恵まれ、(中略)ある種の豊かな国家だ」と経済的とはっきり明記して豊かさを指しています。どこが「豊か」と理解できたのか知りたいところです。
6)そもそも「恵まれ」も「豊かさ」にも基準はありません。この2つほど感覚的な言葉づかいはないでしょう。「比較的恵まれ」「ある種の豊かさ」。浅学で具体的に言えないのを、なんとなく分かったように言い換えるテクニックですが、文字にして何度も見ると、いったい何を言いたいのか不明。もちろん、これは虚言であることは既に述べたとおりです。本人も分かっていっていると思います。

7)と考えてます:なーんだ、ここに書いたのは単なる雑感で資料の上になりたった論理ではないということです。考えるだけなら、どれだけ妄想しようが自由です。しかし、研究者としては失格です。

たった2行なのに、これだけ書いても、まだこの方は持論にしがみつくでしょうね。それは研究者としてよりも、信仰者としてです。ですが、自分の戦前への信仰を他人にさも事実のように開陳するのはやめてほしいものです。研究者もやめて、妄想を信じ信仰者として生きるのであればまだその自由は憲法が保障しています。

posted by NAOKI at 09:57| クアラルンプール ☁| Comment(0) | History 歴史と外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三浦瑠麗の大嘘 2

1923年から1933年までは、関東大震災、昭和金融恐慌、世界恐慌、昭和農業恐慌、昭和三陸沖地震などで、国民の上から下まで経済的に苦しい時代がつづきます。大不況の時代、大倒産の時代ともよばれます。が、まかり間違っても「経済的に比較的恵まれ」た時代と呼ばれることはありません。三浦氏はいったい何をまかり間違ったのか皆目見当がつきません。

もっとも、本人は必ず曖昧な言葉でしか語りませんので、「、、、と考えています」であれば何でもアリです。どんな大不況でも、恐竜を絶滅に追いやった天変地異や氷河期に比べれば、「比較的恵まれた」と言えるでしょうし、どんな状況でも、、「と考えています」なら、事実を違うことだって考える自由はあるわけです。

「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」

「それ以前」を1943年以前の20年間のうち10年の経済状態をみてきたわけですが、1931年には満州事変が勃発。戦争には必ず経済的疲弊が伴いますが、多くの人は戦果ばかりに注目して経済に注目する人は多くありません。さらに1931年には犬養首相=高橋蔵相コンビによる金の輸出再禁止となっています。金解禁は当時の日本の経済の話題の中心で、関東大震災、世界恐慌などを経て日本経済はフラフラと千鳥足で政策を一定できません。金の輸出再禁止によって多少は日本の企業を息を吹き返します。とはいえ、財閥に手厚く、庶民は塗炭の苦しみが続くこの犬養=高橋コンビは憎まれ、翌年1932年には昭和史に必ずでてくる五一五事件が発生しています。農民決死隊を含むこのグループは財閥に手厚い犬養首相を暗殺。

1933年は日本の国際連盟脱退の年。国際的な目はますます覆われ、視野を狭められていきます。関東大震災から10年。東京も農村も生活は苦しく、軍靴の音はけたたましく、一部財閥ばかりが金儲けに熱中している時代です。1934年は現代史でも必ず取り上げられる「昭和東北大飢饉」の年。1930年代前半は何度も冷害に襲われ農村は疲弊に疲弊を重ねていたのですが、1934年の凶作は小作農民を直撃。日本史上最後の飢饉となっています。1935年も凶作の影響はつづき、相沢事件にみられるような軍部内部の抗争が激化。この頃から経済が事件として取り上げられることが少なくなりますが、それは政治軍部の諸問題が余りにも大きくなりすぎて、経済など取り上げる余地がなくなったからです。戦争の時代とはいつでもそういうもので、国家予算とかGDPとかを気にしていたら戦争などできません。1936年は二二六事件が起こりましたが、クーデター失敗。金輸出再禁止の高橋蔵相は暗殺され、犬養=高橋の2名とも凶弾に倒れたことになります。この事件も、農村の窮状を救うというのが旗印の一つになっています。今の人にはわからないかもしれませんが、この時代の日本といえば一次産業中心で、ひとは農村とつながりがあるのが普通でした。

