よく聞く「ホームレス怠け者論」…といったものには激しく違和感を感じます。あまりに上から目線で本当の実態がわかって言っているのか?単なる妄想なのか?と思うこともあります。
ホームレスになる理由は千差万別です。でも、ホームレスから(いわゆる)一般生活に戻る過程はそれほどバラエティに富んでいるわけではありません。なぜなら一旦ホームレスになると、そのままホームレスに落ち着く人も多いからです。だから、社会の制度でなんとかホームレスからそれぞれに適した社会に連れて行ってあげる必要があります。
「ホームレス怠け者論」は、同工異曲で「ニート怠け者論」「ひきこもり怠け者論」「フリーター怠け者論」「生活保護受給者怠け者論」…おおよそ「怠け者論」に事欠きません。ひきこもりが怠け者だから引きこもるんだという理論では、何にも解決にならないのは良く知られている通りですが、ホームレスに怠け者と言ったところで何の意味もない…どころか事実誤認です。
ホームレスから、それぞれに適した社会に戻るのは…(さっき思いついたのですが)例えると、水の抜けた深いプールの底からジャンプしてプールサイドに手をかけてよじ登るのに似ています。
突然の失業でホームレスになった人は、くるぶしまで水が溜まっているプールの底にいるようなものでジャンプしてよじ登るのは比較的楽でしょう。
ホームレスになって3ヶ月ぐらいたつと、腰まで水に浸かったプールの底に立っているようなもので、ジャンプしようとしても水の抵抗でなかなかプールサイドに手が届きませんが、自力で這い上がることもできるかもしれませんし、プールサイドから手を差し伸べられると、さらによじ登れる確率があがるでしょう。
ホームレスになって随分すぎると、肩まで水につかったプールの底になんとか立っている状態です。ジャンプするには水の抵抗というより、ジャンプするために膝を曲げると頭まで水に浸かって息が出来なくなります。
上のどの例もそうですが、膝を曲げないと(つまり力をためないと)ジャンプできないのですが、この状態だとそもそもジャンプできません。
膝を曲げるとは「余裕」です。職業訓練をうける余裕とか、運転免許をとる余裕とか…目標のための投資です。立っているだけで精一杯で膝を曲げようとすると息ができなくなるような状態では、非力な支援者だとプールサイドから手をさしのべても引き上げることは難しいです。社会制度という名のハシゴが必要です。
ホームレスの精神疾患者の場合、水位とは別にジャンプするには膝がまがらない、あるいは手が伸びない、またはジャンプすること自体がわからないことがあります。見て、声をかけて、教えて、手をかす。これは社会のみんなの役目だと思います。そもそも、ジャンプすればよじ登れることが良くわかっていなければ、「よじのぼらないから怠け者だ」という理論は無理です。
見て、声をかけて、教えて、手をかす。それが、どれほど難しいか。まずは、ホームレス自体に千差万別な背景があるかということを、(いわゆる)一般社会にいる皆で教えあう、知り合う、ことが必要だと思います。みんなが知れば、手を貸すのにためらいが少なくなると思います。
無力な私ですが、ここにこういう記事を書いたのは、ホームレスと呼ばれる人々は、融資や宿舎や職業訓練を場を提供すればことたりる(くるぶしあたりで水に浸かっている)人ばかりではないということ、本当はホームレスという言葉でくくられないほど千差万別なのだということを知ってもらいたかったからです。
23区に住む公園や河川敷に住む野宿者の数が減ったので東京都のホームレス対策に効果あった…とする噴飯ものの公的データは、むしろ人々を誤誘導するしか役に立たないという怒りからこの記事を書きました。
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2009年11月06日
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