総務省統計局のデータです。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/sokuhou/03.htm
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1937年は盧溝橋事件から日中戦争に突入した年。このあと延々と中国での日本軍の戦争は続きます。戦争経済?そんなもの誰も気にしなくなっているほど感覚がマヒ。ちなみに、日本軍はアヘンを売りまくることで戦争を継続していきます。

あれだけの戦争をしたのですから相当なお金がかかったはずですが、それを問う声は少ないのは、アヘンが絡んでいて大声では言いにくいから。日本の外貨獲得の旗頭だった生糸が恐慌を境に壊滅。それに代わる産業がない状態です。アヘン経済に日本の「戦時中の国運」を任せていたのは別に秘密でもなんでもなく、国も認めてますから調べればすぐにわかること。
1930年代後半には、日本はついにヘロインとコカインの生産量世界一になりますが、国内消費用ではなく大切な外貨獲得手段。国内向けには覚せい剤が普通に出回りはじめます。

時代は疲弊した日本の農村を再興する代わりに、中国への植民を奨励するようになっています。
1938年以降、もはや戦争につぐ戦争。1939年はノモンハン事件があり、第二次世界大戦が勃発。1941年には日米開戦、緒戦の勝利に沸いたのもつかの間、開戦から6か月後のミッドウェーで日本は負け、さらにその2か月後にはガダルカナルで負け、その後ずっと負け続け。日本の経済?国家予算の9割が軍事予算で、前線はアヘン売り上げに頼った経済と略奪経済。もはや経済など無視。
1930年代後半のGDPは戦争に向けて増大していますが、個人消費は縮小の一途です。このGDPの増大をみて「比較的恵まれた」とするのは間違いです。経済指標は上昇しましたが財閥が儲け、国民は「恵まれた」とはいえないのが実情です。例えば今の中国はGDPで世界2位ですが、貧困は存在し経済成長の恩恵は偏在しています。

想像してみてください。疲弊した農村から出征した一家の稼ぎ手。残る家族は生計の立てようもなく、出征した兵士が戦病死すれば、もう家族には悲劇しか残されていません。これの何が「豊か」さなのでしょう?あるいは中国をはじめ世界中にアヘンを売って中毒者から巻き上げたお金で戦争していたのが「豊か」さなのでしょうか?

三浦氏の発言をもう一度。

「それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています」

それ以前の20年間。最初の10年間は震災、津波、冷害などの天変地異と金融恐慌、世界恐慌などの経済不安な時代で、誰がどう考えても恵まれた時代ではなかったですし、次の10年間は515事件、226事件が起こり、軍事独裁の道をひた走り、経済低迷を軍事力で打破するという暴挙による「戦争の時代」です。国民は戦場で死に、貧困の窮状は捨てられてしまいまい最初の10年よりも辛い状況ですが、これが豊かな国家のすることでしょうか?なるほど豊かな人達はいました。いわゆる戦争推進者で、高級官僚・軍人は血税を、財閥は死の商人として得たカネを、、、、毎日の料亭で使い果たしていましたが、三浦氏の目線はそこにあるのでしょう。

あえて取り上げませんでしたが、「いまよりも世界的な広い視野を持った人」とは戦争推進者ではないでしょうか。「豊かな国家」と言い切れず「ある種の豊かな国家」と言い換えているのは滑稽です。「ある種」が何なのか誰にもわかりません。曖昧な言葉で嘘をつき、逃げ道ばかりを考えたようなこのような三浦氏の発言は、全くの愚論で一顧だに値すべきものはありません。

むしろ、このような人物を持ち上げる時代の流れが、今の日本だということですね。

posted by NAOKI at 00:05| クアラルンプール ☁| Comment(0) | History 歴史と外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

三浦瑠麗の大嘘 1

いつもながら周回遅れですが、東京新聞に掲載された三浦氏の発言が話題になってるので読んだところ、、唖然とした、、こんなので東京大学の講師が務まるのか?本当に?何か、ウケを狙って滑った漫才ではないのか?さすが東京新聞、、三浦氏の浅学を非難するより実際に本人の口で語らせることで暴露を狙ったのでしょう。たぶん。

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つっこみどころが満載すぎ。一行毎につっこんでも仕方ないので、みんながどこに突っ込んでいるかネットでさらっと見たところ<人権を抑圧したのは2年ほどでした>というあたりでした。これに対して人権の抑圧はずっと以前から行われているという反論も目立ちました。でも、私に言わせると別に国家総動員法のあるなしに関わらず、人権は抑圧されつづけたし、今だって人権軽視は根強い人気があります。相模原の保護施設で大変な悲劇を起こした犯人は、自分の行動は政府に認められると本能的に人権軽視の臭いを嗅ぎ取ったぐらいです。だから、三浦氏の発言の人権云々の話で反論しても、しかたない。人権軽視はこの国のお家芸です。

私が突っ込みたいのは、ここ。
「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」

人権抑圧は曖昧な部分も多い(抑圧を明確にするバカもいないので)けれど、経済的ならいくらでも指標もあるし、社会情勢から考察することもできます。そもそも「それ以前」というのは?1943年の前ですが、どれぐらい前のことでしょう?ざっと20年ぐらい前から見ていけばまず間違いないでしょう。まさか、「それ以前というのは平安時代のことです」とか「それ以前というのは縄文時代のことです」とは言わないでしょうが、この三浦氏ははっきり言わないで曖昧なまま話をすすめていき、反論されたときに逃げる余地を作るのが好きなようです。

ざっくり「それ以前」を20年前とした場合、1923年ですね、ここから「それ」こと1943年までを見ていきましょう。まず起点の1923年の9月1日には関東大震災が起こっています。誰もが知っているとおり、「当時の日本銀行の推計で45.7億円の損害が出た。当時の国家予算が15億円、またGNPは150億円であったことを見ても、甚大な被害であることがわかる。」(Wikiの震災手形から引用)
「それ以前」は関東大震災で始まり未曾有の打撃をうけ、この時の震災手形の処理のまずさから昭和金融恐慌が生まれてますが、それはもうちょっと先(とはいっても「それ以前」の1927年)の話。その前の第一次世界大戦で日本では成金が続出。「作れば売れると大量にモノを作った」のが戦争終結で大量在庫と化し大変な不況があり、そこから続けての関東大震災。ちなみに2011年の東北地方太平洋沖地震から6年経った今も経済は変調ですが、首都を直撃した関東大震災の影響は延々と続きます。

1925年はアメリカで排日条項を含む移民法ができました。世界の視野はせばまります。1927年は昭和金融恐慌の年。小学生でも習う銀行倒産、取り付け騒ぎ、、そしてそのまま運命の1929年のウォール街大暴落から端を発した、、世界恐慌。関東大震災から6年、昭和金融恐慌から2年が過ぎたばかりで経済的体力が尽きかけていた日本を襲ったとどめの一撃です。翌年、主要輸出品だった生糸の生産で生計を立てていた多くの農村が世界恐慌のあおりをうけて没落、この翌年1931年は昭和農業恐慌と名づけられた大冷害が襲い、さらにその2年後に昭和三陸津波(1933年)です。食事に事欠き、女児の身売りが続出、小作争議続出。経済的に昭和の苦しい時代の一つの頂点です。

ここまでは、三浦氏のいう「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」の「それ以前」20年間の最初の10年。誰がどうみても、経済的に比較的恵まれているとは思わないでしょう。関東大震災、昭和金融恐慌、世界恐慌、昭和農業恐慌、昭和三陸津波、これが1923年から1933年の10年間にひしめきあっています。豊かな国家?調べれば3分でわかる嘘を平気で言うのが信じられない。それが東大で講師なら、大学の実力も地に落ちたものです。

金融恐慌では資本家が、農業恐慌では農民が、世界恐慌では万遍なく資本家から農民まですべてを含んで経済的どん底に突き落としました。

そして次の10年。

posted by NAOKI at 21:42| クアラルンプール ☁| Comment(0) | History 歴史と外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

Fraser Ultra 70km 3 翌日は筋肉痛と風邪

A day next, I felt muscle pain and cold. OMG.

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リタイヤしたチェックポイントで送迎バスが来るまで、、寝てしまった。マラソンも自転車もフラッグオフは結構早くて、早起きしなくてはなりません。100kmの人は朝1時から、、もう完全に寝る時間はないですね。私の70kmは朝7時にフラッグオフなので寝る時間はありましたが、ビブなどレースパックの受け取りが朝5時からだったので、結局朝4時起床でした。疲れてるし、リタイヤという精神的なダメージで、椅子に座ったまま寝てしまった。

ちなみに、リタイヤ組をピックアップするバスに乗るのは生まれて初めてです。似たようなのが、2014年のセンチュリーライドで途中リタイヤさせられた、、(あんたが最後の走者だから、乗りなさいといわれて後ろをついてきてたトラックに自転車ごと乗った)、、というケースが似てるけど、ランでは初めて、、、バスも初めて。

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まあ、こんなもんでしょう。
今回のイベントでの教訓!それは練習しなさい、、ということ。当たり前だけど、その当たり前ができなくて、だいたいのイベントには練習不足で出場するのが慣例になっているけど、、きちんと走るには練習。
バスでゴール地点まで戻ってきたところで、100kmの部で2位になった日本の方とお会いしました。驚くべき好成績。本当に見事としかいいようがありませんが、話を聞くとやっぱり地道なトレーニングを続けていたみたいです。すこしは爪のアカでの煎じて飲むべきでしょう。練習が一番。そうすれば、「無理な練習」が次第に納得のいく「負荷をかけた練習」と変わることでしょう。

ともあれ、数々の教訓を得て、中途半端な気持ちで参加しても上手くいかないし、練習の重要性もわかって(前からわかっているのに、、、)、有意義でした。

それにしても、、、翌日は筋肉痛で上手く歩けないぐらいで、なおかつ免疫力も落ちて風邪をひいてしまった。これが完走した後なら、「完走してよかった!筋肉痛ぐらい平気!」ということもあるでしょうが、納得した走りもできず、途中リタイヤしたにも関わらず、筋肉痛はフルマラソンぐらいある。ふー、、風邪ひいたし、中途半端感が限りない。

もし来年も出るのであれば、ぜひ完走したい。そのためには日々練習!

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posted by NAOKI at 22:16| クアラルンプール ☁| Comment(0) | Fitness & Health 運動部と保健室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Fraser Ultra 70km 2 いっぱいの教訓で有難いこと。

I learnt a lot through failure.

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今回は70キロ走破などとっても無理だから、適当なところで棄権しようと最初から考えていましたが、これが間違いの元。一番大きな間違いですね、、、完走を目指している人でも棄権しなければならないような難コースを、最初からいい加減に切り上げようなんて考えては、、、まーーーったくダメ!そんなことだと、当初考えていた距離にも到達できず、、泣くのは目に見えてる。。。という教訓。これが今回、一番身に沁みたことです。

ちなみに、距離と時間については、プリントタットーで張ることができました。その前に手書きで距離とカットオフタイムを腕に書き込むことはなかったか、、

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ふーむ。そして、次の教訓は、ともかく本番では死力を尽くせということ。そりゃ熱中症は恐いけど、ここフレーザーヒルは標高1200mあって、高原で涼しく、むしろ寒いぐらい。スタート時点で、ジャケットを羽織っている選手もいっぱいいました。そういうところで、熱中症はないだろう、、読みが甘い。さらに適当だったし、、

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途中で終わったので、カットオフポイントはまだ食料が十分にありました。いつもは、最後列で、私が通るときは前の人達が食べ散らかしたカスしか残ってなかったり、給水だってできなかったりしますが、早目に終わったせいで、朝ごはんをゆっくり食べられたということ。

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posted by NAOKI at 18:10| クアラルンプール ☁| Comment(0) | Fitness & Health 運動部と保健室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする